ドブネズミと火打ち石
肥え太った野ねずみを使い魔にした俺。
名前をミツキ・マウスとする。
どこからか苦情がきそうな名前であったが、気にせず採用する。
由来は美しい月という意味なので問題はないはず。
彼女に魔力を与え、知性も付与すると、そのまま地上に向かわせる。
ドワーフたちの話に寄ればシャールタールは里の地上部分の街を根城にしているらしい。
そこで捕まえたドワーフを拷問し、死んだドワーフはゾンビにしているとか。
下衆な男であるが、それは事実だった。
大きな建物。族長の家と思われる建物からは、ドワーフの悲鳴と苦痛が聞こえてくる。
少しだけ覗いてみたが、反吐が出るような拷問が行われていた。
男も女も関係ない。シャールタールにとって子供ですら死霊魔術の実験体でしかないようだ。
悪鬼の霊魂をドワーフに宿らせ、悪魔化させたり、拷問によって漏れ出る苦しみに満ちた苦痛と嗚咽を集め、呪詛の宝玉を生産していた。
正直、見るに堪えない。
この場ですぐにやつの首を掻き切ってやりたかったが、ミツキではどうにもならないだろう。
じっと我慢するとシャールタールの人相を確認する。
数刻後、俺が殺す予定の男だ。
逃がさないためにも人相を覚えておきたかった。
彼の顔を遠目から見る。
やはり陰険な顔をしていた。
ねじ曲がったような唇、つり上がった目、浅黒い肌。まるでダークエルフのようであるが、彼は人間のようだ。
「意外だな」
と漏らすと横にいたイヴが訪ねてきた。
「なにが意外なのでしょうか?」
「ここまで悪魔じみたことをするやつだ。本当に悪魔かと思ったが、人間とは」
「魔王の手下には人間も多うございます」
「そうだな。俺にも人間の部下がいる」
土方歳三、ジャンヌ・ダルクを思い出す。
しかし、彼らはこのような残忍な真似は決してしない。
シャールタールは本当に人間なのだろうか。
それについてはイヴが明瞭な回答をもたらしてくれる。
「人間は……、いえ、これは魔族も同じですが、人はときに悪魔のような所業をします。種族は関係ないでしょう。シャールタールが純粋な悪だったというだけかと」
「たしかにな」
過去の歴史を思い出す。
俺が住んでいた世界も戦争が絶えなかった。
俺が研究していた地球という星も同じだ。
皆が皆、人間同士で争い。常に殺し合いをしていた。
三国志、乱世の奸雄と呼ばれた曹操の徐州大虐殺。
十字軍による異教徒の大量殺戮。
戦国の改革児、織田信長による一連の宗教抗争。
人間の歴史を紐解けば、平和だった時代のほうが少ないのだ。
この異世界は乱世。
このように血なまぐさい人物を輩出するのは必然であるのかもしれない。
そしてそのような悪魔じみた人間を倒すのが、俺のような元人間の魔王の宿命なのかもしれない。
そう感じた俺はイヴに命令を下す。
「予定より早く囮部隊を出す。まだ横穴は掘り終えていないが、囮部隊がシャールタールを引きつけ、空洞に誘い出したころにできあがるように調整する」
「そんなことが可能でしょうか?」
「ドワーフたちを、いや、ゴッドリーブという男を信じるんだ」
あの寡黙で律儀な男が30時間で作業を終えると言ったのだ。
彼ならばその約束を守ってくれるはずである。
「分かりました。それではジャンヌ殿にお伝えし、ドワーフの兵を出立させます」
ですが、とイブは続ける。
「此度のいくさ、一歩間違えば御主人様は戦死されるかもしれません。そんなことは有り得ないでしょうが、なにかイヴによすがとなるものをください」
「まるで戦争に出立する前の恋人同士だな」
と軽く笑うと、俺は彼女に石をふたつ渡した。
「これはなんですか?」
「それは火打ち石だ」
「《着火》の魔法くらいならば使えますが?」
「そうではない。それは異世界の日本という国の儀式なんだ。なんでも勝負事の前に女性が男に向かって二度ほど叩くと縁起がいいらしい」
「なんと、そんな風習が」
「歳三に教えてもらった」
「では、二度ほど叩かせていただきます」
と彼女は宣言すると、
カチッカチッ!
と、火打ち石を二度ほど叩いた。
景気のいい音だ。
あらゆる厄災をはね除けてくれそうな気がした。
そのことを彼女に伝えると、俺は彼女に命じた。
「数刻後には、無事戻ってくるから、そのときには最高の紅茶を入れてほしい」
「分かっております。ここは硬水が多いようですから、その間、軟水がないか探しておきます」
「気苦労を掛ける」
イヴの頭に軽く触れると、そのまま出立した。
遠くからジャンヌが呼ぶ声が聞こえたからである。
「おおーい! 魔王! 出立する。大将が遅れてどうするの?」
今回のいくさは戦力が圧倒的に不足していた。
俺とジャンヌが武の両輪として大活躍せねば、囮部隊は囮として役に立たないだろう。
今回は指揮官としても、戦士としての技量も問われる。
ただ、イヴはそのどちらにも疑問を感じてはいないようだ。
「御主人様ならば必ずシャールタールに打ち勝ちます。これは予言ではなく、未来の既定事実です」
そう言い切るメイドさんの表情は頼もしくも可愛かった。




