チンギス・ハーンの子
草原の英雄ジュチは、怒り狂いながらアシュタロト軍に攻めかかってきた。
彼は陣頭にたち、弓を放ちながらこちらに向かってくる。
俺の築いた防御陣は対騎馬用だった。
土塁を築き上げ、容易に侵入できないようにする。
侵入してきた騎馬には堀で対処する。
堀を乗り越えてきた騎馬には槍兵で対処する。
完璧な防御陣であったが、ジュチはそれを容易に超えてくる。
彼の馬は山のような土塁を駆け上がり、そのままこちらの弓兵に襲いかかる。
馬上にてまるで狙撃銃のような正確さの弓を放つ。
接近戦を挑む兵には、腰の曲刀を用いて両断する。
その顔はまるで悪鬼のようであった。
それほど先ほどの挑発が効いているようだ。
怒りがすべて力に変換され、憎しみが破壊へと昇華される。
獅子奮迅とは彼に用いられる言葉だろう。
彼と彼の親衛隊は、土塁を駆け上がると、堀を越え、陣地に侵入する。
それを迎え討つのは、長槍を構えたトロールであるが、そのトロールさえジュチの前では無力であった。
彼は草原で兎でも射貫くかのように次々とトロールを討ち取る。
俺の自慢の兵たちを次々と倒し、俺の首を狙い、馬を走らせる。
彼の馬が一歩踏み出すたび、こちらの兵がひとり倒れていく。
もうすぐ、彼はこの場にやってくるだろう。
このまま彼の部隊がなだれ込んでくれば、この完璧な防御陣は崩壊し、アシュタロト軍は崩壊する。
それくらいの勢いであったが、そうはならなかった。
理由はひとつだけ。
たしかに今のジュチは悪鬼羅刹のように強かったが、それは彼だけだったこと。
彼以外の人間、魔族は常人であった。
ひとりひとりは勇者であったが、ジュチに遠く及ばなかった。
つまり、土塁を越え、堀を越え、トロールを殺せたのはジュチだけだった。
他の兵は鉄壁の防御陣の前に、もろくも崩れ去り、非命を散らしていた。
ジュチの親衛隊と思わしき、人間の騎士、それにケンタウロスが一体、付き従っていたが、彼らも土方歳三とジャンヌという英雄の前には歯が立たなかった。
ジュチの部下は次々に討ち取られる。
だが、それでもジュチの勢いは衰えず、本陣まで迫る。
イヴが神妙な面持ちになり、懐から短剣を抜き出すが、それを制する。
戦場で女に短剣を握らせるのは主の恥である、と、諭し、その代わり、愛用のロングソードを持ってくるように命令する。
このロングソードは無銘であるが、数々の魔王を屠った名刀である。
ジュチの振るう剛剣にも対応できるだろう、そう思ったが、それは正解であった。
俺が剣を持った瞬間、陣幕を破り、人馬一体となったジュチが襲いかかってくる。
まっすぐ、なんの躊躇もなく、俺の急所目掛け、彼の曲刀が振り落とされる。
相手の剣から殺意が伝わってくるような勢いであった。
事実、彼の中には俺への殺意しかないようだ。
「魔王アシュタロト、我を侮辱したお前を決して許さない!」
もはや語る言葉もないかのように剣を振るうジュチ、俺はそれを受けながら、彼を殺す秘策を実行する。
俺は彼を信頼していた。
挑発をすれば必ず鉄壁の防御陣を突き抜け、ここにやってくると彼の実力を信用していたのだ。
だから事前に兵を割き、伏兵を用意していた。
俺は彼と数合ほど剣戟をかわすと、魔法で飛躍し、後方に下がる。
そして右手を挙げると、《透明化》の魔法で潜ませておいた弓兵部隊を具現化させる。
皆、弓の達人であった。
この距離ならば絶対に外さない。
草原を走り回るキツネの目を射貫くほどの達人たちだった。
それを雰囲気で察したのだろう。
ジュチは振り上げた曲刀を下ろせず、時を止めた。
彼はゆっくりと目をつむるとつぶやく。
「……見事なり。謀略の魔王よ。俺は見事に貴殿の掌で踊らされたようだ」
「そんなことはない。お前は常に俺の想像の上をいっていた。まさか、ここまでやってくるとは思ってもいなかった」
「俺を愚弄した男の顔を見てから死にたかった」
「……お前を愚弄したことは謝る。一度、この口から放たれた言葉を取り消すことなどできないが、本音を言わせてくれ。俺はお前のことをチンギス・ハーンの息子だと思っている。
なぜならばお前は心の中でこう叫びながらここまでやってきたはずだ。
『この命を懸けることによって。この戦場で示す勇気によって、自分の中に大ハーンの血が流れていることを証明する!』
そう思いながらここまでやってきたはずだ」
俺の言葉を聞き、ジュチは沈黙する。
「………………」
彼は最後にこう言い切った。
「謀略の王よ、お前はすごい王だ。すべてを知った上で、我を挑発し、我を殺した。 そして最後に我の心を浄化してくれた。
俺はこの世界にくる前から思っていた。
我は本当に大ハーンの息子なのかと。
それを証明できるのか、と。
常に思っていた。
だが、やっと証明できた。
やっと実感できた。
何百の兵にも臆さないこの心。
鉄壁の陣地に攻め込む勇敢さ。
そして最後まで敵に屈しない自尊心。
このみっつは大ハーンの血が流れていなければ証明できない」
ジュチはそう言い残すと、弓を引いた。
それを見た俺の部下は、一斉に弓を放つ。
ジュチは全身に無数の矢を受ける。
まるでハリネズミのようになるが、それでも弓を引く手を緩めない。
自分がチンギスハーンの息子であると証明する。
常人ならば生きていられないほどの傷を負いながらも、彼は最後に弓を放ったのだ。
彼が放った弓矢は、まっすぐに俺の心臓に向かってきた。
矢が放たれた瞬間、ジュチは立ったまま死んだ。
立ち往生を遂げたのだ。
やはりその姿は草原の覇者の息子そのものであった。




