メイドと聖女に花束を
英雄ジュチは死んだが、彼の放った矢は残されている。
その矢は勢いを失うことなく、俺の心臓を捉えた。
その矢は彼の化身のような勢いで、俺の心臓に突き刺さる。
その姿を見て、イヴを始め、陣内に残っていた兵たちは顔を蒼白にさせる。
「アシト様!」
と彼らは俺に寄り添ってくるが、俺は生きていた。
英雄の渾身の一撃も耐えきった。
その姿を見て、いつのまにか陣内に帰っていた土方歳三が漏らす。
「旦那は化け物か。魔王は心の臓に矢を食らっても死なないのか」
それについてはこう返す。
「魔王も人間も変わらない。少なくとも俺の心臓はひとつだ」
俺は外套の中をまさぐると、そこにあった物体を取り出す。
矢が刺さっていたのは俺の心臓ではなく、その上にあった木彫りの犬と読みかけの小説だった。
ジャンヌとイブがプレゼントしてくれたものだ。
木の犬は哀れにも壊れ、半分にちぎれた小説には穴が空いていた。
もはやどちらも本来の役目を果たせない形になっていたが、それによって俺の命は救われたのだ。
女神の言葉を思い出す。
彼女たちはキミを窮地から救ってくれる存在。
彼女たちがくれるプレゼント、そのどちらかを選んで。そうすればきっと――
女神の予言は奇しくも成立したわけだ。
ただ、彼女はひとつ間違えている。
女神はどちらかを選べと言った。
俺がもしもどちらかひとつを選んでいたら確実に死んでいただろう。
ジュチの矢は、木彫りの犬と、半分の小説、双方があって初めて防げたのだ。
木彫りの犬が矢じりを防ぎ、紙の小説が威力を緩和した。
そう考えれば女神の予言は罠だったともいえる。
最後に自分で考え、決断したことが功を奏したともいえる。
やはり最後の最後まで思考をやめないものが、生き残るようにできているのかもしれない。
そう思った。
さて、そんな望外の幸運にひたっていると部下から次々と報告が入る。
魔王ザガム軍の生き残りが正式に降伏を申し入れてきたこと。
残存兵力はできれば我が軍の傘下に入りたいこと。
ザガム城は明け渡すとのこと。
俺はすべて了承する。
次に入ってきたのは味方の被害。
かなりの被害が出ていたが、負傷者を後方に下がらせ、手当を命じる。
それとデカラビア城の城主、孔明からメッセージが届く。
「魔王様の働き、古今無双。古代の楽毅に比肩する」
と書いてあった。
楽毅とは春秋戦国時代随一の名将で、燕という国の将軍である。
彼は燕という小国の軍を率いて、斉という大国を滅亡の一歩手前まで追い込んだ。
古代中国でも比類なき英雄である。
そんな人物に例えられると気恥ずかしくなるが、取りあえず返信の手紙を書く。
「孔明殿、貴殿の働きこそ無双。貴殿がザガムの侵攻を食い止めたからこそ、今回の勝利に繋がった」
と、ありのままの気持ちを書いた。
それを受け取った孔明は、健やかなる笑顔で微笑んだ、と伝令は言っていた。
これで野戦恐怖症が治ったわけではないだろうが、それでも今回の件で彼が有能な軍師であると再確認できて嬉しかった。
孔明が城主を務めるデカラビア城で三日ほど休むと、そのままアシュタロト城に戻る。
ザガムにかすめ取られた領土は、土方歳三が奪還中である。
ザガム軍は全面的に瓦解し、組織的反抗を行えない状態になっているので、なにごともなく旧領は回復できるだろう。
状況次第によってはそのままザガム城も落とせと命令しておく。
土方歳三という男はその辺の自己判断ができる男、臨機応変に戦局を読み、最善手を選べる男であった。
アシュタロト城に到着すると、軍隊を解散させ、執務室へこもる。
そこから歳三の報告、孔明の報告を受けつつ、アシュタロト城の経営に勤しむ。
それぞれの家に帰った兵士たちは、俺の武勲、それに謀略を家族に自慢げに話しているようだ、とはジャンヌからの報告だった。
彼女は山盛りのビーフジャーキーを抱えながら、俺の執務室にきた。
それはいつもと同じことなので、特に気にしなかったが、とあることに気が付く。
彼女がビーフジャーキー以外にも抱えているものがあったのだ。
それはいぜん、俺が彼女に送った絵本であった。
彼女はそれを真剣な表情で読んでいた。
「かーばん……くる……は……しんだ……よ……でも……よみがえる……よ」
題名は『一万回死んだカーバンクル』だったろうか。
子供向けの絵本であるが、ちゃんと文字もある。
それを読みこなしている姿は軽く感動を覚える。
「ジャンヌ、すごいな。ついに文字を読めるようになったのか」
その言葉を聞いたジャンヌはこちらに振り向き、
「うん、これも魔王のおかげ。魔王が毎日教えてくれたから」
と、とびきりの笑顔を見せてくれた。
それに呼応するかのようにメイドのイヴが、ハーブティーを持ってやってくる。
「ジャンヌ様は、毎日、練習帳に文字を書き、知らない単語があれば辞書を引かれていたのですよ」
「メイドも協力してくれたの。知らない単語を教えてもらった」
「お役に立てて幸いです」
と微笑むイヴ。
その姿を見て安堵する俺。
出立前はどちらが俺にプレゼントを送るか、で揉めた彼女たちであるが、今はとても仲が良い。
まるで姉妹のようだ。
自然な振る舞いでハーブティーを受け取るとジャンヌは美味しそうに口を付ける。
その様を優しげな瞳で見つめるイヴ。
イヴはジャンヌの黄金の髪に触れると、髪を結い始める。
ジャンヌはそれを黙って受け入れる。
見目麗しい姉妹のような光景であったが、いつの間にか仲良くなったのだろう、と聞くのは野暮だろうか。
俺は野暮なので聞いてしまうが。
彼女たちは朗らかな笑顔で答えてくれる。
「この前、ふたりで送ったプレゼントが、魔王の命を救ったの」
「そこでわたくしたちは考えました。ふたりで今後も協力していけば、より御主人様の役に立てるのではないか、と」
「どちらが一号、二号になるかで揉めたけど、それはジャンケンで決着を着けたの。もう遺恨はないの」
とんでもない少女たちだな、と思ったが、口には出さない。
仲良きことは美しきかな、それに今後、協調してくれるのは、この城の魔王として喜ばしいことであった。
俺は「ありがとう」とだけつぶやくと、お忍びで城下町で買ったものを取り出す。
俺は今朝、イヴにも悟られないように城下に行くと、花屋を見つけ、そこに飛び込んだ。
花屋に行くなど、初めてだったので、緊張し、
「この世界で一番美しい花をくれ! 美人に似合う花だ!」
と開口一番に言ってしまった。
それも兵士に扮装していたので、店の女店主はさぞ驚いたことだろうが、それでもすぐに花を用意してくれた。
彼女は俺に白のダリアを勧めてくれた。
花言葉は「感謝」と「豊かな愛情」なのだそうだ。
彼女たちへの気持ちを伝えるには最良と思った俺は、それをふたつほど買うと執務室の机の下に隠した。
そして今、それを送っているわけだが、それらを受け取った少女たちの表情はとても面白かった。
ジャンヌは少女の顔に戻り、喜んでいる。
イヴも冷静な表情を取り去り、ひとりの女性に戻ってくれた。
ふたりは同時に会心の笑みを浮かべると、同時に感謝の言葉を口にしてくれた。
「ありがとう!」
「ありがとうございます!」
花束ひとつで彼女たちの笑顔を見られるのならば安いものだな、そう思った。
毎日、変装して城を抜け出すのは面倒であったが、それでも彼女たちの笑顔を見られるのらば、投資効率がいいと思った。
現実主義者の魔王は、花束ひとつ送るのにも、費用対効果を考えるのである。
悪い癖であるが、そういうところも含め、彼女たちは自分を気に入ってくれているようであった。




