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謀神の挑発

 草原の英雄ジュチ、彼は予定よりも半日早く、戦場に到着する。

 あと10分早ければ挟撃を受け、俺の首がなくなっていたかと思うと戦慄する。


「ですが、すべて御主人様の策が上手くいき、逆に敵を窮地に追いやりました」


 イブは賞賛してくれるが、たしかに最上の結果は得られた。

 やつが戦場に戻ってくる前にザガムを倒したのである。

 これで今後大分楽ができる。

 そう漏らしたが、それは俺の勘違いだったようだ。

 戦場にやってきた草原の英雄は俺の机上の空論など蹴散らす。

 彼はザガムの残存部隊を吸収すると、そのまま間断なく攻撃を仕掛けてきた。

 遠方からの騎射、突撃部隊による突撃、両者を巧みに使い分ける。

 その攻撃によってザガムを打ち倒した我が軍に大打撃を与えてくる。


 騎馬部隊、モンゴル風騎兵の強さを一戦で悟った俺は、呪文を詠唱し、戦場に隕石を落下させる。


 メテオの呪文であるが、あらぬ方向に落とした。

 乱戦中の味方に当たらぬようにという配慮である。


 敵軍も自軍もその一撃に驚いたようだが、自軍の兵たちには、先ほど築いた防御陣へ戻るように命令する。


 その間、敵も雨あられのように射撃してくるが、魔法を使える兵を集めると、彼らに防壁を張らせた。


 空中に防御壁が浮かび上がるが、何百もの矢を受けるとさすがに壊れる。

 それを見ていた俺は、空中に球形の防御玉を作る。


「なぜ、球形の防壁なのですか?」


 イヴは尋ねてくるが、それにはこう答える。


「平面だと矢の力をすべて受け入れてしまうが、円形ならばそらせる。その分、長い間、防御壁を張っていられる」


 事実、俺の作った防御玉は『壁』よりも長く存在し、多くの兵の命を救った。


 それを見ていたイヴは、

「さすがは御主人様です」

 と賞賛する。


 賞賛されるのは有り難いが、返礼はあとにすべきだろう。

 今はジュチの猛攻をかわすので精一杯だった。



 数刻後、生き残った兵すべてを防御陣の内側に収容すると、一息着ける。

 対騎馬に特化した防御陣に無策に飛び込んでくるほど、敵は馬鹿ではないのだ。


 ジュチは遠巻きにこちらを見ながら、時折、騎射をしてくるが、それも効果がないと見るや、小高い丘に引き上げ、こちらを凝視していた。


 なかなかに見事な判断力である。

 さすがは名将と言うべきだろうか。

 そう口にすると、土方歳三が口を開く。


「旦那の敵将を評価する姿勢は、尊敬に値するが、このままだとやばくないか?」


「どういう意味だ?」


「このまま持久戦になればやばいのはこっちかもしれんぞ。敵には機動力がある。もしも、アシュタロト城の本拠を襲われたら」


「ああ、そのことか。それならば大丈夫だ」


「確信があるのか?」


「あるよ。守備兵がほぼいない本拠を襲われる可能性はたしかに考慮していた。だが、俺はこれから策略を用いてジュチをここに呼び込む。この鉄壁の防御陣で勝負を付ける」


「そんなに都合良くいくのか?」


「いくさ。俺を誰だと思っている? 表裏比興(ひょうりひきょう)のものだぞ。今こそ、卑怯者と後ろ指を指されるときだ」


「つまり、卑劣な作戦を実行する、ということか」


「そうだな。俺の評判はますます下がるかもな」


 少し自嘲気味に言うと、金髪の聖女がかばってくれる。


「魔王、安心するの。私は魔王の卑怯なところも好き。ううん、非常なところが大好き。だって、その卑怯は自分のためではなく、他者のためにやってるだけなのだから」


「……ありがたい」


 心情を素直に言葉にする。

 俺は天下太平のため、平和な世を作り上げるため、小細工を弄する。

 味方の被害を最小限に抑えるために、謀略を巡らす。


 仲間や部下から見れば、正当な行為かもしれないが、敵から見れば堪ったものではないだろう。


 もしかしたら、……いや、確実に地獄に落ちる。

 だが、それでも俺は策を用いる。

 仲間を救う綺麗事を吐き出しながら、敵の血を流す。

 俺は風魔の小太郎を呼び出すと、ジュチをこの陣地に呼び出す策を話した。


「風魔の小太郎よ、ジュチは父を侮辱されたからザガムの腕を切り落とした、と言ったな」


「ああ、たしかに」


「それはなぜか分かるか?」


「誇り高い男だからか? 父を敬愛しているのか?」


「いや、違う。誇り高いが、ジュチは父を敬愛していない。敬愛なんて言葉では片付けられない。草原の英雄ジュチは、父であるチンギス・ハーンを信仰している」



 歴史上最大の帝国を作り上げたチンギス・ハーン。

 それに付き従い、陰ひなたなく勢力拡大に貢献したジュチ。

 彼は父王を尊敬し、父王のようになりたい。

 そう願ったはずだ。

 そんな彼であるが、彼には出生にまつわる秘密があった。


 その秘密によって、彼は長男にもかかわらず、大ハーンの後継者になれなかったのである。


 その秘密とは、ジュチがチンギス・ハーンの実の子供ではない、というものであった。


 ジュチの母親は、ジュチをその腹に宿したとき、敵対する部族にさらわれたのだ。

 のちに母親をさらった部族は、チンギスに敗れ、滅亡するのだが、

 彼の母親はそこで辱めを受け、ジュチを宿した、という噂がまことしやかにささやかれるようになった。


 そのため、彼は大ハーンの後継者になれなかった、という俗説がある。



 俺はその俗説を知っていた。


 そしてザガムとの一件も知っていた。父王の名を汚されたときのあの怒りようは、彼のコンプレックスではないのか。


 そんな想像が成立した。

 それがもしも正しければ、彼は俺の挑発に乗ってくれるはず。

 それに賭け、俺は罪人を選び出し、伝令を送った。

 この挑発が成功すれば、ジュチは必ず使者を斬るからである。

 事実、ジュチは俺の送った使者を斬った。

 烈火の如く怒りだし、俺の防御陣へ攻撃を加えてくる。


 なにからなにまで上手くいった俺の策を見て、イヴが不可思議な表情で訪ねてくる。


「御主人様が謀神ということは知っていましたが、どうやってあのジュチを焚き付けたのです」


 その答えはあまり言いたくなかったが、彼女にだけ話す。

 イヴは俺の腹心中の腹心、彼女に隠し事はできない。

 ジュチの出生にまつわる俗説を話すと彼女にジュチに送った伝言を話した。



「草原の勇者ジュチよ、貴殿に爪の先ほどの勇気があるのならば、俺の鉄壁の防御陣を攻めよ。貴殿の父親はたしかに世界帝国を築き上げたが、お前にはその勇猛さは受け継がれていない。なぜならばお前はチンギスの子ではないからだ」



 その言葉を聞いたイヴは、顔を蒼白にさせる。

 勇将を罵倒するのにこれ以上の言葉はあろうか、と、つぶやいた。


 実際、俺は英雄を侮辱し、怒りの導火線に灯を付けたのだが、その方法は上品ではなかった。


 いや、悪魔じみているともいえる。

 事実、俺の言葉によってジュチは怒り狂いながら防御陣へ攻めてきた。

 こうして俺は現実主義者の魔王として、またその悪評を広めることになる。

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