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ライフワーク

 蟻戦争はこのように終結した。


 市民には大きな被害はなかったが。代りにアシュタロトの街には至る所に穴がいていた。


 蟻の軍団が掘った穴であるが、それを埋めるのに一苦労した。


 俺はドワーフのゴッドリーブに穴を埋めるように指示したが、翌日、彼はその穴のひとつを有効利用しようと提案する。


「有効利用とは?」


「蟻の掘った穴のすぐ横に温泉の源泉を見つけた。

それを掘って地上まで運び、大衆浴場を作りたい」


「それは悪くない。ローマの大衆浴場のようなものか」


「ローマは知らないが、市民の憩いになる」


「分かりました。それでは資金を捻出するので、温泉を掘ってください」


 ゴッドリーブは「御意」と立ち去るが、俺はイヴをどう説得するか悩んだ。


 財務卿であるイヴは、連日、国家の家計簿と睨めっこをしていた。


 蟻の襲撃は人的被害こそ少なかったが、街への被害は甚大だった。それを修復する予算を組まないといけない。


 それにイスマリアから大量の難民もきていた。彼らを養うのもただではないのである。


 申し訳なさそうに財務メイドに相談をすると、彼女は意外にも許可をくれた。


 理由はいくつかあるが、まず第一に、ものはついでという考え方だった。


 穴のすぐ側に温泉があるのならば、ゼロから掘るよりも安上がりである。


 それに今回の戦いで傷ついた兵士を慰労する手段にもなる。


 イヴはそれらを理由とし、大衆浴場建設の許可をくれたが、ただというわけにはいかなかった。


 イヴは俺が土方歳三とイスマリアの地下で温泉に入ったことを知っていた。彼女はずるいです、と自分とも一緒に入るように迫る。


「大衆浴場は男女別々だ」


 と断ろうとするが、ドワーフのゴッドリーブが余計なことを言う。


「家族風呂のスペースを設けた。それに市民に開放する前は男湯も女湯もない。一番風呂はふたりで入るがよい」


 イヴは軽くガッツポーズを取るが、俺は、

「余計なことをしないでください」

 と、たしなめる。


 ゴッドリーブは、

「じじいは余計なことをする生き物なんじゃよ」

 と、うそぶくと、建設作業に着手した。


 街の修復および大衆浴場の建設は、ドワーフの技師たちの独壇場であった。


 彼らのせわしない仕事を見ていると文句を言う気にはならない。


 それにイヴの言葉は冗談のようなものであろう。ジャンヌではないのだから、そのような子供じみた約束はすぐに忘れてしまうに違いなかった。


 俺も修復事業に没頭し、そのことを忘却させると、街が修復され、大衆浴場ができあがるのを待った。





 その間、数週間あったので、ジャンヌとともに街をパトロールする。


 視察も兼ねてのことだった。


 昨今、アシュタロトの街は治安が悪化しつつあった。


 理由は急激に人口が増えたからだ。各地から難民がやってきて、元から住んでいた住人とトラブルになっていた。


 先住民には色々と言いたいことがあるだろうが、難民は被災・戦災先で財産を失ったものが多い。いや、財産だけでなく、家族まで失ったものが多かった。


 そんな彼らは気が高ぶっており、犯罪に手を染めるものが多かった。


 彼らの心を慰撫し、まっとうな市民に教育するのは、街の統治者としての役割だった。


 今日も隣国から難民として移住してきた青年たちのグループを見つめる。


 彼らは昼間だというのに、働きもせずに酒を呑んでいた。


 それだけならば犯罪でもなんでもないのだが、町娘の手を引き、無理矢理酒を注がせようとするのは看過できなかった。


 それはジャンヌも同じようで、自ら飛び出す。


「お前たち、悪党のまねごとはやめるの!」


 凜々しく、美しく、清らかに。

 聖女様の宣言は格調高かったが、迫力に欠けた。


 金髪の少女は威厳よりも可憐さと可愛さに満ちているのだ。


 若者たちはジャンヌに酌をさせようとするが、怒ったジャンヌは彼らに制裁を加える。


 背中の聖剣を抜き出し、彼らのズボンのベルトを斬ったのだ。


 情けなくもベルトを斬られた若者は、両手でズボンがスレ落ちないようにしながら逃げていった。


「一件落着なの」


 鼻息荒く、勝利宣言するジャンヌ。町娘は丁寧にお礼を言ってくれた。


「あの青年たちも悪気はないのです。他の街でつらい目に遭ったのでしょう」


 よくできた娘さんだった。彼女に看過された俺は彼らにそれ以上罰は与えない。ただし、のちほど忍びに調べさせて、教育的指導はする。


 ドワーフの建築会社に就職させ、その性根をたたき直させるつもりだった。


 汗水たらして働けば、嫌な記憶も薄らぐだろうし、不健全なこともしないだろうと思ったのだ。


 これで一件落着であるが、ジャンヌは俺の手を引く。


 街角に新しい店を見つけたようだ。


 また新しい食べ物屋でも見つけたかな、最初はそう思ったが、ジャンヌが俺を連れてきた先は飲食店ではなかった。


 小さな本屋だった。

 彼女は本屋に入るとこう言った。


「魔王、魔王、プレゼントなの。好きな本を買ってあげる」


 でも、えっちなのは駄目なの、と念を押してくる。


 盛りの付いた子供ではないのだから、そんなものは買わないが、どういう風の吹き回しなかは気になるので尋ねる。


「ジャンヌがプレゼントとは珍しいな。お小遣いはすべて買い食いに費やすのに」


「舐めないでほしいの。私もたまにはプレゼントをするの。日頃の感謝を形に表すの」


「先日、買い食いに出たとき、俺の分まで食べた聖女様の言葉とは思えない」


「あれはたまたまなの。今日はちゃんと本の代金を用意したの」


 彼女は懐から金貨の入った袋を取り出す。結構な量だ。


 最初は遠慮しようかと思ったが、ここで遠慮するのは彼女の心意気に水を差す行為かと思われた。


 なので店内を見て回り、一冊だけ買ってもらうことにした。


「さて、なにを買おうかな」


 本を買うとなると俄然テンションが上がる。


 俺は本好きの魔王。一日に一冊は本を読む、活字中毒者だった。


 そのような魔王を本屋に連れてきたらどうなるか、ジャンヌは想像もしていないだろう。


 初めてきた本屋とあってか、俺は小一時間、本屋の棚を眺めた。途中、ジャンヌが欠伸するくらい書架を探った。


 その行動によって分かったのは、この本屋の品揃えは最高ということだった。


 この本屋は小説から技術書、兵学書までなんでも揃っているが、狭い店内には俺が気に入っている名著であふれている。


 まるで自分の本棚を眺めているようだった。


 うっとりと書架を見ているが、さすがのジャンヌも飽きだしたようだ。ぐずり出すよりも先に本を見つけないといけないかもしれない。


 俺は適当な本を手に取る。表紙が気に入ったものをぱらぱらめくると、それを購入する。


 買うときにジャンヌは嬉しそうに財布を出し、尋ねてくる。


「その本は?」


 俺は答える。


「この本は個人が書いた自費出版というやつだな」


「自費出版?」


「出版社や本商人の手を経ず、個人が書いた本のことだ」


「そんな本を読んで楽しいの?」


「それは分からないが、この本は面白そうだ。まず装丁がいい」


 立派な装丁をされた本を軽く握りしめる。


 その姿を見てジャンヌは「それはよかったの」というが、なにが嬉しいかは分かっていないようだ。


 まあ、これは本好きだけに分かる高揚感だった。


いつかジャンヌとも共有できるといいが、そんなことを思いながら城に帰り、本を読む。


 なかなかに面白い本で、夕食になるまで俺は読みふけるが、ふと思い出す。


「――そうか、自分で本を出版することも可能なんだな」


 読み専門だった俺は改めて出版に思いをはせると、夕食後、筆を取った。


 とある本を書き写し、写本を作るためだった。すべて手作業で自分で行う。それは執務のあとに行う恒例儀式となり、俺のライフワークともなった。

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