縦深陣形
このように中央の戦線でハンニバルを圧倒すると他の戦線でも変化が起こった。
まずはスライムのスラッシュを援軍に送った北部戦線。ここで戦局が覆る。
兵が倍増した北部戦線は敵を押し込め、蟻を地下に押し戻す。
すると余裕が出た西部戦線にも兵が向かい、そこでもこちらが有利になる。
さらに元から優勢だった西部戦線もこちらの勝ちが濃厚に。
それを察した俺は風魔小太郎率いる忍者部隊にある指令を与える。それは極秘なので誰にも話さないが、その大胆な作戦は横にいたイヴを驚愕させた。
さて、このように各戦線で圧倒し始めるが、敵もさるもの、南部戦線と中央戦線が再び膠着を始めた。
南部戦線は敵の主力部隊ともいえるキツネ面の老人がいた。
彼らは丸一日、剣を交えていた。近寄る兵、敵味方問わず斬り捨てる始末。決着が付きそうになかった。
俺がいる中央戦線はというと、こちらも膠着まで持ち込まれた。
爆薬と魔法によって混乱を与えたが、元々こちらは寡兵、あちらは精鋭部隊。奇襲を仕掛けても圧倒まではできなかった。
ハンニバル将軍は火傷を負いながらも懸命に指揮をし、コアを破壊しようとする。
しかし、その踏ん張りもその日までだった。
翌日、南部と北部以外でいくさの趨勢が固まると、勝利した部隊が他の戦線になだれ込んでくる。
西のロビンが南部に。
東のジャンヌと北のブラウンデンボロが中央にやってくると、さすがにハンニバルは撤退を命令した。
見事な撤退だった。粛々としている上に、わずかの乱れもない。戦術の教科書にも載っていないほどの手際の良さに圧倒されるが、俺は自分の兵をまとめると。逆に侵攻を始める。
ハンニバルの籠もる地下に兵を送るのだが、反対するものがいた。
イヴである。
彼女はこのような理由で反対した。
「このいくさ、勝負はもう決まりました。御主人様は城でご観戦ください」
「城と言っても過半は燃え落ちてしまったからなあ」
のんきに言ったのは、傍観する気はなかったからである。
俺はハンニバルと直接対峙し、彼と雌雄を決したかった。
「彼のような名将と戦えるのは人生で一度だけだ。その機会を逃したくない」
俺の度しがたい性に歳三も同意してくれる。
「それは俺も同じだ。俺も早くあの爺さんと雌雄を決したい」
男ふたりの主張に、イヴは抗しきれなくなったのだろう。最後には了承してくれた。
「さて、このまま攻め込むのは既定路線だが、まだやるべきことはある。俺はここで軍をふたつに分ける。そのうちのひとつをロビンに率いてもらおうか」
「俺が?」
ロビンは戸惑うが、兵を率いるのが不安なのではないようだ。
「この期に及んでふたつに分けてどこに攻め入る?」
ロビンは尋ねてくるが、説明をする。
「蟻の女王アリオーシュはイスマリア伯爵領にいる。今ならば手薄だ。主力のハンニバルがいないからな」
「それで先ほど、風魔小太郎を派遣したのか」
「ああ、あわよくばそのままアリオーシュを暗殺してもらう」
「しかし、今は各個撃破をするべきではないのか」
「蟻の女王を倒せば蟻はすべて死に絶える。これはこちらの被害を最小限にするための秘策だ」
「なるほど、分かった。ならば兵を率いてアリオーシュの首を取ってこよう」
ロビンは納得すると、彼にジャンヌとブラウデンボロを付き従わせる。
「英雄の過半をイスマリアに派遣するのですか?」
「ああ、アリオーシュの首にはそれだけの価値がある」
「それは建前で、ハンニバルとの戦いを他のやつに譲りたくないのだろう」
歳三が冗談めかして言うが、それはある意味、俺の本心を突いていた。
歳三も歳三でキツネ面の老人との対決を他に譲る気はないようだが。
このように軍を分け、敵と対峙することになったが、追い詰められたはずのハンニバル軍はなかなかに手強かった。
地下に攻め入ってから数日で押し戻されると、地上に出てくる。
ハンニバル将軍はそのまま俺を攻めることなく、北上する。
「さすがはハンニバル将軍、俺の小賢しい作戦を見抜いているようだ」
俺がイスマリアにいるアリオーシュを狙っていると察した彼は、救援に向かうようだ。
「もっとも忠誠心からではなく、必要性からだろうが」
アリオーシュが死ねば、その娘であるアリーシアも死ぬのだ。要は彼の選択肢は限られるのである。
俺としてはその選択肢をさらに狭め、こちらの有利になるようにことを運ばせるだけだった。
アシュタロト軍とハンニバル軍の戦いの第三幕は平原で行われた。
今までは市街戦だったが、このような広い場所で用兵の妙を競えるのは僥倖なことだった。
ハンニバル軍の主体は蟻と呼ばれるハイブワーカーであるが、彼らの強さは人間の傭兵並だった。
またハンニバルの部下の人間はよく訓練されており、騎士団の騎士を想起させる。
兵の質はほぼ互角と言っていいかもしれない。
ただし、それを率いる最強の男、ハンニバル・バルカ、同じような陣形を組み、同じような兵力で戦った場合、こちらが圧倒的に不利であった。
「ハンニバル・バルカという将軍は、カンナエの戦いで圧倒的不利な状況でローマ軍を倒した。少ない自軍を巧みに動かし、倍するローマ軍を逆に包囲殲滅したのだ」
「通常、包囲殲滅するには相手よりも多数の兵がいります」
イヴが補足する。
「しかし、ハンニバルは優秀な弟に騎兵を指揮させると、軍を素早く動かすことで数的不利を補った。
相手よりも早く戦場を動き、相手よりも早く決断し、相手よりも早く敵を倒した」
「先ほどの戦いもそうでした。ハンニバル将軍は的確に戦線の状況を見て、兵力を投入、神がかり的な采配でした」
「まさしくバアル神の生まれ変わりだよ。いくさの機微を見る天才だ」
「しかし、そのハンニバル将軍と互した御主人様も最強です」
「今、ここで戦っていられるのはハンニバルの優秀な弟もいなければ、騎兵もいないからだよ。もしも、ハンニバルに優秀な機動部隊がいれば、包囲殲滅され、こちらが負けている」
「それも仮定の話です」
イヴの言葉にうなずく。
「そう、すべては仮定だ。第一幕も二幕も、一見、ハンニバル将軍が主導権を持っているかのように見えて、その実、俺が主導権を握っていた。ハンニバルには自由な裁量がない。彼は前世と同じ、後背の無能な仲間に悩まされてる」
「魔王アリオーシュですね」
「ああ、ハンニバルは彼女の一将軍に過ぎない。女王の蟻軍団は、おろかにも今、多方面に侵略軍を派遣しているらしい」
「戦力を分散させているのですね」
「ああ、その間、俺の精鋭たちが攻め入って首を持ってくれば軍団蟻は崩壊する」
「ロビン様たちならばきっと首を持ってきましょう」
「そう信じているが、問題なのはハンニバル将軍もそれを知っているということだ。彼はその命を懸けて俺の首を狙うだろう。もはや俺を殺さなければアリオーシュを、いや、その娘アリーシアを救えないと分かっているからだ。さて、歴史上最強と謳われた将軍の本気の猛攻を耐えられるかな」
自嘲気味に言ったのは、自信がなかったからである。
事実、第三幕の野戦は敵に押されつつあった。
包囲殲滅こそされていないが、軍を数百メートルは後退させられた。それほど鬼気迫るものがあるのだ。
しかし、ひとつだけ俺に有利なことがあるとすれば、それは時間だった。
俺には無限ともいえる時間がある、待てば待つほど別働隊が吉報をもたらしてくれる可能性が高かった。
一方、ハンニバルには時間がない。
この差は大きい。
俺とて謀神と呼ばれた魔王。幾人もの魔王を倒してきた武人なのだ。
負けないことに徹すれば、名将ハンニバルとて容易に付けいることは出来なかった。
俺は必死の形相で迫るハンニバル軍の兵士たちを哀れみながら、縦深陣形を取るように命じた。部下たちは一糸乱れぬ様でそれを実行してくれた。




