イスマリア伯爵の使者
アシュタロト城の内政を充実させていると、ある日、俺の元に使者がやってくる。隣国の使者だった。
どこかで見たことがある使者だ。そういえば俺がこの城で生まれてから初めてやってきた使者だった。
居丈高で立派な皇帝髭が特徴的の老騎士が、最初にあったときと同じように偉そうに言った。
「魔王様におかれましてはご機嫌麗しく……」
最初に会ったときより言葉遣いが丁寧なのは、俺の勢力が伸張したからだろう。今やその領土の大きさは彼の仕える伯爵をしのぐ。
国力差に応じて不遜な成分は減っているが、それでも老騎士は生まれつき頭が高いタイプなのだろう。それに俺にはめられたことも忘れていないようだ。釘を刺してくる。
「このたび、ワシはイスマリア伯爵の名代としてきた。先日は見事に騙されたが、先日のことは水に流してやろう。以後、互いに駆け引きをするようなことはなく、対等な外交関係を結びたい」
騙すとはイスマリア伯爵に下る振りをして、魔王サブナクと戦わせたことを指しているのだろう。やはり根に持っているようだ。
そりゃそうか。結局、あの一戦でイスマリア伯爵の戦力は疲弊し、その間、俺は魔王サブナクを倒し、急成長を遂げた。
最初にした下るという約束も有耶無耶にしてしまったし、恨むな、というほうが無理である。しかし、そのような相手から「同盟」の申し出がくるなど、意外であった。
思わず真意を確かめてしまう。
「イスマリア伯爵は俺を恨んでいると聞く。俺を表裏比興のものと唾棄しているという噂を聞くが」
「もちろん、我が主は誇り高いお方。貴殿の裏切りに憤慨しておられる。しかし、それでも伯爵は万民の指導者でもある。昨今、貴殿の領内にある水源を巡って民同士が争っている。その争いをこちらに有利なように調停してくだされば、すべての一件はなかったことにし、「不戦同盟」を結びたいとおっしゃられている」
「ふむ……、水の利権か」
とイヴのほうを見ると、彼女はこくりとうなずく。
「たしかに伯爵領との間にそのような案件が持ち上がっています。今はまだ武力衝突に発展していませんが」
「そのうちなるかもしれないということだな。……よし、いいだろう。その水の利権、伯爵領側に渡そう」
「おお、誠か!?」
老騎士は髭を震わせる。
「誠だ。先日の借りもあるし、そもそも俺は伯爵と対立したくない」
「我が主人が聞けば喜ぶことだろう」
「ああ、是非、よしみを結びたいと伝えてくれ」
老騎士はこくりとうなずくが、こう続ける。
「よしみを結ぶのは結構だが、その証のために玉体を我がイスマリア領までお運びくださらぬか?」
「イスマリア領に?」
「主人が是非、一緒に酒を飲み交わしたいと言っておる」
「渡される酒は毒酒かな」
と老騎士に聞こえないよう言ったが、イスマリア領に訪問する旨を伝える。
それを聞いた老騎士は満面の笑顔を浮かべ、頭を下げた。
交渉をまとめた老騎士は、そのまますぐアシュタロト城を出立し、イスマリアへ帰還する。
その様子を城の窓から眺めていると、イヴは控えめに提言してくる。
「御主人様、イスマリア領訪問ですが、イヴは反対にございます」
「どうしてだ?」
「毒酒を飲まされるからです」
「なんだ、イヴには聞こえていたのか。さすがは魔族だな」
冗談めかして笑うが、イヴはつられて笑うことはなかった。
「あの老騎士は謀をするタイプではないよ。頭は高いが根が単純だ」
「そうでしょうが、その後背にいるものはそうではないでしょう。伯爵は必ず御主人様の命を狙います」
「だろうな。俺が伯爵でもそうする」
「みずから虎口に飛び込むつもりですか?」
「ああ、今ならばその虎の歯が抜け落ちた部分を知っているからな。そこにすぽっと挟まってやり過ごすつもりさ」
「やり過ごしたあとはどうするのですか」
「そのあとはイスマリア伯爵に信義がないことを宣言し、逆に攻め入るのもいいかもしれない。一気呵成に滅ぼしてしまうのもありかもな」
「敵の策にあえて乗り、その策を逆用して大義名分を得る、ということですか」
「一言で言うとそうなる」
その言葉を聞いたイヴは、大きくため息をつく。そのため息には不安や不満の成分はなく、感嘆の成分しかなかった。
「さすがは御主人様です。まさに謀神でございます。このイヴの心配など無用にございました」
「いや、心配してくれて嬉しいよ。俺とていつも最善を選択するわけではないからな、今後も忌憚なく意見をくれ」
「御意」
と微笑むイヴ。
彼女のように聡明で献身的なメイドは貴重である。俺は謀神と呼称されているが、はかりごとの神と呼ばれても失敗することはあるのだ。
良い君主とは有能な家臣を多く集め、その進言を聞くことだと思っていた。家臣たちが発言しやすい環境を作ることだと思っていた。
自分ではその環境を用意できていると思っていたが、部下が俺に萎縮したり、あるいは俺を信頼し過ぎてなにも発言しなくなる、ということは十分考えられた。
なのでイヴのようにどこまでも俺を心配し、不審な点を指摘してくれるのは本当に有り難かった。
彼女のようなメイドを持てて幸せであるが、ひとつだけ欲を言えばイヴのような存在がもう少し欲しかった。
俺の配下には、新撰組副長土方歳三、オレルアンの乙女ジャンヌ・ダルク、人狼のブラウデンボロ、鬼謀の軍師諸葛孔明、土のドワーフ族の族長ゴッドリーブ、戦国最強の忍者風魔小太郎、などがいるが、政治を相談できる相手が少なすぎた。皆、武力一辺倒か、内政一辺倒か、謀略一辺倒の存在だった。
イヴのように戦略や政略に詳しい人材が不足しているのである。
是非、イヴに負けない人材を揃えたい。
ただ、戦略家というものは得がたい人材である。早々簡単に得られるものではない。だから俺は今いる戦略家を大切にするべきだと思った。
イヴに尋ねる。
「休暇と給金どっちがほしい?」
彼女が欲しがるものを与えて機嫌を取ろうかと思ったのだが、そのもくろみは失敗する。
彼女は涙目になりながら、
「なにかわたくしは粗相をしましたでしょうか」
と言った。
イヴは一分一秒たりとも俺の側を離れたくないらしく、彼女にとって休暇は地獄の責め苦も同義なのだとか。
給金のほうも無償の奉仕をなによりも尊く思い、逆に彼女がお金を払いたいという始末。
この世界で一番の忠誠心を発露させるメイドさんにそこはかとなく感動した俺は、城下町におもむき、彼女のために花を買った。
また花とはワンパターンだと自分でも思ったが、朴念仁である俺には他に女性に謝意を伝える術を知らなかったのである。
幕末一のプレイボーイである土方歳三あたりに相談すれば、押し倒して接吻でもしろ、というのだろうが、草食系魔王としては難易度の高い行為だった。
肉食系魔王になるのはもう少し先でいいだろう。そう思った俺は、贈った赤いバラを嬉しそうに花瓶に活けるメイドさんの後ろ姿を見つめながら、イスマリア領に向かう人選を進めた。




