男の料理
老人はなんの躊躇もなく仮面を取ったが、そこにいたのは想定外の人物であった。
キツネ仮面の下から現れたのは、ひょっとこの仮面であった。
「なんじゃ、そりゃ」
歳三は少しずっこけ気味に抗議する。
「仮面を脱いだだろう」
「お前は一休宗純か。とんちなど言いおって」
「かっかっか、そうだ。とんちだ。だが、焦るでない。いつか必ずこの仮面も取ろう。しかもそのときはそう遠い未来ではない」
「…………」
歳三が沈黙したのは、そのときこそ剣を交えるときかもしれない、と思っているからだろうか。神妙な面持ちをしている。できれば俺も老人とは敵対したくなかったが、気が合う合わないにかかわらず敵対する運命にいるものというのはたしかにいるのだ。
心の中でそう締めくくると、老人に提案した。
「ひょっとこ齋どの」
「なんだね」
「湯浴みをしたら腹が減りました。一緒に狩りに出掛けませんか」
「いいだろう。この迷宮の上層部には湖があるらしい。そこでなにか食べられるものを探そう」
ひょっとこ老人はそう言うと、服を着替えた。俺たちもそれに倣うと三人で上層部に向かった。
「地下湖というと風魔小太郎が眠っていたダンジョンを思い出す」
「生憎と俺は知らない。あのときは置いてけぼりだったのでな」
「そうだった。たしかイヴとジャンヌしかいなかった」
「そうだぞ。毎回、留守役を押しつけやがって」
歳三が不平を漏らしていると湖が見える。
「でかい湖だな。地底湖というやつか」
「そうだな。いろんな生き物がいそうだ」
「そのようじゃな、お、そこにいるのは」
老人の嬉々とした声が響く、なにか見つけたようだ。
「あそこにいるのはアザラシのようじゃぞ」
「アザラシというとあれか北の湖にいるという海獣か」
「そうだ。ヒノモトだと蝦夷地に多くいる」
老人はにやりと笑うと刹那の速度で駆け出す。アザラシまで接近した老人は迷うことなく、子供アザラシに剣を突き立てる。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ー」
と鳴き声を上げ死んでいく子アザラシ。少し残酷であるが、こればかりは仕方ない。自然の摂理であると諦めていると、歳三はこんな感想を漏らす。
「せめて親アザラシのほうにしたほうがよかったんじゃないか」
その問いに老人は笑う。
「それは違う。アザラシにも限らんが、狩猟するときは子供を狙うべきだ。なぜか分かるかね?」
「子供のほうが狩りやすいからか」
違う、と首を横に振る老人。
俺は歳三の代わりに答える。
「それは親を狩ってしまうと、結局、子供も死ぬからです。子供はひとりで餌を取れない。だから狩るならば子供を狩るべきです。二匹分も食料はいらない」
「さすがは魔王だな。その通りだ」
ただ、と老人は短刀でアザラシの腑分けをしながら続ける。
「子アザラシのほうが旨いという事情もある。どのような生物もジジイは不味い」
「なるほど」
俺と歳三は同時に笑みを漏らすと、料理の準備を始めた。俺が火を起こし、歳三が鍋に水を注ぐ。男だけの料理大会が始まった。
我がメイド、イヴは旅先だろうが、ダンジョンの中だろうが、とても旨い料理を作ってくれる。常に高価な香辛料を携帯し、岩塩だけでも三種類は持ち歩いていた。一言でいえば料理の天才であった。
一方、俺は料理が苦手だった。料理をしているとつい本を読んでしまって、料理を焦がすなど日常茶飯事だった。さらにイヴと出会う前は料理など食べられればいい派だったので、あまり美食家ではなかった。
土方歳三も似たようなものだった。いや、俺よりも酷いか。彼は男子厨房に入るべからずが徹底されていた時代の男。料理の腕以前に料理をしたことがないはずであった。
そんなふたりであるからして、アザラシ料理はすべてひょっとこ齋殿に頼るしかなかった。
老人は俺たちを嘲笑するようなことなく、黙々と料理をする。
腑分けをしている老人の肩越しからアザラシを見る。
「アザラシの肉って真っ黒なんだな」
「そうだな。クジラの肉に似ているのか」
「かもしれない。食べたことはないが」
と言っていると腑分けは終ったようだ。肝臓と肺も食べるようである。
「肝臓と肺にはたっぷりとビタミンが含まれている」
老人は説明する。
さて、このように肉と内臓に別れたわけであるが、どう調理するかといえば香草と一緒に煮込むだけだった。老人は懐から草を取り出すと、それを鍋の中に入れる。次に肉を入れる。内臓は最後のようだ。
「香草と塩で煮るだけのシンプルな料理だが、香草で臭みは消える。それにアザラシの肉から出汁が出るからそれで十分旨い」
たしかに生臭い臭いが充満するが、同時に旨そうな臭いもする。モツ独特の臭いだった。
三十分ほど煮込むと、煮えてきたのでそれぞれによそう。
それぞれにたっぷりの臓物と肉を入れる。野菜がないのが寂しいが、男の料理に野菜など不要と老人は言い切る。
「野菜など食わなくても健康に生きられる」
健康体そのものの老人が言うと説得力があった。
三人は同時に鍋に口を付けると、同時に感想を漏らす。
「旨い」
「旨んめー」
「うむ」
口調や表情こそ違うが、どいつもアザラシの味に満足しているようだ。
「アザラシとはこんなに旨いのだな。クジラと獣の肉の中間といったところだ」
「そうだな。多少臭みがあるが、それを差し引いても旨い」
「懐かしい味だわい」
それぞれにアザラシの味を褒めると、お代わりを所望する。
子供アザラシとはいえ、かなりの大きさだったので、お代わりはいくらでもあった。子供アザラシには可哀想なことをしたが、彼の御魂に報いるためにも残さず食べるべきだろう。
その後、老人は懐からとっておきのものがある、と日本酒を取り出すと、歳三が「ひゅうっ」と口笛を吹く。
「料理酒として使わず、直に飲むためにとっておくとはやるじゃないか、爺さん」
「おれは戦場で傷を負っても消毒に酒を使わない男だ。酒は飲むために存在するのだ」
老人はそう宣言すると、日本酒の瓶に直接口を付ける。
注いで回るなどという上品なことはしない。三人がそれぞれに口から直接呑む。
ラッパ飲みというやつだが、ここには上品な婦人はいないため、誰も批難しなかった。
その後、三人で談笑しながら鍋をつつく。
酒が入っていることもあってか、三人は昔ながらの友人のように楽しく話始めた。
数十年来の友人のように気兼ねなく、酒を交わした。
ただ、謀略の魔王である俺だけは数時間でダウンした。酒がそんなに強くないからである。老人と歳三は俺が眠ったあとも朝までずっとふたりで酒を交わしていた。




