霧の中の老人
ドラゴンへ捧げる供物となったジャンヌ。清らかな乙女を馬車の荷台に載せると、その荷台に大量の酒がめを載せる。ドラゴンに酒を飲ませ、酔ったところを狙う、というのが俺の作戦だった。
「ドラゴンは酔わせて退治せよ、とはどこの世界にもある伝説なんだよな」
例えば異世界の日本の八岐大蛇という巨竜も酒で酔わせて倒した。
イギリスのブリテン島を荒らしまくっていた二匹の竜も酒に酔わせて倒した。
この世界にも似たような伝承はたくさんある。ドラゴンとは万国共通でお酒に弱いものらしい。
その話を聞いたジャンヌは、
「こんな美味しくない液体で酔って倒されるとは哀れなの」
と言い切った。彼女は相変わらずお酒が苦手のようだ。
「まあ、どこの世界も酔って憂さを晴らしたい連中は多いのだろう。ドラゴンもドラゴンでストレスが大きいのさ」
なぜかドラゴンの肩を持つと森の中にある拓けた場所が見えてきた。
スカイドラゴンは山からきているようだが、森の拓けた場所、この泉で翼を休め、村を襲撃しているらしい。
ここに酒とジャンヌを置いていけば、ドラゴンは現れるだろうとのこと。
たしかにこの場所には大型哺乳類の骨が散乱している。いかにもドラゴンがやってきそうな場所だった。
このような場所にひとり、ジャンヌを置いていくことは気が引けるが、俺たちがいればドラゴンも寄りつかないだろうと心を鬼にする。距離を取る前にジャンヌと言葉を交わす。
「さっきも言ったけど、ドラゴンがやってきても抗戦せずに南東に逃げること」
「分かった。一刻も早く魔王と合流する」
「いい子だ」
と口で言うが、ジャンヌは口だけでは足りない、という顔をする。仕方ないので彼女の頭を撫でる。
彼女は大型犬のようにトロンとするが、さて、竜がやってきたときに本当に俺の指示に従ってくれるか、未知数であった。
未知数であったが、この場に俺がいたらやってくるものもやってこないだろう。歳三と一緒に南東に向かう。
道中、同じような心配をしていた歳三が尋ねてくる。
「あの嬢ちゃん、見かけによらず喧嘩っぱやいからな。俺たちの援軍を待たずに戦闘を始めるかもしれないぞ」
「その計算もしてある。理想としては南東に逃げてもらって遭遇戦にしたいが、ジャンヌが戦っているあの泉で戦ってもいい」
「どのみち、俺たちの勝利は疑いない、というわけか。さすがは旦那だ」
「そこまで計算しているわけじゃないがな」
実際、俺はドラゴンと戦ったことがない。ワイバーンとは何度も戦ったことがあるが、本物の竜とまみえるのは初めてだ。俺の住んでいた世界には竜などいなかった。
「歳三の住んでいた世界には、龍という化け物がいたらしいが」
「いたらしいな。爺様と婆様が龍神神社によく行っていた。俺自身は見たことないがな」
「なるほど。どこの世界も龍は稀少なものなのだな」
と結ぶと、前方に切り株を発見する。そこに座ろうかと思ったが、切り株はひとつしかなかった。歳三は年長なので譲ろうとするが、「年寄り扱いするな」と怒られた。
それに、と歳三は続ける。
「あんたは俺の主人にして魔王だ。ここは魔王が座れ。俺の席は俺が用意する」
と言うやいなや腰から一閃が走る。切り株の横にあった巨木が倒れる。歳三は居合抜きで巨木を切り倒したのだ。
歳三はその剣技を誇るでもなく、新しくできた切り株に座ると、竹の水筒を口に付けた。中は酒のようだ。
ドラゴンと戦う前に酒とは剛毅である。この男もドラゴンと変わらないな、そう思いながら俺は村人が入れてくれた水を飲んだ。
切り株に座ってジャンヌの合図を待つ。ドラゴンが出現したら持っている護符を握りつぶしてもらう算段だった。
俺が作った特製の護符で、握りつぶすと対になっている護符が光る仕掛けである。
「旦那は器用だな」
と歳三は言うが、まあ、魔術師ならば誰でも作れるような代物だった。
以後、俺と歳三は沈黙して待つが、なかなかそのときはやってこなかった。
遅いな、心の中でそう漏らすと、周囲の雰囲気が変わったことに気が付く。
辺りが霧に包まれたのだ。数メートル先も見えなくなる。
「これは不味いな。ジャンヌと合流できないかもしれない」
「逆に言えばドラゴンもやってこられないのではないか」
「そうかもしれないが」
しかし、なんで霧が出てきたのだろう。先ほどまでそのような気配は一切なかったのに。
歳三に確認しようとするが、それはできなかった。
先ほどまで隣にいたはずの歳三がいなくなったのである。
これは怪異か。
そう思って歳三の名を呼ぶが、彼は遠くから「小便」と言った。
安心するが、その安心もいつまでも続かなかった。
前方から人の気配を感じたのだ。もちろん、歳三ではない。誰か別の人物だった。
俺は腰に吊していたロングソードの位置を確認する。もしかしたら敵襲かと思ったからだ。
しかし、不思議なことにその柄に手を触れる気にはならなかった。
霧の奥の人物は剣の達人に思えたが、不思議と殺意を感じなかったのだ。
そんな考察をしていると男のほうから話しかけてきた。
その声は老人のそれであったが、奇妙なほど生命力に満ちあふれていた。




