人は石垣、人は城
『灰黄金の廃墟』と呼ばれるダンジョンから帰還する。
遠足は自宅に帰るまでが遠足!
ダンジョンも自宅に帰るまでがダンジョン!
という格言が冒険者の間にあるそうだが、実際、その通りで、気を緩めずに帰還する。
ただし、行きも楽勝だったので、帰りも困らない。
特に強敵と遭遇することなく、一日で地上に帰還するとそのまま馬車に乗り、アシュタロト城へ戻った。
帰り道も馬鹿な盗賊に出くわすことなく、無事帰還する。
行きはよいよい帰りは怖い、の逆パターンだった。
もちろん、そんな童歌を歌っても誰も共感してくれないので、代わりにジャンヌの鼻歌を聞く。
彼女は美声で、音感もあり、歌も得意なようだ。
いつか本格的に声楽を習わせ、歌姫に鞍替えさせても良いほどであったが、そのような機会は天下を統一し、平和な時代になってからでないと駄目だろう。
今、俺に必要なのは優秀な指揮官なのだ。
ジャンヌは、歌い手としてよりも指揮官や戦士として得がたい人材なのだ。
そんなふうにジャンヌを見つめたが、ふと懐の物体が気になる。
巾着の中に入った鉄の塊の感触を思い出す。
「得がたいと言えばこの手裏剣だが、いったい、誰関連の漂流物なのだろうか」
手裏剣であるからして、確実に忍者関連だと思うが、かの徳川家最後の将軍徳川慶喜は、趣味で手裏剣投げをやっていたし、彼が召喚される可能性もゼロではない。
そうなれば服部半蔵信者のハンゾウはさぞがっかりするだろう。
俺もだが。
徳川慶喜という人は、人によって評価の落差が激しい人物である。
後世から見れば、日本という国を内乱状態にせず、新しい政府に政権を譲った英明な人物。
視点を変えれば、圧倒的な戦力があるにも関わらず、それを有効活用できず、徳川250年の歴史を終らせた愚物、となる。
俺は冷静に歴史を判断するタイプであるが、徳川慶喜の英明な判断には賞賛しつつも、どこか冷ややかに見てしまうところがあった。
もっとも、神君家康公の再来と謳われている将軍だ。
召喚すれば役に立ってくれるかもしれない。
そんな気持ちになったが、あることに気が付くと自嘲する。
イヴは尋ねてくる。
「御主人様、なにがおかしいのでしょうか?」
正直に話す。
「いや、俺も偉くなったものだと思ってね」
「御主人様はこの世界で至高の存在ですが?」
「お世辞は有り難いが……」
それにしても本当に偉くなったものだ。
最初は英雄クラスの指揮官ならば誰でもいいと切望していたが、今はえり好みをしているのだから。
俺はとある中国の王が残した言葉を思い出す。
「隴を得て蜀を望む」
この言葉の意味は、隴という地方を得たのに、蜀という国まで征服しようとした自分の強欲さを自嘲した後漢の光武帝の言葉である。かの曹操も引用した。
今の俺にぴったりの言葉だ。
自分を戒めなければならない、そういうとイヴはさらに賞賛してくる。
「さすがは御主人様です。その謙虚さ。魔王の中でも随一かと」
再び礼を言うと、彼女に、
「魂魄召喚」
の準備をしてもらう。
さっそく、先ほど拾ってきた『漂流物』を使用するのだ。
鬼が出るか、蛇が出るかは分からないが、召喚の瞬間は毎回、胸が躍る。
かの日本という国では庶民の間でも毎日、このような胸の高鳴りを味わう遊戯が流行っていると聞く。異世界でもそれを味わえるのは僥倖であった。
クラインの壺、という魔物や資材、それに英雄を召喚できる万能の壺。
今まで何度も使ってきたが、よくよく考えれば不思議な壺である。
大きさは俺の腰ほど。
なのにそこから人間はもちろん、それよりも遙かに大きいサイクロプスが出てくるのだ。
まあ、それは魔王城に設置された不思議な壺だから、と無理矢理納得することにするが。
そんなふうに壺を凝視していると、イヴが説明をしてくれる。
「このクラインの壺は、各魔王の城に一個ずつ設置されています。それと必ずあるのは魔王の核、つまりコアですね」
「クラインの壺それぞれに違うのか?」
「コアの形はそれぞれに違いますが、クラインの壺は共通です。皆、この大きさ、形をしています」
「なるほどね、この内臓みたいな形は全魔王共通なのか」
「はい。しかも、このクラインの壺は絶対に破壊できません」
「まじか?」
「まじです。どのような強力な魔力でも、ヒビひとつはいりません」
「ならば城に潜入して、クラインの壺を破壊させる作戦は無駄なのだな」
「おそらくは」
「まあ、どうせ城に入るのならばそのままコアを破壊したほうがいいか」
「ですね」
とイヴは微笑み同意するが、こうも付け加える。
「しかし、魔王エリゴスの城に潜入して分かったのですが、各魔王はコアを巧妙に隠したり、偽装したり、鉄壁の陣地を築いて守っております。早々簡単に破壊できないかと」
「なるほどね。まあ、弱点をそのままにしておく魔王のほうが異端か」
「はい。ですので御主人様、そろそろコアの防備についても真剣に考える時期かと」
イヴは心配げに尋ねてくるが、それは不要であると伝える。
「なぜでしょうか?」
俺の命が心配なイヴは食い下がる。
ちゃんと説明しなければ納得しなそうであった。
なので俺は、かつて日本という国にいた武田信玄という武将の言葉を話す。
「日本という国の甲斐国に、武田信玄という偉い大将がいた。彼は周囲を敵に囲まれた戦国大名だったが、終生、居城の防備にはこだわらない人物だった」
「なぜですか?」
「強固な城があっても、それを守る人がいなければ意味がないからだよ」
「たしかにそうですが」
「彼の名言にこう言うものがある」
人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり。
「どういう意味でしょうか?」
「そのまんまだよ。信頼できる人がいなければ城に意味はない。逆に信頼できる家臣がいれば、城など不要。人が城となってくれる、という意味だ。だから人に情けを掛け、人を恨むな、と説いた言葉だ」
「我々魔王陣営が応用するとしたら、城を強固にするよりも、御主人様を裏切らない部下で固めること。必死でコアを守る部下を育成しろ、ということですね」
「その通り」
「素晴らしいです。ニホンという国には御主人様のような有能な大将がいっぱいおられるのですね」
「日本人は優秀なのが多い」
「ちなみにその武田信玄という王は、ニホンを征服されたんですか?」
「いや、できなかった。でも、大大名にはなったよ」
「なるほど、惜しいです」
とイヴが残念がったので、武田氏がその後どうなったかは話さなかった。
武田信玄はたしかに有能であったが、生前、敵を作りすぎた。
親類に奇襲を仕掛けて領土を拡張したり自分の息子を殺したり、同盟相手を裏切ったり、あらゆる権謀術数を駆使して成り上がったはいいが、息子の代になると一代で潰れてしまった。
一説では父親の代にやり過ぎた無理が息子の代に押し掛かったという説もあるし、後継者の勝頼が自分の実力をわきまえずに父親の真似をした、という説もある。
最後は信玄の作った「人の城」も崩壊してしまったのだ。
そのことを伝えると、イヴの心配性はさらに増すだろう。
メイドの仕事に書類仕事、些事を取り仕切る彼女にこれ以上負荷をかけないため、俺はあえてそのことは黙っておくと、彼女に紅茶を所望した。
それを飲みながら考える。
これからクラインの壺で、新しい「城の一部」を召喚することになるが、はてさて、その城の一部はどのような人物だろうか。
有能であろうか、無能であろうか。
紅茶は好きであろうか、酒のほうが好みであろうか。
興味は尽きなかったが、それらの答えを得るには召喚をしたほうが早いだろう。
そう思った俺はイヴの紅茶で喉を潤すと、ダンジョンから持ち帰った『手裏剣』を壺に入れた。




