少年の正体
風魔小太郎とは、戦国時代、相模国は箱根で生まれた伝説的な忍者の名である。
忍者の格で言えば、西の服部半蔵、東の風魔小太郎といったところか。
忍者の双璧ともいえるような男だ。
風魔小太郎とは戦国時代に勃興した後北条氏の伝説的な忍者の『総称』である。
後北条氏の関東制覇に尽力した忍びの一族の頭領、100年に渡って北条氏を支えたとある。
もっとも人間が100年も生きられるわけがない。
風魔の小太郎は、風魔一族の頭領に与えられる通り名で、5代に渡って北条氏に仕えた。
とある記録にこんな文言がある。
身の丈七尺二寸(2メートル16センチ)、筋骨荒々しくむらこぶあり、眼口広く逆け黒ひげ、牙四つ外に現れ、頭は福禄寿に似て鼻高し。
異形の相というか、化け物そのものであるが、風魔衆は南蛮人の血が混じっていた。鬼の子孫だった、という伝承が残っている。
事実は不明であるが、目の前にいる風魔小太郎は、少なくとも2メートルの身長はない。
どちらかといえば小柄であった。
イヴと同じくらいの身長だろうか。
というか風魔小太郎だった『男』はメイド服に袖を通し、女に扮装していた。
いつの間に変装したのだろう。
一瞬の早業である。
そもそもなんと見事な女装だろうか。
先ほどまでは仮面をかぶった男だったのに、今ではどこからどうみても麗しいメイドにしか見えなかった。
まさかその姿が本来の姿?
いぶかしんでいると彼は笑った。
「さてね、それはどうだか知らないが、一流の忍者は即座に現地に溶け込む。忍び装束など捨て、現地人の格好をする」
それを聞いたら、忍者装束が大好きなハンゾウ辺りが怒りそうではあったが、よくよく考えれば彼も希に変装するし、忍者は変装が得意なのだろうか。
それにしても見事な女性姿である。
と、まじまじと見つめていると、彼女は口元を緩めながら冗談めかす。
「なんなら裸も見るかね。女性特有のものも再現してあるぞ」
一瞬、どこまで再現されているのだろう、という興味が湧いたが、横にいたイヴのこめかみがぴくりと動いたので、やめておく。
それよりも気になることを尋ねた。
「先ほど、お前は俺に試練が訪れると言ったが、その試練の内容について触れてもいいか?」
「ご自由に」
と風魔小太郎はメイド服の裾を持ち上げながら言った。
「それは有り難い。してその内容は」
「おぬしはこれから『とある少年を殺さなければならない』それが試練だ」
「少年だと?」
「ああ、少年だ、おぬしはとある少年を殺すか殺さないかの二択を迫られる。おぬしの行動を見て我はお前を主か定める」
「それは困るな。俺は魔王だが、無駄な殺生はしないたちでな」
「無駄ではないさ。その少年は『勇者』だ。しかもおぬしへの『特効』の効果を持った対アシュタロト用の勇者だ」
「なんですって!?」
驚いたのは俺ではなく、イヴであった。
「そのような情報、掴んでおりません」
「なかなか掴めるものではないからな」
「ですが、そうそう都合良くそんな情報が……」
俺はイヴを制す。
「風魔小太郎が召喚されるときに女神から聞いたのだろう。超越者ならばそれくらい知っていても驚かない」
「話が分かるな、お前は」
風魔小太郎はニヒルに笑う。
「話は分かるが、女神の意図が分からんね。なんでそんな情報を俺に」
「たぶんだが、おぬしの器量が見たいのだろう。我と一緒だ。魔王アシトがその情報を知ってどう動くか。現実主義者、非常家としての才覚を見せろ、ということなのではないか」
「分かりやすいが、喜べないね」
まったく、あの女神め、人をおもちゃみたいに扱いやがって。
この世界に俺を誕生させた理由もいい加減であったし、もしかしたらあいつは女神ではなく、邪神かなにかなのではないだろうか、そんな感想に至るが、それを確かめるすべはない。
ともかく、勇者という単語を聞いてしまった以上、その情報を聞き出し、対処すべきであった。風魔小太郎に尋ねる。
「ちなみにその勇者がどこにいるのか、教えてくれるか?」
「いいとも。この城より南に行ったところにある村に滞在している。今は」
「そのものは何歳だ?」
「13歳、もうじき14だ」
風魔小太郎の言葉を聞くにつれ、胸中に不安が渦巻く。
もしかしてその少年とは彼のことなのではないだろうか。
そんな疑念が生まれる。
その疑念が確信に変わったのは、風魔小太郎がその少年の名を読み上げたときだった。
「彼はリーシャ村という山村に生まれた。今は冒険者として生きているようだな。彼の名前はユーリ、数日前までお前と一緒にいた少年だよ」
風魔小太郎は無表情に言ったが、最後、「ふふ……」と笑ったような気がした。
俺の表情を確認しているようだ。
さて、今の俺はどのような表情をしているだろうか。
気になったが、明るい顔色はしていないだろう。
それだけは自信を持って言えた。
その後、風魔小太郎が去る。
今からユーリという少年の正確な居場所を探ってくるらしい。
彼は一陣の風とともに消えた。
帰ってくるまでに「ユーリ少年」いや、「勇者ユーリ」の生殺与奪を決めておけとのことであった。
俺は魔王、魔王と勇者は敵対するもので、多くの魔王が勇者に倒されてきた歴史がある。
それは異世界、ゲームの世界、物語の世界、この世界、問わずだ。
魔王にとって勇者は害悪で、それを除くのは当然であったが、俺は逡巡していた。
ユーリとはこの前、洞窟で出会った少年だった。
言葉を交わし、一緒に魔物と戦った少年。
あどけない笑顔と、声代わり前の少年の声が脳内で再生される。
「……俺が彼を殺すのか?」
その問いに答えたのは、イヴであった。
彼女は悲しげな瞳で、
「魔王とはそういうものでございます」
と言った。
「分かっている。いや、分かっているつもりだった」
イヴに最初会ったとき、幼き勇者を見つけたら倒してしまえ、と言い放った。
あのときは本気であったが、いざ、実際にそのときになると同じ台詞が言えない。
ましてやその少年の顔を知っているとなれば余計に葛藤してしまう。
「…………」
しばし沈黙していると、イヴが遠慮がちに申しでてきた。
「この一件はわたくしがすべて処理することも可能ですが?」
彼女は土方にもジャンヌにもゴッドリーブにも相談せず、自分が勇者を殺し、その手を汚す、と言っているのだ。
その配慮は有り難かったが、彼女の白百合のような手を汚すのは忍びない。
それにここで日和り、決断を下さない、という選択肢は俺にはなかった。
俺は現実主義者の魔王。
現実から目を背けることはない。
そう思ったとき、どこからか「にゃあ」と猫の鳴き声がした。
いつの間にか猫がこの召喚の間に迷い込んできたようだ。
従卒のゴブリンが、「申し訳ありません」と慌てながら近寄ってくるが、俺はそれを制する。
俺は迷い込んだ猫を抱きかかえると、猫の瞳を覗き込む。
そして決断した。
「……この子猫も立派なアシュタロト城の住人だ。俺は住人を守る責務がある」
そう、そうなのだ。
俺には責任があるのだ。
この城の王になった瞬間から、この世界に生まれ落ちた瞬間から。
この城に住まう人々を守り、この世界に平和をもたらすという使命があるのだ。
もしも俺が少年に情けを掛け、滅ぼされてしまったら、それら責任を果たせなくなる。最悪、住民すべてが路頭に迷うだろう。
アシュタロト城の住人すべてとたったひとりの少年を天秤に掛けることはできない。
それを思い出した俺は、猫を放つと、玉座の間へと向かった。
後世、イヴは述懐する。
そのときの魔王アシュタロトの威風堂々とした姿は、生涯、忘れることができなかったと。
背中に悲しみを背負っている魔王の姿は誰よりも力強く見えた、と。




