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ダゴンの肝臓

 炎に包まれ、もだえ苦しむ巨人。

 後背を突かれ、陣形を乱すダゴンの軍隊。

 勝敗は一気に決したかと思われたが、そこまでは甘くなかった。


 生き残った苔の巨人たちが、主であるダゴンに覆い被さると、自身に含まれた水分を使って炎を消す。


 俺はそれを黙って見守っていた。先ほどの魔法に渾身の力を込めたため、二撃目を打ち込めなかったのだ。


 それに魔術師に専念しているわけにもいかない。ベルネーゼの軍隊を指揮しつつ、後背を突いてくれた諸都市の援軍も導かなければいけない立場だった。


 まずは味方が現れたことをジャンヌと歳三の部隊に伝え、士気を向上させる。押され気味だった彼らが盛り返すのを見計らって、リョウマに伝令を送り、挟撃する。

 すると先ほどまで苦戦していた敵軍を次々と壊滅させる。


「素晴らしいお手並みです。御主人様」


 とはイヴの言葉である。


「敵とて背中に目があるわけではない。後背を突けばこうなる」


「しかし、敵陣に引き込んだのは御主人様の手腕です」


「俺の死んだふり、上手かったか?」


「はい。本当に死んだかと思いこのイヴの胸が張り裂けそうでした」


 心臓を抑えるイヴ。


「それは困るな。本当に死んだらイヴには墓を作ってもらおうとおもっているのに」


「御主人様は無敵です。死ぬことはありません」


「良い言葉だ。遺書にそうしたためておくか」


 そう戯けると俺はロビンを見つめる。


 彼は先ほどの場所でただ呆然と宙を見ていた。恋人の死はそれほどの衝撃だったのだろう。


「気持ちは分かりますが、あのままですと敵の良い的です」


「だな。戦えとは言わないが、後方に下がって欲しいが……」


 そんな希望的な観測を漏らすと彼の足下に緑色の体毛の生き物がいることに気がつく。


 ロビンがスゥと呼んでいる生き物は、主に寄り添うように立っていたが、俺たちと同じ結論に達したのだろう。肩にのぼるとロビンの目を拭った。


 それで自分が戦場にいることに気がついたロビンは再び弓を持つと、ダゴンに狙いを定める。


 彼の闘志は尽きていないようだ。いや、恋人の死を知ったことにより、より深くなったのかもしれない。


 尋常ならざる目でダゴンを見つめた。


 使役しているモス・タイタンの献身によって煉獄の炎から脱したダゴンは怒り狂いながらこちらを見つめていた。


 もはや海の巨人としての雄大さはない。海の恐怖のみ体現したかのような表情でこちらに向かってくる。


 ただ殺意だけが込められた一撃が俺の真上に振り下ろされる。俺はそれを避ける。


 そのままその腕を伝い巨人の身体を駆け上がるが、それに続くものがいる。ロビンである。


「アシトよ。俺はダゴンを討ち果たす。この魂魄に懸けてやつを殺す!」


 その意気はありがたかったが、このままでは燃え尽きそうであった。俺はこの弓使いの英雄に死んで欲しくなかった。


 なので俺も彼と同じくらいに殺意をダゴンに向ける。ロビンが燃え尽きる前にダゴンを殺す算段だ。


 ――そういう計算をしたが、ダゴンという魔王はなかなかに強力であった。ロビンが腕から放った数本の矢は皆、致命傷に至らなかった。


 すべての矢がダゴンの顔に深々と刺さったが、頭蓋骨の手前で止まった。


「化け物め! だが、10本で駄目ならば万の矢を刺すのみ! その矢が尽きたらこの短剣を突き刺す。短剣が折れたらこの歯で貴様の喉笛を食いちぎる!」


 とロビンは攻撃の手を緩めなかった。


 一方、俺も魔法攻撃を緩めない。火球、雷撃、水流、風刃、あらゆる攻撃を加え、ロビンを援護するが、それも巨人の前では無益なような気がした。


(この化け物を殺すには強力な一撃を急所にたたき込むしかない)


 長年の経験でそれを察した俺は作戦を変更する。

 二人がかりをやめ、ロビンにすべてを託すことにしたのだ。

 巨人の身体から離れると、距離を置き、呪文の詠唱に備える。

 禁呪級の魔法を使うのだ。

 しかしどの魔法を使う? と悩んでいると俺の耳元でささやく存在に気がつく。

 いつの間にか俺の肩に捕まっていた緑の生き物がささやく。人間の言語で。



『アシト様、あいつの弱点は肝臓です。肝臓が心臓のような役割を担っています』

 



 思わずカーバンクルを見つめてしまうが、彼女は可愛らしい小動物の姿そのままだった。


 不思議に思った俺はイヴに尋ねる。


「イブよ、今、このカーバンクルの声が聞こえたか?」


 イヴはゆっくりと首を横に振る。どうやらあの声が聞こえたのは俺だけのようだ。


「……幻聴? それとも」


 色々な考察が浮かぶが、今、カーバンクルの正体を探るときではない。先ほどの言葉を信じてダゴンの肝臓をえぐり取るのが先決だった。


 俺はダゴンを殺すため、《巨大化》の魔法を詠唱する。これは物質を巨大化する魔法だった。禁呪魔法ではあるが、本来、戦闘ではあまり役に立たない魔法である。


しかし、やりようによって隕石落としや核融合の魔法よりも強力となり得る。それを証明するつもりだった。


 しかし、この魔法は禁呪魔法の中でも取り分け時間が掛かる魔法だった。ダゴンがそれを見逃してくれるか。賭けではあった。


 そしてその賭けは失敗した。ダゴンはたかる蠅でも払うかのように無視すると、そのままこちらにやってくる。やつも魔王として俺が唱える魔法の脅威に気がついているのだろう。


 このままでは殺される。そう思ったが、詠唱はやめられない。この魔法を詠唱し終えないと勝利を得られないのだ。


 俺はイヴに離れるように視線を送るが、彼女はその場から一歩も動かなかった。


その決意に満ちた表情は俺と心中する覚悟があるかのようであったが、彼女の決意は無駄となった。


 俺とダゴンの間に立ち塞がるようにふたりの影が現れたのだ。

 それは聖女ジャンヌ・ダルクと、新撰組副長・土方歳三だった。

 ジャンヌは叫びながら聖剣の一閃をダゴンに加える。


「魔王! 助けにきたの!」


 歳三は俺の懐に飛び込もうとしていた敵の魚人を一刀で切り捨て、蹴りを加える。


「こんなところで死なれては困るな。旦那にはまだ約束を果たしてもらってない」


 約束は十万の矢玉を食らうという話であろうか。たしかにまだそのような華麗な会戦に付き合わせたことはない。


 俺は呪文を詠唱しながらわずかに顎を縦に振り、彼らの忠勇に感謝を捧げる。


「魔王、ダゴンならば私たちが五分は遮るの。その間に必殺技をぶちかませる?」


 俺は首を縦に振る。


「そいつは頼もしいが、この巨人と五分も戦えるかね」


 歳三は冷や汗をにじませながら巨人の足を切るが、ダゴンはその一撃に平然としていた。


 それを見てジャンヌは「やっぱり三分にするの」と訂正するが、こちらとしては四分が限界か。あと、四分だけ呪文に集中させて欲しかった。


 俺の雰囲気でそれを察したふたりの英雄は見事なコンビネーションで巨人に挑む。


 普段は仲が悪いのに、こういうときだけふたりの息はぴったりだった。俺はそれを口にしたかったが、口にすれば彼らはこう言うだろう。


「こんな遊び人と一緒にしないで!」


「こんな大食漢の聖女と息がぴったりなどありえない」


 と。


俺はへそを曲げる聖女とサムライを想像しながら禁呪魔法を詠唱する。すでに半分唱えたが、逆に言えばまだ半分も残っていた。


 早く呪文を完成したい。焦るが、この呪文の成否によって多くの人の運命が決まるかと思うと、慎重にならざるを得なかった。

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