聖女とメイドと魔王の朝
魔王アシトの朝は早い。
通常時、朝から街の行政官や軍の指揮官たちから、報告を受ける。
朝から陳状と書類決裁の山で、とても惰眠をむさぼる暇はないのだ。
ただ、それは通常時の話。
今日はいくさに出陣するからと、アシュタロト城の実質的な市長であるゴッドリーブとイヴからは、陳情も書類も送られてこなかった。
ゆっくり休み、英気を養ってくれ、ということだろう。
その配慮は有り難い。
そのおかげで俺は九時過ぎまで眠ることができた。
いつもより三時間はゆっくりと眠れた計算になるが、さすがにこれ以上は寝過ぎだろう。自分でもそう思ったタイミングで、イヴが起こしにきてくれた。
「御主人様、おはようございます」
深々と頭を下げ、ホワイトブリムを見せるメイド。
その声は麗しかった。
今日はゆっくりしてください、とベッドに机を備え付けると、そのまま食べてください、とそこに朝食が設置される。
焼きたてのパンに、鶏卵の目玉焼きとベーコン、生野菜のサラダに、クラムチャウダーが添えられている。
見ているだけで食欲がそそられる。
ぐぅ~、という音がなる。
それを聞いてメイドのイヴは。
「お腹がぺこぺこなのですね」
と微笑んだ。
俺は不審な顔をする。
たしかにペコペコであるが、創作ではあるまいし、お腹が鳴るほど減ってはいない。そもそも人生でお腹を鳴らしたことなどない。
不審に思った俺はベッドの布団を開け放つ。
そこにいたのは夢心地の気分で寝ていた聖女ジャンヌであった。
彼女は「むにゃむにゃ」と、よだれをたらしながら、もう食べられない、とシーツをはむはむしている。
ジャンヌらしいが、お腹を壊したら大変なのでやめさせると、イヴを見る。
「この娘はどうやって忍び込んだのだろう」
的な視線を向けると、彼女も困惑した。
「この部屋の警備は完璧なのですが」
この部屋は暗殺者が入れないように、イヴと特定の人物しか入出できないようになっている。
強大な魔力があれば別であるが、ジャンヌにはないし、結界を破壊された形跡もない。
もしかして、昨晩、眠っている間に無意識に結界を解いてしまったのだろうか。
なにか「夢」でも見て、寝ぼけまなこで結界を解いてしまった可能性もある。
その可能性に言及すると、イヴは、くすくすと笑いながら。
「完璧主義の御主人様にもミスはあるのですね」
とジャンヌを引きずり出そうとするが、それはとめる。
「せっかく、気持ちよさそうに寝ているんだ。このままにしてやろう」
イヴは少し眉を動かす。
主の寝所に侵入し、あまつさえ一緒に寝るなど、不敬である、と、つぶやくが大目に見るように説得する。
ジャンヌの場合は、犬がたまたま空いていたドアを見つけ、御主人様のベッドに忍び込んだようなもの。
俺も前世で犬を飼っていたから分かる。
犬は人肌恋しい生き物。主のベッドに潜り込んでくるものなのだ。
と説明すると、なんとか許してくれた。
「それではジャンヌ様の分も朝食を持ってきます――」
とイヴは途中で言葉を換える。
「ジャンヌ様の分ではなく、御主人様の新しい分を用意します」
見ればジャンヌは起き上がり、テーブルに設置された俺の朝食を食べていた。
はむはむ、むしゃむしゃ、寝起きとは思えないなかなかの健啖家であった。
注文まで付ける。
「メイド、次からはベーコンをもっとカリカリに焼いてほしいの」
イヴはいらっときたようだが、俺がなだめると、俺の分の朝食を作り直しに厨房に向かった。
イヴがいなくなると、ジャンヌの食べる速度はさらに上がり、五分ほどで皿を綺麗にする。
「食べた食べた、なの」
とお腹をさすりながら彼女は言う。
「昨日は魔王と一緒に寝られたし、最高の目覚めなの」
「聖女様が男の寝所に勝手に入ってくるのは感心しないな」
「勝手にじゃないの。神の神託があったの」
ジャンヌは抗弁する。
「神の神託?」
うん、とジャンヌは首を縦に振る。
「夜中、私の枕元に神が立ったの。神の息吹を感じるくらいに神を感じたの。そのとき、神はおっしゃったの。ジャンヌよ、魔王の寝所に行きなさい、と。そこでこれを渡しなさい、と」
すると彼女はネグリジェの中から木の切れ端のようなものを取り出す」
それは木で作られた十字架だった。
「これを俺にくれるのか?」
「うん、私の手作り」
「ありがたいが俺は魔王なんだよなあ」
「魔王は十字架が苦手?」
「吸血鬼ではないから、ダメージは受けないだろうけど……」
それでも魔王が身につける装備ではないような気がする。
受け取るべきか、悩んでいるとイヴが戻ってくる。
彼女は怒り気味だった。
「御主人様の寝所に侵入するだけなく、御主人様を贈り物で籠絡しようとするとは。もはや許せません。ずるいです」
とイヴは怒りながら俺のベッドに入ってきた。
「毎朝、わたくしがどれくらいこうして一緒に寝たいか、それをどうやって我慢しているか、単細胞の聖女様には分かりますまい」
つん、とした顔をするとベッドの中に入る。
美女がふたり、両脇にいて川の字になる。
ここに土方歳三がやってきたら、口笛を吹いて「やるねえ、旦那は」と言うことは間違いないであろうが、誰も見物者がいないのが幸いであった。
ただ、見物者がいないからといって、このままにはできない。
今日は出陣の日、これからやることがたくさんあるのだ。
そのことを彼女たちに説明するが、ヒートアップした彼女たちには通じない。
その後、どっちが添い寝をするか、どっちが俺に朝食を「アーン」するか、喧嘩になる。
「ジャンヌ様はすでに一緒に寝たからいいではないですか」
「魔王とはいつまで寝ても飽きないの」
「……ずるいです」
「食事をアーンするのは私なの」
「それは食事を作ったわたくしに権利があります」
両者どっちも引かない。
最後はイヴが先ほど取り出した十字架にも茶々が入る。
「そもそも魔王に十字架を送るなど、信じられません」
「神のお告げなの」
「魔王様に相応しいのは邪神のみ。異教徒の出る幕はありません」
「神はこの世界にひとりなの!」
このままでは宗教戦争に発展する、そう思って止めようとしたが、イヴはくるり、と、こちらを見るとこう言い放った。
「実は今日は魔王様とわたくしがこの世界に生誕して三ヶ月目の記念日。このイヴもプレゼントを用意していました」
と彼女は懐から本を取り出す。
綺麗な装丁のほどこされた本であった。
「それは?」
「以前、御主人様が読みたいと言っていた小説家の新刊でございます」
「おお、新刊が出たのか」
「はい。なんとか、取り寄せることに成功しました」
ものすごく読みたいが、手を伸ばした瞬間、ジャンヌがイヴの手に手刀を落とす。
「駄目なの! 神のお告げでは今日はプレゼントはひとつしかもらっては駄目なの。それは後日、いくさが終ってから渡すの」
その身勝手さ、攻撃にはさすがにイヴも切れたようで、もはや勘弁ならぬ、と懐から短剣を取り出そうとする。
イヴも魔族であることを思い出すが、ここで大切な部下を刀傷沙汰で失うわけには行かない。
そう思った俺は、両者に提案する。
「イヴにジャンヌ、喧嘩はやめるんだ」
「やめない!」
「やめません」
もはや殺気すら感じるふたりの矛を収めさせるのには、謀略の王とて難しかったが、不可能ではない。
折衷案を用意する。
「イヴは今日が俺の誕生日だから、
ジャンヌは神のお告げだから、
俺にプレゼントを用意したのだな」
「そうなの」
「そうです」
「そして両者、どちらかひとつを選べ、という話だな」
ふたりはこくり、と、うなずく。
どちらか「ひとつ」を選べ、と彼女たちは迫ってくる。
ここで選択肢が出てくるわけだが、本を選べばイヴ・ルート、十字架を選べばジャンヌ・ルートになることは明白だった。
両者、どちらを花嫁にしてもそのものは幸せになれるだろうが、まだ、身を固める気はない。少なくとも大魔王になるまでは。
なので両者を立てる方法を選んだ。
俺は日本の室町時代にいた僧侶、一休宗純のような解決策を実行する。
まずはジャンヌからもらった十字架をぽきりと折る。
それを見ていたジャンヌはこの世の終わりみたいな顔をするが、こう説明する。
「俺は魔王だ。聖なるものは身につけられない。だが、ジャンヌが彫ってくれた気持ちのこもった木細工としてならば身につけられる」
と、風の魔法で細工を施すと、ジャンヌの好きな犬のような形に変えた。
半分に折ったもうひとつも犬の形に彫り上げ、彼女に渡す。
「おお、可愛い」
と喜ぶジャンヌ。
それに半分とはいえ、プレゼントを受け取ったことを喜んでいるようだ。
いや、勝ち誇っている、か。
それを見て、イヴは涙目になるが、今度は彼女のフォロー。
俺はイヴから受け取った小説の新刊を半分に破る。
前半部分を受け取ると、後半部分をベッドサイドのチェストに閉まった。
「これからいくさだ。本を読む時間は限られる。それに後半部分は、このいくさが終わり、無事戻ってきてから読む。これは験担ぎだ」
それを聞いたイヴは表情を明るくする。
「無事いくさから帰り、後半はじっくり読ませてもらうよ」
その言葉を聞くと、イヴは、
「後半に大どんでん返しがあるんですよ」
と笑った。
「それは楽しみだ」
と言い返すと、俺は朝食の残りを食べ、軍議の間へ向かう。
その間、少し静かになりたかったので、人払いをする。
ジャンヌの寝所侵入騒動から、騒々しくて仕方なかった。
本来、俺は静寂が好きな魔王なのだ。
そんなことを思い出していると、昨晩、見たはずの夢を思い出す。
「これからキミは目覚める。
そこで可愛らしいメイドさんと、金髪の聖女さんがやってくる。
彼女たちはキミを窮地から救ってくれる存在。
彼女たちがくれるプレゼント、そのどちらかを選んで。そうすればきっと――」
女神がそんなことを言い残した記憶がうっすらとある。
俺は結局、「ひとり」を選ぶことはできなかった。
だが「ひとつ」は選んだつもりだ。
この選択が凶と出るか、吉と出るか、不明であったが、すべてが女神の思惑通りにことが運ぶわけではないだろう。
自分の運命は自分で切りひらくつもりであった。
そう決意を固めると、鈴を鳴らし、イヴを呼び出し、アシュタロト城の幹部を呼び出すように伝えた。




