始動
これから定期的に執筆します
俺こと魔王アシュタロトは現在、この大陸のどの魔王からも注目されていた。
最弱の魔王として生まれた俺は次々に周辺諸国を併合していき、今ではこの大陸でも有数の大国になっていたのだ。
俺はまず隣国のサブナクという名の魔王をだまし討ちしてその領土を奪った。その後、ドワーフの里に赴きエリゴスという魔王からドワーフの里を開放し、ゴッドリーブという名のドワーフの族長と友誼を結んだ。
魔王に特攻を持つ勇者を封じたり、忍者を配下に加えたり、デカラビアとかいうしつこい魔王を倒したり、三国一の知謀を持つ諸葛孔明を仲間にしたり、快進撃を続ける俺たちに周囲の国は決して善い感情を抱いていないだろうが、そんなこと気にすることなく、権謀術数を持って勢力を拡大させたのだ。先日、大国ディプロシアが従属的な同盟を組みたいとも連絡してきた。蟻戦争騒動で俺たちを見直したのだろう。
俺はメイド長のイヴが見守る中、ディプロシアとの調印を終えると天下の覇者として名乗りを上げた。
その光景を見てイヴは目に涙を浮かべる。
「ご主人様の初めて召喚された魔物として胸が一杯です」
ジーンという効果音が聞こえそうなほど胸を抑えるメイド服の少女、思えばこの少女と出会ったときはアシュタロト城も見窄らしいものであったが、今では新築のように手入れがされている。またその城下町は大陸でも屈指の繁栄を誇っていた。
イヴの目からこぼれた涙を、俺は指でそっと拭う。
「早いですよ、イヴ。感慨にふけるのは。まだ大陸の半分も手に入れていない」
「……はい。ですが、ご主人様。あのおんぼろの城で、二人きりでネズミを追いかけていた日々を思うと……」
「ネズミはジャンヌも追いかけていましたね。食料として」
「ふふ……。そうですわね。……ご主人様が『天下の覇者』。なんと素晴らしい響きでしょう。私は、この日のためにメイド長として、財務卿として、仕えてまいりました」
バルコニーに出ると、眼下の城下町は活気に満ち溢れていた。
蟻戦争の被害など微塵も感じさせない速度で修復された街並み。その一角からは、もうもうと湯けむりが上がっている。
ゴッドリーブたちが完成させた、大衆浴場「パラベラム」だ。
大衆浴場は、市民に開放されるやいなや、爆発的な人気を博した。
修復作業で汗を流したドワーフや、慣れない土地で神経をすり減らしていた難民たちが、身分の差も出身の違いも関係なく、大きな湯船で疲れを癒やしていた。
「魔王様! 見てください、この賑わい!」 先日、ジャンヌにベルトを切られた(そして俺の指示でドワーフ建築に放り込まれた)青年が、今や汗だくの顔を輝かせ、湯上がりの牛乳を一気飲みしている。すっかり更生し、真面目に働いているようだ。
「ああ。いい湯だったか」
「はい! 親方から聞きました! この湯には『子宝』の効能があるって! 俺、嫁さん見つけて、アシュタロトの城で骨を埋めます!」
(……ゴッドリーブめ、余計な情報を流しおって……)
衛生状態の改善、治安の向上、そして市民(特に難民)のストレス解消と、大衆浴場は俺の期待以上の効果を上げていた。
……まあ、ゴッドリーブが「安産の湯、子宝の湯」と必要以上に宣伝したせいで、新婚夫婦や子宝を願う人々が、湯けむりの中で妙な熱気を放っているのは、ご愛嬌というものだろう。
イヴやジャンヌも、市民に交じって(もちろん女湯だが)大衆浴場に通っているらしく、最近、二人ともやけに肌艶がいいのが、魔王として少し(いや、かなり)目のやり場に困るところだった。
内政が軌道に乗れば、次は「外」だ。
「天下の覇者」と名乗りを上げ、大国ディプロシアと(従属的な)同盟を結んだ影響は、すぐさま現れた。
執務室の机には、周辺諸国の魔王や王たちからの「親書」が山積みになっている。
「ご主人様。ディプロシアとの同盟以降、これ(親書)の量が三倍になりました。ほとんどが『祝辞』と『同盟の打診』ですが……」
イヴが、うんざりしたように書類を仕分ける。
「祝辞の裏には牽制が、同盟の打診には下心が透けて見えるな。人間の世界も、魔王の世界も、やることは変わらん」
俺が皮肉を口にした、その時。
コンコン、と形式的なノックの音と共に、部屋に入ってきたのは、羽扇をあおぐ、この大陸随一の知謀――諸葛孔明だった。
「諸葛孔明か、久しいな」
孔明は俺の配下の中でもしっかりものであったので城主を任せていた。ゆえに頻繁に会うことが出来なかったのだ。無論、蟻戦争の折は総力戦だったので手助けしてくれたが。
「アシュタロト様、お久しゅうございます」
型どおりの拱手礼をすると孔明は言った。
「蟻戦争の勝利によって我がアシュタロト陣営は大陸でも上位の存在となりました。しかし、我々の成長は早すぎる。早すぎる成長は内部に空白を生みます」
「つまりバブルだと言いたいのか」
「左様です。確かにアシュタロト様は覇者になりましたが、だらかこそ自重せねば。今は軍事のことは忘れ、内政に専念すべきかと」
「そうだよな。蟻どもに食い破られた穴があちこちにある」
ふう、と溜息をついて城下を見下ろす。先日までここを大群に闊歩していたと思うと寒気を覚える。
「さて、街の復興だが、ゴッドリーブ殿、なにか一案はあるか?」
俺がバルコニーから執務室内に声をかけると、壁際で腕組みをしていたドワーフの族長、ゴッドリーブが一歩前に進み出た。孔明と共に、戦後の報告と内政の協議のために呼び出していたのだ。
「フン。一案も二案もあるわい」
ゴッドリーブは、その立派な髭をしごきながら、不機嫌そうに、しかしその目には職人としての“光”を宿して言った。
「孔明殿の言う通り、ただ埋めるだけでは空白は埋まらん。……地盤も、民の心もな」
「ほう。ではどうする?」
「まず、城壁や主要な建物の基礎を脅かしておる穴は、ワシらドワーフの特殊合金とコンクリートで、即刻、以前より頑丈に埋め戻す。これは防衛の問題じゃ」
「うむ。それは頼む」
「だが、魔王殿。残りの穴は宝の山じゃ」
「宝の山、ですか?」
財務担当のイヴが、その言葉に(金銭的な意味で)素早く反応する。
ゴッドリーブはニヤリと笑った。
「左様。特に、市街地の目抜き通りや広場の下に空いた大穴。……あれらを、繋げる」
「繋げる?」
「ああ。アシュタロトの街の、地下に、だ」
ゴッドリーブは、バルコニーの床を分厚いブーツでコツコツと叩いた。
「この街は、幸いにも固い岩盤の上にある。蟻どもは、その岩盤の『浅い』土の部分だけを掘り進んだ。……つまり、ワシらドワーフが少し手を加えれば、最高の『地下網』が出来上がる!」
「地下網……。何に使う?」
俺の問いに、ゴッドリーブは指を一本ずつ立てて、楽しそうに答えた。
「第一! 『下水道』じゃ! 大衆浴場『パラベラム』の成功で、市民は清潔さを覚えた。この勢いで、街全体に下水道と、清浄な水を送る『上水道』を整備する! 衛生は内政の基本じゃろうが!」
孔明が、ほう、と感心したように羽扇を止めた。
「第二! 『大倉庫』じゃ! 難民が増え、物流が増えれば、物資を蓄える場所が要る。地下は、食料や……(と、俺の顔を見て)ワインを寝かせるには、最高じゃ。商業も潤う」
イヴが、ソロバンを弾くように心の中で指を折っているのが見えた。
「そして、第三!」 ゴッドリーブの声のトーンが、一段と上がった。
「……城と、ワシの工房)と、新しく見つけた『鉱脈』を……地下の『軌道』で、直結させる!」
(……それが本命か!)
俺は思わず苦笑した。ドワーフの職人魂が、蟻の穴を利用して、ついに自らの悲願(工房の拡張と物流の確保)を達成しようと燃えている。
「素晴らしい……」
孔明が、今度は素直な感嘆の声を漏らした。
「穴という災厄の痕を、衛生、商業、そして軍事の礎に変える……。まさに、内政の充実にございますな」
「軍事?」
俺が聞き返すと、孔明は静かに頷いた。 「魔王様。地下に張り巡らされた軌道と下水道。それは、有事の際、敵に知られずに兵士や物資を転送する、最高の兵站線となり得ますゆえ」
(……なるほど)
「ゴッドリーブ。その計画、いくらかかる?」
俺が財務担当の顔を見る前にそう尋ねると、イヴ本人が、キッと顔を上げて答えた。
「ご主人様。……かかりません」
「は?」
「蟻戦争の復興予算、および、ディプロシアから(従属の証として)受け取った同盟準備金。その範囲内で、ゴッドリーブ殿はやりくりできると、既に私に根回し済みですわ」
「なに!?」
俺が驚いてゴッドリーブを見ると、ドワーフの族長は、悪戯が成功した子供のように、シワだらけの顔で笑った。
「じじいは余計なことをする生き物なんじゃよ。……なあ、孔明殿」
「左様ですな。若き覇王が『自重』なされている間に、我ら老骨が内を固めねば、示しがつきませぬ」
孔明とゴッドリーブ。知謀と技術の「古狐」二人が、俺の知らぬ間に、すでに次の戦い内政の準備を整えていた。
「……お前たちには、敵わんな」
俺は、この頼もしすぎる配下たちに、心からの笑みを向けた。
「よし、ゴッドリーブ! やれ! アシュタロトの地下に、世界が驚く第二の都市を、お前の最高傑作を、刻み込め!」
「御意!」
「孔明、イヴ! 地下が動けば、金と人も動く! 復興の次の計画を立てるぞ!」
「天下の覇者」が、今、真に力を入れるべきは、外ではなく、内。
孔明の忠告通り、俺たちは、このバブルを本物の繁栄に変えるため、全速力で内政の強化へと舵を切ったのだった。
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