末期の小便
同時刻――
土方歳三はアシュタロトの城下町にある色町に入り浸っていた。
ヨシワラと名付けられた東洋風の妓楼は歳三が作ったようなものであるが、だからといって威張り散らしたり、我が物顔をしたりはしない。
あくまでひとりの客として通っていた。娼妓たちも特別扱いしないように伝えてあるが、その命令は徹底されない。
土方歳三は、前世からモテてモテて仕方ない男なのだ。京という街で取り締まりの仕事をしていたときも、あまりにもモテて、幕府のお偉いさんや部下たちに恨まれたものだ。
歳三が娼館に顔を出せば、娼館の綺麗どころが馴染みの客をほっぽり出してやってきてしまうのだから、恨まれても仕方ない。
まあ、歳三もあまり注意せず、娼妓たちに好き勝手させてしまうのもいけないのだが。
今日も歳三は妓楼にやってくると、馴染みの娼妓を呼び、膝枕をさせながら、三味線を弾かせる。
今日は女を抱く予定はない。酒もあまり呑まないようにする。
するとこの妓楼の太夫に当たるエルフの娘が尋ねてきた。
「歳様、今日は具合が悪いでありんすか?」
「まさか。ただ、なぜか予感がするんだ」
「予感?」
「今日は友が尋ねてくるような気がする」
「友ですか?」
「ああ、旧友だ。酒を呑んで前後不覚のまま会いたくない」
「なるほど、しかし、そんなことを言われると焼き餅を焼いてしまいます」
「焼き餅?」
「ええ、歳様がそのように気を遣うなんて、魔王様以外では考えられません」
「なるほどな、たしかにそうなのかもしれないが――」
と、自分でも驚きながら再確認すると、禿と呼ばれる娼妓の見習いがやってくる。
「歳三様、お客人です」
「あら、歳様、予感が当たったみたいですね」
「そうだな。これからその客を招き入れるが、酒を用意してくれ」
「分かりました。熱燗でよろしいでありんすか?」
「ああ」
と言うと禿が小走りに厨房に向かう。
なかなか可愛い娘だと思っていると、エルフの太夫に手の甲をつねられる。
「あの子の水揚げを狙っているでしょ」
「まさか。初物は苦手だ」
と誤魔化すと、歳三は奥の間に向かった。そこで友人を待つ。
友人がくる前に酒が置かれると、ちょうどいい具合に男は現れた。
キツネの面をかぶった老人だ。
「この後に及んで面か」
「この期に及んでおれの正体を察していない男に言われたくない」
「おおむね察しているさ。お前、――だろ」
と老人の名前を言う。
老人は無言でその名を聞いた。肯定も否定もしない。歳三もあえて確かめることはなかった。
「…………」
老人はしばし無言になると、なにごともなかったかのように続ける。
「さて、まあ、おれの正体などどうでもいい。今日はちゃんと目的があってやってきた」
目的とは? と問返さなかったのはやってきた理由をおおむね察しているからだ。
「今宵はお前と末期の酒を呑むためにやってきた」
「……ふ、末期の酒か。つまり、お前はアシュタロト軍に寝返る気はないということか」
「ああ、おれを拾ってくれた主人に剣を捧げなければいけないからな」
「そいつはうちの旦那よりも男前なのか」
「美少女だよ」
「ならば比べるまでもないか。しかし、うちの旦那もそれなりに忠誠心を刺激するぜ」
「ああ、それは認めよう。もしも我が主人よりも先に魔王アシュタロトに出逢っていれば、喜んで剣を捧げていただろう」
「出逢った順番が悪いってことか」
「ああ、おれもあんたも近藤勇なんて馬鹿者と出逢ってしまったから、常に貧乏くじを引かされただろう。あんな感じだ」
「その例え話は分かりやすすぎて、今さら翻意をうながせない」
「分かっているじゃないか。ならば注げ」
とキツネ面の老人は盃を目の前に出す。
男に酌をする趣味はないが、これが最後だと思うと自然と手が出ていた。
なみなみと注ぐと、今度は老人が返杯してくれる。
ふたりはその後、一言も発することなく、酒を口にする。
南方の海上都市から仕入れた日本酒は、胃に染み入るような味だった。
あの夜、幕末の日々を思い出す。
命の取り合いに明け暮れた日々、明日、死ぬかもしれないと精一杯生きた日々、結局、幕府に使い捨てにされ、賊軍と後ろ指指されるようになった日々。
とんでもない日々だったが、歳三と老人にとって、たしかにあの日々が青春だったのだ。
歳三は懐かしむように過去と邂逅すると、朝まで老人と飲み明かした。
妓楼の酒樽が空になるほど飲み明かすと、歳三と老人は昼までいびきをかいて眠った。
昼頃、歳三が起きて部屋を見渡すと、誰もいなかった。
しばし呆然と老人が寝ていた場所を見つめると、小便をするために厠へと行った。




