夕映えのハンニバル
友人がやってくるからと魔王アシュタロト城を抜け出たはいいが、彼と待ち合わせ場所を決めているわけではなかった。
手がかりはこの街に必ずいるといったことくらいで、出逢える可能性は限りなく低い。
しかし、俺は不思議と彼と出会えない可能性を考慮していなかった。
必ずどこかで再会できる、と思いながら街を散策する。
俺は軍師が好みそうな場所。本屋などを巡りながら、老人の姿を探すが、なかなか見つからなかった。
途中、街で嬉々と買い食いをしている聖女様を見つけたが、あえて声を掛けないようにしていると逆に捕捉された。
金髪の一部がぴんと立ち、「魔王の臭いがするの」クンクンと鼻を嗅ぐ。
犬か、と思わなくもないが、実際、犬みたいなものだろう、と思った俺は諦めてジャンヌに声を掛ける。
「聖女様はお出かけ中ですかな」
「お出かけ中なの。街の平和を守るため、パトロールをしているの」
「さすがは英雄だ。しかし、その両手に持っているものは?」
「これはコロッケと焼きトウモロコシなの」
「それは知っているが、食べながらパトロールは出来ないんじゃないか」
「分かってる。だからパトロールをしながら食べるの」
「…………なるほどね」
苦笑を漏らしてしまうが、特に注意はせずにジャンヌを誘う。
「ひとつだけでいいから俺にも分けてくれ。そうだな、街の噴水広場で食べよう」
ジャンヌは「まじで!」という顔をする。
「魔王からデートの誘いとは珍しいの。雨が降るかもしれないの」
空は気持ちいいほどの青空だった。
「たまにはジャンヌと買い食いも悪くない。それに人捜しをしていたのだが、結局、見つからなかった。今日は撤収する」
「なるほどなの。まあ、願ったり叶ったりだけど、ちょっと待って」
ジャンヌはいそいそと消える。最初、化粧でも整えてくるのかと思ったが、違った。
自分の食い扶持が減ると困るので、俺の分を買い足しに出掛けるようだ。
愛する人と食べ物を分かち合うという概念がないらしい。
ジャンヌらしくて微笑ましかったので、なにも言わずに彼女の後ろに付いていくと、倍の量を買い足し、一緒に噴水広場に向かった。
噴水広場のベンチでコロッケと焼きトウモロコシを食べる。
コロッケは俺が持ち込んだ新種のジャガイモからインスパイアされた食べ物だ。
ほくほくのジャガイモに挽肉を混ぜてあげた食べ物である。カロリーたっぷりで肉体労働者に大好評だった。
俺は酢をかけて食べるのが好きだった。
焼きトウモロコシは昔からある食べ物であるが、これも俺が持ち込んだ品種を使っている。
とても甘みのある品種で、主食にはならないが、付け合わせや単独で食べるのにとても向いていた。
焼いたトウモロコシにバターを掛けて食べると、天上人になったかのような幸せな気持ちを味わえる。
事実、ジャンヌはとろんとした顔をしており、愉悦にひたっていた。
「はあ……幸せなの。極楽、極楽……」
とコロッケと焼きトウモロコシを食べる聖女様は、とても可愛らしかった。
「私の生まれ故郷はとても貧乏だったの。こんな油ぎっしゅで甘いものは食べたことがないの」
「この異世界はそれなりに食糧事情がいいからな」
ジャンヌの生まれ故郷と比較してだが、魔法がある分、冷凍保存ができたり、流通が発達していたりで、戦乱の世の中の割には美味しいものが気軽に手に入る。
「うん、もう元の世界に戻りたくないの」
ジャンヌは俺の分のコロッケまで食べ始めたが、注意はしない。彼女ほど食べ物を美味しそうに食べる少女は他にいない。自分の分くらい分け与えてもなんの問題もなかった。
ただ、さすがに全部食べられると困るので、ひとつだけコロッケを取り出すと、口に運ぶ。
この世界のコロッケはとても甘く、美味しかった。ウスターソースなどなくても十分美味しい。
魔王と聖女がコロッケに舌鼓を打っていると、話しかけてくる老人がいた。
彼は杖を突きながら歩いてくると、許可なく俺の隣に座る。
ジャンヌがむすっとしたのは、俺との間に割って入ったからだろう。
無粋な老人なの、と怒るが、俺は怒るようなことはなかった。なぜならばその老人こそが探し求める人物だと悟ったからだ。
俺はフードをかぶった老人に、コロッケを手渡すと、彼はかぶりついた。
むしゃむしゃと咀嚼する老人はコロッケを嚥下すると言った。
「旨いな。オリーブオイルを掛けるともっと旨いかもしれない」
俺はさっとオリーブオイルを取り出す。
老人はにやりとする。
「さすがは謀略の魔王、相手が欲するものを知り尽くしている」
「ハンニバル・バルカという名将は地中海世界の英雄ですから。日本人にとっての醤油がごとくオリーブオイルをたしなむと思っていました」
「なるほどな」
ハンニバルと呼ばれた老人はフードを取り外す。そこにいたのは以前、ダンケ村で出逢った老人だ。
そこで彼から軍略の書をもらったという経緯がある。
「あのときもらったハンニバル戦記は俺のバイブルです」
「役だってなによりだが、お前さんのような天才には不要だったかもな。釈迦に説法という言葉もある」
「まだまだ学ぶことが多いです。特にあなたのような名将からは」
「学ぶのはこちらかもしれんて。さて、このまま褒め殺しても仕方ないから、本題に入るが、おぬしとは近いうちに決戦をすることになるだろう」
「単刀直入ですね」
「もったいぶっても仕方ないからな。しかも驚かないところを見るとわしが蟻軍団の一味だと知っていたか」
「女神様に聞きました」
「ほう、貴殿は女神の寵愛を受けているのか」
「寵愛と言うよりも偏愛というか、贔屓にはされています」
「なるほど、普通、神々は地上のものに干渉しないものだが、お前は別なのだろう。ただ、観察しているだけで面白いからな」
「皆、買いかぶりのような気がします」
「買いかぶりなものか。このハンニバルがわざわざ会いに行くなど、スキピオ以来だ」
「ローマの英雄ですね。名将ハンニバルに土を付けた男です」
「ああ、なかなかの若造だった」
「スキピオの万分の一でも戦略・戦術に通じればいいのですが」
軽くスキピオを自分に仮託すると言った。
「さて、無駄だと分かっていますが ハンニバル殿を引き抜きたいのですが」
その言葉を聞いたハンニバルは、かっかっか、と笑う。
「馬鹿なことを言うでない」
「馬鹿なことでしょうか」
「大馬鹿なことだ。ほれ、お前の横にいる金髪の娘を見よ」
「ジャンヌですね」
ジャンヌはきょとんとこちらを見ている。
「娘よ、お前はもしも我が軍団に誘われたら、寝返るか」
「そんなこと考えることもないの。私は常に魔王と一緒」
即答する。
「このお嬢ちゃんだけでなく、あの東洋人のサムライも一緒だろう」
歳三のことだろう。
「お前たちが魔王アシュタロトを裏切らないように、わしも自分の主人を裏切らない」
「貴殿の主人はどのような方なんですか」
「我が主人は、清流に漂う絹のようなお方」
「ほう……」
「とても美しく、強い。しかし、とても儚い存在だ」
ハンニバルは目をつむると言う。
「彼女がわしをこの世界に召喚した。スキピオに敗れ、惨めに老体を養っていたわしを召喚してくれたのだ。そして生きる意味を教えてくれた。こんな老人でも頼りになると頼ってくれたのだ」
「それが主なんですね」
「うむ」
と、うなずく。
「わしだけではない。他にも多くのものが魅了されている。我らは彼女を将来の女王にしたい」
「将来の女王というと、あなたが仕えるのは蟻の女王ではない、と?」
「将来の女王だな。隠し立てしてもすぐにばれるから言うが、蟻の女王の名はアリオーシュ、我はその娘であるアリーシアという娘に仕えている」
「アリオーシュにアリーシア……」
「そのアリオーシュは地下で根付き、イスマリアの城をたったの数時間で落とした」
「それは知っています」
「しかし、蟻の繁殖力は旺盛だ。イスマリアの城だけでは足りない。近く、このアシュタロト城にも攻めよせてこよう」
「避けられないのですか」
「我が主人が女王になれば別であるが、アリオーシュは強欲、その欲望を止めることはできないだろう」
「その娘も母親の命令には逆らえない、と」
「そうだな。つまり、これは宿命だ。かつてローマを震撼させたこの俺と、この異世界を震撼させつつあるアシュタロトとの知恵合戦だ」
「避けられない対決と言うことですね」
「その通りだ。しかし、悲しいかな、俺のこの血はたぎっている。かつて戦ったことがない英雄と手合わせできると年甲斐もなく震えているのだ」
ハンニバルはそう明言すると、立ち上がる。
「いや、楽しかった。それに旨かった。このコロッケというやつは世界一旨い。帰りに買って、アリーシア様を喜ばせる。そして数ヶ月以内にこの城を征服し、それを彼女に捧げよう」
「そういうわけにはいきません。事情は分かりましたが、俺にはアシュタロトの城と部下、それに民衆を守る義務がある」
「お前には義務、わしには権利があるようだな。果たしてどちらが強いかな」
「それは分かりませんが、全力を尽くします」
俺はそう言うと立ち上がり、ハンニバル将軍と握手をする。
老人は力強い握手を返してくれた。
かつて世界最強の帝国を震撼させた男、帝国の中の帝国ローマと互した男の手はとても厚かった。いや、熱かった。
老人とは思えないほどの情熱を感じた俺は、そこはかとなく感動し、老人の手を手放せなかった。
しかし、いつまでも手を握っているわけにもいかない。
老人を解放する
と別れの抱擁をし、彼が去るのを見送った。
アシュタロトの街に夕日が落ちる。
それがハンニバルの影を長くさせた。




