未来
――北方の戦線にて。
アシュタロト軍の中央を破り、騎馬部隊を北上させた永倉新八であるが、後方から敵襲の存在を察知する。
永倉は自分の馬に乗せていた姫を部下に託すと、反転し、そのものを迎え撃つ。
そのものとはかつての仲間、土方歳三である。
彼は無言で馬を走らせると、腰から剣を抜き、なんの迷いもなく永倉の首を落とそうとする。
「かつての仲間になんの口上もなく斬り掛かるとは、さすがは鬼の副長だな」
自嘲気味に漏らす。
「かつての仲間だからだ。俺たちに言葉はいるまい」
「そうだ。先日も散々飲んだしな。もう、思い残すこともなかろう」
永倉も腰の物を抜くと抜刀術を繰り出す。
歳三はそれを剣で受ける。
鍔迫り合いが続くが、どちらからでもなく、馬を下りる。
互いに馬は苦手だった。馬上で剣を繰り出す鍛錬などしていないのだ。
両者は同時に地に足を付けると刀を振り合う。
達人同士の一撃、周囲のものからは糸が舞っているように見えるかもしれない。
しかし、その糸にわずかでも触れれば身体のどこかが切り落とされるだろう。それくらいにふたりの剣術はすさまじかった。
「歳三よ、戊辰の役で別れたが、函館で剣の腕を上げたんじゃないか」
「抜かせ、お前こそ京都にいた頃より強いだろう」
「お前よりも遙かに長く生きたからな。その間に鍛錬した」
「ならばもう十分生きただろう。死ね」
横なぎの一撃を加える歳三、それを受け止めると、永倉は袈裟斬りを放った。
このように一進一退の攻防は延々と続く。
周囲のものはそのハイレベルな戦いに息を呑む。
しかし、実力が同じならば、時間が経てば必ずその均衡は崩れる。
歳三と永倉はほぼ五分の実力であったが、問題がひとつだけあった、それは永倉が歳をとっているということである。
彼は幕府が瓦解したあとも何十年も生きた。75歳までの長命を保った。
一方、土方歳三は函館で死んだ。享年34歳である。
英雄は魂魄召喚で召喚されるものだが、歳三は函館で死んだときに召喚された。永倉は晩年に召喚された。
この違いはとても大きいものだった。
34歳の男盛りの剣士と、75歳の老齢の剣士では、技術は同じでも、体力に差があった。
一時間ほど戦闘を行うと、それが如実に表れる。
永倉は肩どころか全身で息をし始める。一方、歳三は済ました顔をしていた。
歳三が10撃繰り出す間に、永倉は6撃しか繰り出せなくなる。
神業のような剣技にも陰りが見え始め、押され始める永倉。
これは誰もが勝負あった、そう思った瞬間、永倉は奇策に出る。
降伏を進める歳三の言葉を無視すると、剣を振り上げ、奇声を発する。
これが最後の一撃、と言わんばかりの渾身の一撃を放つ。
歳三は「これは腕でも切り落とさないと収まりが付かないな」そう思ったのだろう。永倉の右腕を容赦なく切り落とした。
しかし、それが永倉の狙いだったのだ。永倉は右腕を切り落とされる瞬間、腰に差していた脇差しを左手で抜くと、それを歳三の首に突き立てた。
それで喉笛を掻き切られた歳三は死んだ。
――わけではなかった。薄皮一枚のところで脇差しを止めると言った。
「これでこの勝負、おれの勝ちだな。異存はないな?」
にやりと笑う永倉に歳三も呼応する。
「なんて男だ。まったく、こんな手に打って出られたら、もはやなにも言えない。いいだろう。この場は俺が軍を引く」
歳三が負けを認めると、永倉は申し訳程度に右腕を止血すると、そのままアリーシア姫のところへ向かった。
だが、永倉はそこで絶句する。信じられない光景を目にする。
そこにいたのはハイブ・ワーカーたちに囲まれる美しい姫君だった。
蟻たちは涙こそ流していないが、全身で悲しみを表現していた。
姫はその中心で眠っていた。まるで眠るように死んでいた。
姫様の美しい死に顔を見る。まるで天使のように清らかであった。
永倉は悟る。
どうやら自分の援軍は間に合わなかったようだ、と。
魔王アシュタロトの部下たちによってアリオーシュは討たれたようだと悟る。
アリーシアは女王アリオーシュの娘、その命は一蓮托生であった。アリオーシュが死ねば、彼女の産んだ娘はすべて死ぬのである。
このようにアリーシアは死んだが、今さらではなかった。
最初から覚悟をしていた。
アリオーシュの本拠は手薄であったし、それを討伐にいったアシュタロト軍の別働隊は精強であった。
オルレアンの聖女ジャンヌ・ダルク、戦国最強の忍者風魔小太郎、疾風の弓使いロビン・フッド。
名だたる英雄が参加していたのだ。負けるのも道理であった。
しかし、ハンニバルがその命を賭して切りひらいてくれた血路を活かせなかったことには忸怩たる思いがあった。
まったく、年は取りたくないものである。
永倉はそう思い腹をかっさばきたくなったが、それを思いとどまると、偉大な将軍が忠誠を捧げた姫を抱き上げる。
物言わなくなった彼女の身体は相変わらず軽かったが、左腕一本で抱き上げるのは辛かった。部下が補助をしてくれた。
永倉は彼らに感謝すると、歳三に背を向け、きた道を南進した。
せめてハンニバルに愛するアリーシアを返そうと思ったのだ。
――いや、ハンニバルもすでにこの世の人ではないだろう。
ならばせめて一緒の墓に葬ってやろう。
そう思った永倉は、右腕から血が滴り落ちるのも気にせず、南路をひた走った。
最終幕が始める。
蟻の女王アリオーシュは倒したが、まだ戦いは終っていなかった。
蟻の軍団、ハイブ・ワーカーはアリオーシュの眷属であり、アリオーシュが死ねば栄養を補給できなくなり、死に絶える。
だがそれでもすぐに死に絶えるわけではなかった。数日の猶予がある。
蟻たちはその猶予を静かに過ごすことはせず、死に花を咲かせるために使った。
敬愛する指揮官を救うために使った。
人間の傭兵たちも同様である。
いくさの趨勢はすでに定まっていたが、ハンニバルの遺体をアシュタロトに渡すつもりはなかった。
アシュタロト軍団からハンニバルの死体を奪取すべく、永倉は軍団の残存兵を引いて敵中突破をした。
まるでモーセの十戒のように割れる軍団。
アシュタロト軍は永倉の突撃に耐えられず、道を空けると、そのまま中心地に潜り込み、ハンニバルの死んだ場所まで向かった。
そこで遺体を回収しようしている兵を蹴散らし、馬上にハンニバルの死体を乗せる。
そのまま一気に離脱を図るが、そのとき永倉の部下が尋ねてくる。
「永倉様、どこに向かうのですか」
永倉はそうだな、と、あごひげを持て余すと言った。
「未来だな」
「未来ですか?」
「そうだ。未来だ。ハンニバルは過去に生きた。地中海世界を暴れ回り、仲間に裏切られ、この世界で姫に出逢った。孫のような少女とともに生きた。姫様は現在を懸命に生きた。母親のため、部下のため、命懸けでその生涯を生きた。そのようなふたりが行き着く先は未来しかあるまい」
その言葉を聞いた部下は破顔し、「たしかにそうです」と先頭に立ち、アシュタロト軍を蹴散らした。
その後、永倉とその部下たちがどうなったは誰も知らない。
最後に彼を見た部下の報告によると、血に染まった衣服、馬まで血にまみれたその姿を見れば、とても生き延びられるはずがない、とのことだった。
歳三もかつての戦友の死を確信しているようだ。
「永倉は馬鹿者だった――」
彼は悲しみをそれ以上言語化することなく、以後、永倉新八について語ることはなかった。
こうして一連の戦役、後世、蟻戦争と呼ばれる戦役は終わりを告げた。
イスマリア伯爵が死に、その領土は奪われ、周辺諸国に大きな災厄をもたらした蟻の女王アリオーシュは死に、彼女よりも遙かに恐ろしい将軍と剣士も死に絶えた。
アシュタロト軍にも甚大な被害が及んだが、アシュタロトは民をひとりも傷つけることなく、この戦役を終結に導いた。
彼の名声は周辺諸国に響き渡ったという。
現実主義者の魔王はどのような災厄も討ち滅ぼす、民はそう彼を称えた。




