女神再臨
軍団蟻の正体が分かるまで、俺はアシュタロト城の内政に注力するが、数週間の時間が経過しても、風魔小太郎から報告はなかった。
あの有能な小太郎が情報を集められないということは、敵側は相当に優秀なのだろう。
もしかしたら有能な軍師が敵にいるかも知れない。
そう思ったが、その考えは間違いではないようだ。
ある晩、眠りにつくと、俺の夢枕に女神が立つ。
俺がこの世界にやってきたときに現れた女神だ。
ときおり、夢の中に現れては俺に忠告を与える女神だ。
その晩も彼女は急に現れると、こう言った。
「やあ、アシト、久しぶりだね」
まるで親戚のお姉さんのような気軽な態度だった。
彼女はもしゃもしゃとフライドチキンを食べている。
「それは?」
と問うと、彼女は「もちろん」と微笑む。
「これはキミの街の名物、ネルサス・フライドチキンだよ。かー! 最高に美味しいよね。でも、部位によって旨さが変わるのが玉に瑕かな。パサパサな胸肉のハズレ感ときたら」
ねえ、君の権限で、胸肉禁止令を出してよ、女神は平然と言うが、魔王の権力をそんなアホなことに使うことはできなかった。
女神は、「ちぇっ」と子供のようにすねるが、すぐに元の表情に戻す。油にまみれた自分の手を艶めかしく舐める。
上目遣いで「興奮する?」と聞いてきたが、無視をすると本題に入る。
「さて、ボクはパーティー・バレルを買うためにここにいるんじゃないんだ」
「ならばなんのためにいる?」
「それはもちろん、キミに警告をするため」
「清く正しく、魔王らしく生きているつもりだが」
「キミの生き方にケチを付ける気はないよ。むしろ、さいこーだからそのまま生きて」
「そうする」
「最近じゃ、天上からキミのことばかり見ている。キミは最高の退屈しのぎだ」
どういたしまして、と言えばいいのだろうか。
迷っていると女神は用件を切り出してくる。珍しい、と思った。
「実はなんだけど、キミのところにやってきたのは、キミの窮地を救うためなんだ」
「女神様は下界に干渉しちゃいけないんじゃないのか」
「物理的にはね。でも、アドバイスくらいなら問題ない」
本当は天界とやらの掟に反するような気がするのは気のせいだろうか。まあ、怒られるにしても彼女なので深く突っ込まないが。
「というわけでキミにアドバイス。キミは今、蟻の軍団と戦っているよね」
「ああ、今、調査中だ」
「あの蟻の軍団にはふたりの英雄が仕えているんだけど、そのふたりは凄腕だから注意」
「ふたりの英雄か。それは面倒だな」
「キミには五人の英雄が配下にいるけど、全員が集合できるわけでもないし、場合によっては向こうに圧倒されるかもね」
「たしかに。しかし、どんな英雄が襲ってくるんだ?」
「それを言うこともできるんだろうけど、ずばり言っちゃうのもずるすぎると思わない?」
「思うが、こちらとしては助かる」
「じゃあ、言わない。てゆうか、どうせすぐ分かるしね」
「どういう意味だ?」
「その英雄は、今、この街に滞在している。彼らは古風な上に洒落ていてね。決戦前に相手の大将の顔を見たいみたい」
「女神様のように茶目っ気にあふれているのだな」
「そうだね。ボクと性格が似ているかも」
「ならば厄介ではあるが、根は善人ということか」
「かもしれない」
女神様は「ふふっ」と微笑む。
「ともかく、今回対峙する魔王はとても強力。キミも負けちゃうかもしれないから、そのつもりでいて」
「ああ、常に死を身近に感じているよ」
俺がそう言うと女神が遠ざかっている。彼女の声が遠ざかっていく。
「あ、どうやら時間みたい。もっとお話ししたかったんだけどな」
「またいつか話せるさ。俺が生きていれば、だけど」
「そうだね。今回の戦いもキミが勝つよ、きっと」
「根拠は?」
「それはキミがボクが選んだ魔王だからさ」
「本当のところは?」
「同僚と賭けをしていて、キミに今月のお小遣いをすべて賭けた」
とんだ不良神様だと思ったが、口にはせず、代わりに感謝を述べる。
「核心には触れてくれなかったが、貴重な情報は助かる。朝、起きたら件の英雄を探し、コンタクトを取ってみる」
「それがいい。決戦前に顔を合わせる最後のチャンスだ。あ、ボクが英雄の存在を伝えたとは言わないでね」
「考えておく。ところで最後に女神様に言いたいことがあるんだが」
「なになに? まさか愛の告白?」
「違う。女神様、口の周りにべったり油が付いている。拭いたほうがいい」
見れば女神には先ほど食べたネルサス・フライドチキンの油が付いていた。
女神は紙ナプキンでそれを拭くと、「じゃあね~」と次元の狭間に消えていった。
朝、目覚めると当然のように女神様はいなかったが、ベッドの横にくぼみがあり、人肌のぬくもりを感じた。
一瞬、またジャンヌが勝手に入ってきたのかと思ったが、違うようだ。ジャンヌならば抜け出したりはせずに朝までここにいるはず。
女神の存在を感じたが、愛おしげに思ったりはしない。
どこか愛嬌のある女神様は、異性というよりも妹に近い。
ジャンヌやイヴよりも近しい存在に感じた。
――もっとも、本当に彼女が妹だったら、それは騒がしい毎日になることだろうが。
そのように昨晩の邂逅をまとめていると、コンコン! とイヴがノックをする。銀のワゴンに紅茶と朝食を乗せてやってきたようだ。
俺は麗しのメイド様に朝の挨拶をすると、今日一日の予定をキャンセルする旨を伝えた。
イヴは一瞬、驚いたが、拒否することはない。
ただ、理由を尋ねてきた。
俺は明快に答える。
「今日は遠方から、友人がやってくる。彼と軍略を語り合いたいんだ」
俺の言葉にイヴは微笑む。
「それでは一日、楽しんできてくださいませ」
イヴの笑顔は朝の清浄な空気と相まって、まるで宗教画のように美しかった。




