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ハニーマスタード・ソース

 蟻の軍団に占拠された伯爵の城を脱出した俺たち。


 即座に自分の陣に戻ると、撤退を命令する。

「一気呵成に襲いかからないのですか?」

 イヴが訪ねてくる。


「相手の戦力も目的も分からない今、無闇に攻撃するのは下策」


「御主人が常日頃からおっしゃっている孫子ですね」


「そう、敵を知り、己を知れば百戦危うからず。いったん、兵を引き、蟻たちの目的、指揮系統などを知りたい」


「それには風魔小太郎様でしょう」


 そう言うと風魔小太郎が現れる。


 俺は彼に調査を命令すると、小太郎は無言で消え去る。


「あとはこのお姫様ですが」


 いまだに眠っているジェシカを見るイヴ。


「ご令嬢はしばらく城下で面倒を見る。使用人も付けよう。彼女は伯爵領の継承者だからな」


「継承者ということは伯爵はなくなったのでしょうか」


「おそらくは。あの傷ではな」


 軽く黙祷を捧げる。が、それもわずかだった。生きている俺にはやることがたくさんあった。


「まずはジェシカお嬢様専用の護衛を組み、城下にお連れしろ。その間、俺たちは粛々と後退する。敵の追撃を受けないように」


「御意」


 さっそく手配を始めるイヴ。


 他の幹部たちも自分の部下に撤収を伝える。


 このようにアシュタロト軍はイスマリア伯爵領から撤退することになった。





 一週間後、無事、全軍をアシュタロト城に帰還させると、イスマリア城に現れた蟻たちの正体が判明した。


 風魔小太郎が粛々と説明してくれる。


「やつらの種族は軍団蟻。ハイブワーカー。古来よりこの大陸の地下に住む種族だ。人間とも魔族とも交わらず独自の進化を遂げた」


「独自というと?」


「蟻そのものの世界だな。女王蟻を中心に組織を作り上げている」


「ではその女王蟻を倒せばやつらを駆逐できるのか」


「女王蟻を倒さねば駆逐できない、と言ってもいい」


「なるほどな。それは厄介だ。女王蟻はどこにいる?」


「それは分からない。軍団蟻は常にハイブと呼ばれる巣を移動しているのだ」


「常に移動? 地中に住んでいるのだろう?」


「そう、地中の中を常に移動している。おそらくではあるが、イスマリア城の地下にハイブを作り、侵略する機会をうかがっていたのだろう」


「――となると」


 俺は軍議の間の床を見つめる。

 その奥。遙か地下を想像する。


「今、この瞬間、やつらはアシュタロト城の地下にもハイブを張り巡らせている可能性もある、ということか」


「そうだな」


「早急に調査出来るか?」


「可能だ。というかやっている」


 コボルト忍者のハンゾウを地質調査にうかがわせているらしい。


「さすがは小太郎だ」


 と締めくくると、調査結果が上がってくるまでの間、施政者としての義務を果たすことにした。


「蟻の女王の位置が判明するまで、内政に力を入れる。武官は各自、兵の鍛錬を怠らせぬように」


 歳三、ジャンヌはうなずく。


 ロビンだけ手持ち無沙汰にしていることに気が付いた俺は、彼の名を呼ぶ。


「ロビン・フッドには弓部隊を率いてもらう。後日、各隊から弓の腕に覚えがあるものを引き抜き。部隊を組織してくれ」


「承知」


 と不敵に微笑むロビン。


 その笑みを見て安心する。ロビン・フッドは異世界の西洋最強の弓使い。きっと素晴らしい弓部隊を組織してくれるだろう。


 武官全員に訓示を飛ばすと、次いで内政に取りかかる。


「弓部隊は案外コストが掛かる。弓を作るのは高いし、矢もただじゃない」


「町を発展させ、財政を豊かにするのですね」


「ああ、海上都市ベルネーゼとの貿易で豊かになったが、まだまだ発展の余地はある。さて、この前、別の大陸から取り寄せた新種のジャガイモなんだが」


「ああ、あの美味しいお芋ですね」


「農家に種芋を配ったはずだが、評判はどうだ?」


「農家の皆様は育て、口にされているようですが、市場には出回っていません?」


「どうしてだ?」


「厭な噂がはびこっていまして」


「厭な噂?」


「はい。ジャガイモには毒があると言う噂が」


「なんだそりゃ、いい加減な。たしかに芽の部分にはあるが、それ以外は栄養満点、最高に旨い食材なのに」


「たしかに。城ではよく出しますが、皆さん、残さず平らげます」


「イヴのハッシュド・ポテトは絶品だ」


 しかし、新しいジャガイモを見たことがない市民には未知数の食べ物らしい。困ったぞ、と頭をひねる。


「新種のジャガイモは花が毒々しいからな。それに芽を食べたものが誤解し、そのような噂がたったんだろうな」


「左様に存じます」


「それでは久しぶりに謀略を使うか」


「謀で解決するのですか」


「ああ、謀略の魔王だからな。さて、イヴよ、郊外にある大規模農家、ジャガイモを栽培している農家にジャガイモ畑に柵を作るように命令するのだ。いや、ゴブリンとオークの人足を出し、柵を作る協力をしろ」


「それは簡単ですが、なぜそのような? 柵などしなくてもジャガイモが盗まれる心配はありません」


「だろうな。しかし、市民の間にこんな噂を流せばどうなる? 大規模農場にある新しいジャガイモはとても旨いらしい。毒があるという噂は貴族たちがジャガイモを独占するために流しているのだ。それを証拠にジャガイモ畑には柵があるじゃないか、と――」


「なるほど! 引いても駄目ならば押す作戦ですね」


「ああ、口で説明しても無理ならば、人間の欲に語りかけるまでさ。柵にはわざと手薄なところを用意しておけよ」


「ジャガイモを盗んだ不届きものが勝手に『これは旨い』と宣伝をしてくれるわけですね」


「正解。草の根から噂をまき散らせる」


 俺がにこりと言うと、イヴは深々と頭を下げた。


「さすがは謀神でございます。その知謀は魔王の中でも一番でしょう」


「だといいのだがね。さて、それではさっそく実行してもらえるかな」


 再び頭を垂れると、イヴは俺の作戦を実行する。

 一週間後には結果がもたらせる。


 イヴは喜びを隠しきれない表情で俺の執務室のドアを叩いた。


「御主人様、さっそく、市場にジャガイモが置かれていました。黒山の人だかりです」


「さっそく噂が広まったようだな」


「はい。なんでも極楽浄土の食べ物で、食べれば天国に行けると噂しあっています」


「魔王的には天国など行きたくないのだが、人間たちはそうではないのだろうな」


「はい」


「それではダメ押しをするか」


「ダメ押しですか?」


「ああ、実はドワーフのゴッドリーブ殿に頼んで移動式の屋台を作ってもらった」


「まあ、手際のいい」


「ああ、そこでふかした芋とポテトフライを提供する。新種のジャガイモにバターを掛けて食べると最高なんだ」


「それは素晴らしいですね」


「うむ。バターだけでなく、塩辛やチリ・パウダー、ハニーマスタード・ソースなんかも用意する」


「付け合わせにオニオン・フライなどもいかがでしょうか」


「最高だな。さすがはアシュタロト城のメイド長」

 賞賛するとイヴははにかむ。


「さて、視察に行きたいところだが、問題がひとつだけある」


「問題ですか? もしかして書類のことでしょうか?」


 見れば俺の机にはうずたかく未決済の書類が溜っている。イスマリア城に行っている間に滞った決裁書だ。


「それもあるが、書類は一晩あれば終る」


「さすがは御主人様です。では、なにが問題なのですか?」


 改めて尋ねるイヴに、俺は返答をする。


「それはこの手のイベントに聖女様を連れて行かなければ、一生、愚痴愚痴言われるということだ。申し訳ないが、ベッドで涎をたらしている聖女様を起こして連れてきてくれないか?」


 その答えにイヴは苦笑する。


「でも、たしかにそうかもしれませんね。分かりました。ジャンヌ様を起こして参りましょう」

 イヴがそう言うと、三〇分後、ジャンヌが現れる。さすがに目やにこそ付いていなかったが、髪型はいつもと違った。結ばずにだらんとしている。髪を結ぶよりも食欲のほうが勝っているのだろう。


 ジャンヌらしいので指摘もせずに言う。


「さあて、それではメイド長様と聖女様を引き連れて市場に行くか。そこでポテトフライを食べよう。朝食だ」


 ジャンヌは「やたー!」と跳ね回るが、すぐに顔色を変える。


「は! しまったの。実は朝食を食べてきてしまったの」


 だから30分も掛かったのか。軽く呆れるが、こう諭す。


「ならばこれが昼飯だな。昼飯を食べなくて済むくらい食べていいぞ」


 その言葉にジャンヌはなにを言っているの? 的な顔をする。


「お昼ご飯はまた別なの。ジャガイモはおやつなの」


 ジャンヌは平然と言うと、俺の手を引く。


 俺とイヴはジャンヌの底なしの食欲に呆れながら、一緒に市場に向かった。


 そこで三人、仲良く揚げ芋を食べる。俺はバターと塩から、イヴはマヨネーズ、ジャンヌはチリ・パウダーをふんだんに掛けた。


 気の合う女性と食べるジャガイモはとても旨かったが、あまりロマンチックではないと思った。そのうち彼女たちを大きな街の高級レストランにでも連れて行ってやりたいと思った。


 そのことを口にすると、ジャンヌは反論する。


「魔王と一緒に食べる食事が、この世界で一番贅沢な食べ物なの。魔王と一緒にいれば寒空の下だってそこが最高のレストランなの。三つ星なの」


 なんのてらいもなく言う様にこちらのほうが気恥ずかしくなってしまったので、俺はふたつ目の芋フライを注文すると、それをジャンヌに手渡した。


 彼女は聖なる微笑みをたずさえながら、芋フライにハニーマスタード・ソースをたっぷり掛けた。


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