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ハンニバル・バルカ

 想像通りダンケ村の人たちは盛大な宴を開いてくれた。

 村で飼っていた羊を何頭か潰し、その肉を焼いてくれた。

 森の中のキノコを集め振る舞ってくれた。

 秘蔵の古酒を惜しげもなく出してくれた。


 村特産の野菜もとても美味しい。それらを村の若い娘さんが振る舞ってくれるのだから、まるで天国にいるような気持ちになる。


 そのことを正直に言葉にすると、歳三はこう言った。


「魔王にとって天国はいいところなのか」


「さて、それは知らないが、俺が死んだらまず地獄だろうな」


「嘘に大嘘、虚言、騙し討ち、詐欺、謀略、はかりごと、策謀、あらゆる大罪を犯しているしな」


「そういうことだ。せめて地獄にもこういう料理があることを祈るよ」


 羊の肉を焼いたものを口に入れる。臭みはなく、フルーティーなタレも相まってとても旨かった。


「嬢ちゃんに数日滞在すると聞いたが、気に入った村娘でも見つけたか」


「そういうわけでもないが、歳三にはいるのか?」


「愚問だな」


 と酒を飲みながら彼は言うと、視線を給仕係の娘に向ける。彼女は頬を赤く染める。

「お盛んなことだ」


「旦那は相変わらず甲斐性がない」


 と言い合うと、互いに「たしかに」と笑った。


 宴は夜半まで続いたが、疲れているため、早めに退出すると、村長の家にある客間に泊まった。


 俺がベッドに入ると続いてジャンヌも入ってくるが、特になにをするでもなくそのまま眠ってしまう。起こすのも可哀想なのでそのままにすると俺は目をつぶった。


 翌朝、鶏も目覚めないような時間に目を覚ます。辺りは夜霧に包まれていたが、俺は迷うことなく、昨日、老人と出会った場所に向かった。


 ちょうど日が昇る時間になると切り株の場所に到着する。そこには朝霧の老人がいた。

 木の切り株に腰掛け、眠っている。

 ほぼ日の出と同時にきたのだが、老人のほうが先にきていたようだ。


 これから教えを請うというのに、師より遅れてくるとは恥である。忸怩たる思いを抱いていると、霧の老人は言った。


「遅刻を注意するまでもなく、悔いているようだな。ならば明日は時間通りにこい」

 と言い残して去って行った。


 俺はダンケ村に戻ると、村人の歓待を受けながら、歳三と碁を打ったり、ジャンヌとフリスビーをしたりして過ごした。


 その日も早く寝る。起きたのは夜中だった。日の入り前に切り株の前まで向かうのだ。


 暗闇の夜道を歩くのは大変だったが、誰にも気取られたくなかったので、蛍の光のような淡い光源を頼りに切り株まで向かうと、切り株に老人が座っていた。


 老人はにやりと微笑むと、


「また遅刻じゃな」


 と笑った。当然、教えを請うことはできない。俺は村に引き返すと、今度はさらに早く寝て、夕刻には起きた。


 歳三とジャンヌには適当に言い訳を付けると、陽がある内から切り株に向かう。


 さすがに老人はきていなかった。今度こそ先に来ることに成功した俺は、暗闇の中、老人を待つ。


 夜半、落ち葉を踏みしめる音を確認する。老人のものだった。

 先にきていた俺を見つけると驚く。


「ほお、わしより先にくるとは。その謙虚な心持ちが大事なのだ。約束通りお前に王者の兵法を授けよう」


 と懐から一冊の書物を取り出した。革張りの装丁がされた立派な本だった。

 有り難く受け取るが、それよりも実際に兵法を授けてほしいとねだる。


「それも悪くないが、今のお前に兵法を語るのは釈迦に説法のような気がする」


「まさか。霧の老人の兵法は俺を凌駕します」


「さて、それはどうかな。一年も経たないうちに最弱の魔王から周辺最強の魔王に変身を遂げた王。とっさの機転でドラゴンを串刺しにして殺す王だ。すでに兵法を極めたと言ってもいいかもしれない」


「どれも偶然が重なった産物です」


「その偶然を味方に付け、最大限利用するのが兵法よ」


「なるほど、含蓄あるお言葉です」


「よく歴史好きが、もしもあの英雄が違う場所に生まれていたら、もう少し早く生まれていれば、歴史は変わった、と『if』の話をするが、それこそ不毛なのじゃよ。そのものがその時代、その場所に生まれたのは宿命であり、必然なのだから」


「俺が貴殿と出会ったのも運命なのでしょうか」


「そうだな。これも運命だ。貴殿が魔王アシュタロトとして生まれ、わしと出会い、わしが書き記した兵法書を受け取るのもな」


「俺は貴殿の期待に応えられるでしょうか」


「応える必要はない。ありのままに生きよ。お前は天下に勇躍する宿星のもとに生まれた。放っておいてもさらに勢力を拡大し、他の強大な魔王と互して行くだろう。その強大な魔王を倒し、大魔王となれるかは定かではないが、ひとつだけ言えることがある」


「言えること? それはなんでしょうか?」


「それはわしが腹が減ったということじゃ。お前よりも早く到着しようとしたため、朝飯を食べていない」


 老人はそう言うとにんまりと笑った。

 俺は村娘に作ってもらったサンドウィッチを差し出す。


「なんと気の利く男だな。ふたり分用意したか」


「これもありますよ」


 小瓶に入れた蒸留酒も差し出す。


「完璧な心遣いだな。その気配りも名将の必須条件だ。相手の心を読めれば戦場でも役に立つ」


 と老人はサンドウィッチをあてに蒸留酒に口を付けた。


 老人とは思えない飲みっぷりであった。その後、ほろ酔い気分になった老人から、戦略のいろは、戦術の妙技、政戦両略について聞いた。


 どれも含蓄と深みがあり、聞けば聞くほど身になる言葉だった。


 俺は熱心に老人の言葉に耳を傾けたが、途中、とあることが気になる。目の前の老人の名前を聞いていなかったことを改めて思い出したのだ。


 老人は霧の老人を名乗ったが、もちろん、それは変名であるに決まっていた。


 ここまで戦略を語り合ったのだから名前くらい知りたい、そう申し出ると老人はこう言った。


「昔、昔、大昔。異世界の地中海世界にハンニバルという男がいた。彼は二六歳でカルタゴ軍の司令官になると、瞬く間にイベリア半島を席巻、ピレネー山脈を越えてガリアの地に入った」


 老人の言葉に圧倒される。


「彼は追ってきたローマ軍を煙に巻くと、アルプス山脈を越え、敵地ローマに奇襲を加えた。その数3万弱」


 たった3万人でかのローマを倒せるわけがない、とは言わない。俺は老人が誰であるか、なかば察していた。


「ハンニバルと呼ばれた男は、その後、敵地で孤軍奮闘し、強大なローマ相手にいくつもの勝利を重ねた。ティキヌスの戦い、トレビアの戦い、トラシメネス湖畔の戦い、そしてカンナエの戦いではローマ軍の指揮官のほとんどを倒すという戦功を上げた」


 戦の申し子ハンニバル。その名は俺も知っている。彼の戦略は一流であり、その戦術は神がかっている。用兵家は皆、彼に憧れ、彼の偉大さを知り戦慄する。

 かくいう俺もそうだった。そのことを正直に話す。


 老人はにやりと笑うと、

「その後、スキピオとかいう青二才に敗れたがな」

口惜しそうに言った。


「ハンニバル将軍は戦略で勝ち、戦術で圧倒しましたが、政治には無関心でした。本国と連携が取れなかった。もしも取れていれば今頃ローマはカルタゴ人のものとなっていたでしょう」


「さっきも言ったが、歴史にもしもはない。ハンニバルの戦略と戦術は極北を極めていたが、政治がお粗末だった。それだけのこと」


 ただ、続ける。


「それはこの異世界でも変わらないようだ。相変わらず政治が上手くない。だから政治も謀略もこなせる魔王を弟子にしようと本を送ったのだ」


「貴殿がハンニバル将軍であると認めるのですか」


「ああ、隠すことではないからな」


 と老人が言い切ったので、先ほどもらった本の表紙を見る。


 そこには『ハンニバル戦記』と書かれていた。著者はもちろん、ハンニバル・バルカ、目の前の老人である。


 ハンニバル老人は「それはカエサルのガリア戦記にも勝るとも劣らない名文。しかもこの世に一冊しかない。是非、読み、理解し、今後に役立ててほしい」


 そう断言すると俺に背中を見せた。


 是非、俺に仕え、その天才的な戦略を役立ててほしい、というのは贅沢過ぎる願いだろうか。


 俺はハンニバル将軍が出仕を願っていないことを悟っていたので、その言葉を発しなかったが、後年、後悔することになる。


 ハンニバル・バルカという名将の言葉をもっと聞き、その生き様を身近で見たかったが、その願いは叶うことはなかった。


 それは魔王アシュタロトにとって痛恨の極みとなった。

 後年、俺の伝記を書き記した歴史家はそう著述した。

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