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聖女さまの絵本

 土方歳三の控え室に行くと、女の声が聞こえた。


 最初、取り込み中かと思ったが、女の声が複数だったので、入っても大丈夫だと判断し、扉を開ける。


 すると歳三は試合前だというのに、妓楼の女を呼び、膝枕をし、耳を掃除させていた。


 三味線代わりにリュートを弾かせ、その音色を楽しんでいる。


 これから勝負するものの態度とは思えなかったが、油断しているわけではなさそうだ。


「鍛錬ならガキの時分から毎日している。一日、素振りを千回しているんだ。今さらあがいたところで実力が変わるわけではない」


「たしかに。試合前に緊張をほぐすのも戦略だ。ところで歳三、たかだかダンジョン捜索メンバーを決める試合が大事になってしまったが、気負いとかはないか?」


「ないね。この俺があのお嬢ちゃんに負けるとは思えない。ただ、怪我をさせてしまわないかくらいが心配かな」


「それは本気でやらなければ勝てない、という意味か?」


「解釈は旦那に任せるよ。ま、久々にいい運動ができそうだ」


 歳三は娼妓の耳掃除に夢心地のようにひたると、目をつむりながら言った。


「俺には緊張をほぐしてくれる女が何人もいるが、あのお嬢ちゃんにはひとりもいまい。旦那が行ってほぐしてきてやんな」


 と手をひらひらとさせ、退出をうながす。


「ほぐすのはいいが、試合前に楽しみすぎて、体力を使わせるなよ」


 と歳三は品のない冗談を言うと、娼妓たちに音楽を奏でさせた。


 イヴはその姿を称して、

「まるで王侯貴族のようですね」

 と言った。


「たしかに」


 と同意する。


 慎ましい生活をしている俺と比べれば、歳三のほうがよっぽど貴族っぽい生活をしていた。


「御主人様もおっしゃって頂ければ、このような生活も可能ですが」


 イヴは控えめに申し出てくるが、俺は首を振る。


「やめておこう。人間、合う合わないがある。俺は前世からして慎ましい生活を送っていたんだ」


 前の世界の記憶はおぼろげであるが、貧乏貴族の次男坊だった俺は、それに相応しい生活をしていたような気がする。


 領地からあるわずかな収入もすべて研究に費やしていたような。

 そのことを話すとイヴは、くすくす笑う。


「魔王になってもあまり変わっていませんね。集めるものといえば本くらいです」


「だな。それも初版とか状態にはこだわらないから、読めればいいんだよな」


 城の図書館にある本の量はちょっとしたものだが、あまり稀覯本(きこうぼん)はない。

 どこにでもあるような有り触れた知識書か、小説の類いしかなかった。


 それらを読んでいれば勝手に日が暮れてくれるのだから、本当に金の掛からない魔王である。


 女遊びはともかく、余裕ができれば鹿狩りや鷹狩りなどをしてみたいが。

 ともかく、魔王アシトは風流とは縁のない王であった。



 続いてジャンヌの控え室を訪ねる。

 こちらもちゃんとノックしたが、ノックをした理由は違う。


 歳三は女性といい感じになっている可能性を考慮してのものだったが、ジャンヌの場合は着替え中でないか確認するためであった。


 二回、ノックをするが、返事はない。

 なにかあったのだろうか?


 着替え中だとまずいので、イヴに確認してもらうと、彼女はにやにやと俺を手招きした。


 入っていいという合図だろうか。


 イヴは俺をかつぐことはないので安心して入るが、そこにいたのは意外な姿をしたジャンヌだった。


 いつもぽわんとしているか、瞑想しているか、なにかを食べているしかないジャンヌ。


 しかし、今日の彼女は机に座り、なにかに集中していた。

 ペンを握っているのでなにか書き物をしているようだ。


 なにを書いているのか覗くと、そこにはぎっしり、この世界のアルファベッドが書かれていた。文字の書き取りをしているようだ。


「そういえば前、ジャンヌに文字を教えたことがあったな」


 この世界のアルファベット表を出し、書き取りをするように命じたが、彼女はそれを律儀にこなしているようだ。


 すでにこの世界の「U」までぎっしり書かれているので、Zまでもう少しだ。


 そう思っているとジャンヌはやっと俺の存在に気が付いたようで、こちらを見上げるとにこりと微笑んだ。


 誇らしげにノートを見せる。


「魔王、見るの。毎日文字を書いているの」


 ノートには隙間がないくらい文字が埋め尽くされていた。


「すごいな、ジャンヌは」


 彼女を褒めるため、頭を撫でる。


 金色の髪がさらさらとしており、とても心地よかった。

 ジャンヌは犬のように潤んだ瞳でこちらを見つめる。

 その金色の髪からゴールデン・レトリバーを想像させる。


 しばし互いに犬と飼い主の関係を楽しむと、ジャンヌは思い出したかのように言った。


「……は! 気持ちよくて忘れてた。魔王、私、毎日ちゃんと宿題をやっているの。そろそろ本を読む練習をしてもいい?」


 上目遣いに尋ねてくる少女。

 その目を見て駄目といえる男はいない。


 それにここまで頑張っているのだ。そろそろ次にステップアップしてもいいだろう。


 そう思った俺は、懐から本を取り出す。

 薄い本だ。

 薄い本といっても、日本の特定の場所で売られている本ではなく、絵本だ。

 この世界にも絵本はある。


 貴族や商人の子供、幼児が読むものだが、今のジャンヌの語彙には丁度いいだろう。


 そう思ってお忍びで城下町の本屋で買ってきたものだが、彼女は気に召すだろうか。


 多少、気になりながら絵本を手渡す。


 絵本のタイトルは、

「一万回死んだカーバンクル」

 というものだ。


 本屋の店主が情操教育に良い、女の子向けと言っていたので選んでみた。

 それに表紙の緑色のカーバンクルが愛らしい。

 さて、それを受け取ったジャンヌの反応は……。

 彼女の反応は想定した以上だった。

 ガシッと本を抱きしめると、涙を流しながら言った。


「……魔王、ありがとう。一生大切にする。肌身離さず持っている」


 本当に泣いているので、俺は彼女の頭を再び撫でると、

「お風呂場には持って行っちゃ駄目だぞ」

 と戯けて見せた。


 彼女は鼻水を拭きながら、

「うん」

 と元気よくうなずくと、俺を抱きしめてきた。


 それを見てイヴは少し焼き餅を焼いているが、感涙にむせている少女に横やりを入れるほど無粋な女性ではない。


 しばしその光景を知らんぷりしてくれると、3分後、胸中から時計を取り出した。


「御主人様、ジャンヌ様、そろそろお時間にございます」


「おお、そういえば試合の直前だった」


 ジャンヌは、思い出したかのようにペンから剣に握り替えると、戦士の顔になった。


 凜々しい少女、オルレアンの乙女がそこにいた。

 先ほどの様子から、歳三有利かと思われたが、そんなことはないようだ。

 ふたりの勝負、今から楽しみであった。

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