イスマリア伯爵
伯爵の城に入ると武器を渡すように言われた。客人に対して無礼千万である!
歳三は激高したが、それはなかば演技だった。
捕縛されるのは予見できていた。ここで武器を取り上げられないほうが意外である。
怒ってみせたのは伯爵に怪しまれないようにするためだった。
このような演技をするのは馬鹿馬鹿しくもあるのだが、世の中には馬鹿馬鹿しい演技も必要なのだ、と俺も歳三も知っていたので、終始、愚者を演じると、最後には武器を渡した。
俺は無銘のロングソードとショートソードしか使わないからいいが、歳三は普段、業物の日本刀を使っている。和泉守兼定である。当たり前であるがそのような上質の刀を渡すわけもなく、本物はジャンヌに預け、今はナマクラを腰に下げていた。それでもこの世界で日本刀は稀少なのだが。
刀を手にした衛兵は珍しそうに眺めると、衛兵の詰め所に持って行こうとした。
俺はそんな衛兵を呼び止める。
「ああ、ついでにこれも持って行ってくれないか?」
「それはなんなのですか」
袋の中に入っている物体を怪しげに見つめる衛兵。俺は説明する。
「実は俺のロングソードは呪われていてね。生きているんだ」
衛兵の顔が青くなる、たしかに魔王が持っている剣は呪われていてもおかしくなかった。
「一日一回、腹を鳴らすから、そのときに袋の中の餌を食べさせてくれ」
渡した袋がぴくぴくと蠢く。衛兵は顔を青ざめさせる。
「……食べさせないとどうなるんですか」
恐る恐る訪ねてくるが、間接的に答える。
「前にそいつの世話をしていたのは小太りのオークでね。いいやつだったが、今はスケルトン部隊に配属されている。この意味がわかるか?」
「…………」
衛兵は理解したようで、必ず餌をあげます、と首を勢いよく縦に振った。
「助かる」
と彼に礼を言うと、俺たちはそのまま伯爵がいる謁見の間に向かった。
この城の謁見の間はアシュタロト城よりも豪壮で広かった。
歳三は、
「伯爵ってたしか、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の真ん中だよな」
と尋ねてくる。
「そうだよ。公侯伯子男ってやつだ」
「その割には随分と立派だ。旦那の城とは比較にならない」
「これでも一応、魔『王』なのだがな」
自嘲気味に言う。
まあ、この世界にも色々な貴族がいて、伯爵の財力が一国の王を凌駕するとはよくあることであった。そもそも魔王は便宜上『王』と呼ばれているだけで、平均すればその領土は伯爵レベルのものが多かった。なにせ72人もいるのだ、皆が大領土を持てるわけではない。
そう説明すると歳三は納得したが、納得しないこともあるようだ。
「立派な椅子はあるが、肝心の伯爵がいないようだぞ。それともやつは透明人間なのか」
「これからやってくるのだろう」
という予測を述べると、その予測はすぐに当たる。
一際肺活量の多い従者が大声を張り上げる。
「イスマリア伯爵のおなーりー!!」
その声は五臓六腑に響かんばかりであった。我が軍の宣撫隊に誘いたいほどであったが、それは後日でいいだろう。今は伯爵に注目すべきであった。
イスマリア伯爵は壮年の男だった。冴えない男で貴族服を着ていなければ貴族には見えない。農民に見える貧相な男だった。
横にいる使者の騎士のほうがよっぽど貴族めいて見えた。
しかし、イスマリアも四〇年以上貴族をしているのだろう。言葉には迫力があった。
「貴殿が魔王アシュタロトか」
「左様にございます」
片膝は付かない。俺はあくまで魔王、イスマリア伯爵と同等の立場の人間であることを強調しなければならない。
伯爵は厭な顔はしない。さすがに外交的儀礼はわきまえているようだ。
イスマリア伯爵は席から立ち上がると、俺の手を取り言った。
「貴殿が魔王アシュタロトか、思ったよりも若いな」
「先日、生まれたばかりにございますから」
「しかし、その手腕は海千山千の領主のようだ。この俺も手玉に取られた」
「その節は小賢しい真似をしました」
「いや、気にするでない。謀略を張り巡らすは領主の勤め」
「そう言っていただけるとありがたいです」
頭を垂れる。
「そうだ。あまり気にするでない。我々は同盟を結ぶのだしな」
「それなのですが、本当によろしいのか。伯の部下には納得しないものも多いでしょうに」
立派な口ひげの男を見る。彼はぶすっとこちらを見ていた。
「無論、領内のすべてが貴殿に好意を抱いているわけではない。しかし、それはどこに対しても一緒だ」
たしかにそうだろう。普通、隣国とは仲が悪いものである。
「政治と感情は別物と言うことですね」
「そういうことだ。イスマリアの領主としては貴殿とよしみを結びたい」
「俺も同じです。不戦同盟を結びたい」
と言うと軽く微笑みを漏らし、
「思惑の一致ですな」
と続ける。
「うむ。というわけですぐにでも調印したいが、まずは貴殿を食事に誘おうか。今宵はもてなしたい」
「それは是非」
「それに貴殿に会わせたい人物がいる。それも食事の席で」
会わせたい人物? とは問わなかった。どのみち、夕食時には会えるのである。急ぐ必要はなかった。
「では、夕食まで部屋に待機していてもらうが、なにか望みのものはあるか」
ちらり、と土方歳三のほうを見るが、彼は冗談めかして「女」と、ささやく。さすがにそれを所望することはできないので、「お構いなく」と言うと、従者に案内され、部屋に向かった。
そこで歳三とは離ればなれになるが、彼とも夕食時には再会できるだろう。
客間のベッドに腰掛けると、「はあ……」と、ため息をつく。
到着するなり、斬られる覚悟もしていたので、拍子抜けではあるが、まだ気は抜けない。イスマリア伯爵は意外とフレンドリーであったが、ここから事態はどうにでも転ぶと思っていた。
しかし、さすがに長旅で疲れたのでベッドで横になる。日が落ちると同時に夕食と言っていたから、あと二時間くらいは眠れるだろう。人間、眠れるときに眠っておくべきだった。
魔王でも疲れが溜まれば判断が鈍るし、肉体的な能力も落ちるのだ。
『優秀な指導者は寝るべきときに眠るものだ』
勝手に格言を作ると、俺はそのまま眠りについた。




