世界一のポトフ
厨房でふたりきりになったジャンヌはなにが食べたい? と上目遣いで尋ねてくる。
気の利いた男ならば君が食べたい、とでも言い放つのだろうが、残念ながらそのように器用な真似はできない。
ただ、「なんでもいい」などという女性が嫌う言葉も言わなかった。
食べたいものを考える。
うーん、と考えながら、シェフの格好に着替えたジャンヌを見る。
いつも真っ白な服を着ているので代わり映えしないようにも見えるが、とあることを思い出す。
そういえばこの娘はフランス人であることを。
フランスといえば異世界でも有数の美食の国。
そこ出身の娘ともなれば、それなりの料理を作るはず。
俺はかつて文献で見たマヨネーズが食べたくなった。
フランスが生み出した最高の調味料だ。
ジャンヌにそれを所望すると、彼女は、ひらがなでしゃべったかのような表情をする。
「まよねーず? なにそれ?」
きょとんとしている。
その顔でマヨネーズが十八世紀ころに生み出されたものであると思い出す。
ジャンヌは十五世紀の人だから、三百年ほどの隔たりがある。
(十五世紀のフランスといえば暗黒期、あまり料理は発達していないだろうな)
となると手の込んだものは不可能という結論になり、必然的に簡単なものを所望する。
「じゃあ、ポトフを作ってもらおうかな」
「おお、ポトフ、ポトフならば作れるの!」
張り切るジャンヌ。
ポトフとは野菜とベーコンなどを鍋で煮込むだけの料理。
日本人に説明するのならば、洋風おでんといったところだろうか。
カブ、ニンジン、キャベツなどを切って、ベーコンやソーセージと煮込むだけなので、本当に簡単に作れる。
それでいて満腹感も得られるし、旨い料理なので、初心者向けである。
彼女は料理が得意だと自慢していたが、聞けば捕まえた野鳥や猪を解体して、塩を掛けて食べていただけだそうで、『料理』が得意とはいえないようだ。
イヴのように粉からお菓子を作ったり、凝った料理は無理であろう。
そう思ってのチョイスであるが、それは正解だった。
彼女は包丁は面倒だから、と材料を空中に投げると、聖剣で斬る。
フランスの名刀、聖剣ヌーベル・ジョワユーズが泣いている、そう思ったが、彼女は気にした様子もなく、野菜を切る。
空中で斬るものだから、何個かは地面に落ちる。
彼女はそれをさっと拾うと、
「三秒ルール」
と訳の分からないことを言い、鍋に入れる。
まあ、これから熱湯で煮て消毒するからいいが、ジャンヌには衛生観念という言葉を教え込まないといけないかもしれない。
というわけで注意する。
すると彼女はこんな弁明をする。
「魔王の前世は豊かだったの。私の前世は貧農。床に落ちた野菜どころか、ネズミがかじった野菜も食べていた」
「…………」
そんな生い立ちを言われるとなかなか反論できなかったが、今後は慎むように、と言うと「はーい」と言った。
伸ばし棒が入っている「はい」なので、おそらく改めることはないだろう。
まあ、これは潔癖症過ぎるか。
ここは食糧事情のよろしくない異世界。
床に落ちたくらいで食べ物を粗末にすれば、神に怒られる、という彼女の主張も一理ある。
これ以上はそのことに触れず、食器の用意をする。
それを見ていたジャンヌが「おお!」と感嘆の声を上げる。
なにがそんなに珍しいか尋ねると、男が食事の用意をするのが珍しいらしい。
「なんか先進的なの。紳士的なの」
と興奮している。
まあ、どの世界でも珍しい光景かもしれない。
文化とか学力が発達し、女性も働きにでる社会では珍しくないのだろうが、中世めいた異世界ではこのように料理の手伝いをする男は少数派のようだ。
「魔王は気が利くの。きっと良い旦那様になるの」
朗らかに宣言するジャンヌ。
彼女の夫になるかは定かではないが、彼女の手料理を食べる最初の魔王になるのは俺のようだ。数分後、ポトフができあがる。
それを食器に盛り付けると、ジャンヌの作ったポトフの完成。
味は塩味。
野菜の甘みと肉の旨みしかないシンプルな料理。
ただ、それでも旨いことは確実だ。
彼女の調理を事細かに見守っていたが、野菜を切るとき以外、奇行はしていない。
砂糖を入れたり、酢を入れたり、そういった余計なことは一切していなかった。
ポトフなど、普通に作れば誰が作っても旨いのである。
安心してジャンヌの作ったポトフを口に運ぶが、やはりそのポトフは旨かった。
野菜からにじみ出る甘み。ソーセージからあふれ出る肉汁と旨み。
それらが渾然となったポトフは、まさに至高の逸品であった。
ジャンヌはぐいっと顔を近づけながら、「旨い?」と尋ねてきた。
俺は正直に感想を言う。
「旨いよ。世界一のポトフだ」
その言葉を聞いたときのジャンヌの笑顔は、夜空に輝く星々のようにきらめいていた。




