第二幕
ロビン・フッドは一度に三本の弓を放つと、それを三匹の敵兵に命中させた。
海賊の男と傭兵の男と魚人の男である。それぞれ急所に命中させ、戦闘力を奪う。
その姿に一時的に与えられた部下たちは感嘆の声を漏らす。
「ロビン様の弓の腕前は太古の弓神に匹敵する」
なんでもその弓神は一キロ先の灰色熊の眉間を正確に射貫くことができたらしい。さすがにロビンにそのような腕前はないが、それでもこの場にいる誰よりも弓が上手い自信があった。
(子供の頃から弓ばかり撃ってきたからな)
ロビンは 十二世紀イングランドで活躍した義賊だ。たったひとつの弓と同じ志を持つ仲間、リトル・ジョンとタック修道士などとともに王の圧政に反抗した。
出自は不明とされることが多いが、ロビンは実は貴族の息子で、幼き頃から弓馬の練習をこなしてきた。
ある日、祖父とともに山に連れ出されたことを思い出す。
幼きロビンは祖父に「微動だにするな、白い息も見せるな」と地面に押しつけられ、三日三晩、一緒に山に籠もった。
その間、本当にまったく動かず、地虫が顔を這っても動かなかった。小便をしたくなってもその場で漏らした。
そこまでして狩りたかった生き物がいるのだ。その生き物は真っ白な牝鹿である。それを狩れば貧乏貴族であるフッド家も冬を越せると祖父に言われた。
ロビンとその祖父は三日間、物陰に隠れ続けると、三日目の深夜、そのチャンスを得る。
祖父がわずかに身体を動かし、ロビンにその存在を伝えた。祖父と孫は同時に弓をかまえると、同時に弓を放った。
祖父の放った矢はまっすぐ牝鹿の心臓を貫く。ロビンの放った矢は吸い込まれるように牝鹿の眉間に当たる。
両者、甲乙付けがたい技倆であったが、ロビンはこのとき七歳であった。
ロビン・フッドの腕前は幼き頃から抜きん出ていたのである。
糞尿を垂れ流しながら白き牝鹿を狩っていたことを思い出すロビン。あのときの苦労を思えばダゴンの兵を倒すなど、造作もなかったが、そろそろ覚悟を決めなければいけなかった。
さすがにそろそろ魔王を仕留めねば、ダゴンがロビンを疑い始めると思ったのだ。
それは魔王アシトも同じらしく、今、この瞬間に合図をする。
空に花火のような火球が上がっていた。そろそろ例の策を実行に移せということだろう。
ロビンはダゴン兵に最後の弓を浴びせるとそのまま陣地に戻った。
小高い丘の上に立つと狙いを魔王アシトに定める。
ここからならばダゴンからよく見えると思ったのだ。
ロビンは遠目からダゴンも見る。
魔王ダゴンの姿は人型である。古代の神々を巨大化させたような姿をしていた。別の世界では海の神として崇められているらしいが、この世界でも海を支配するものとして畏怖されていた。
ただ、神とはとてもいえない性格で、ロビンの恋人を人質に取る下種野郎であるが。
ロビンは遠目から巨人のような魔王を見つめる。
(恋人を取り返せば、真っ先にその目玉に矢を打ち込んでやりたい)
もっとも残酷な方法で殺してやりたいが、今、ロビンの生殺与奪の権利を握っているのはあの男である。
目下のところはやつに媚びを売らなければならなかった。
ロビンは決断を下す。弓をかまえるとアシトに狙いを定める。
彼の心臓を射すくめるように見つめる。
アシトいわく、心臓には緩衝材を入れてあり、そこを射貫いても死ぬことはないらしい、とのことだった。
そこに矢を打ち込めば、死んだ振りをし、その混乱に乗じて攻めかかってきたダゴン本体を討ち果たすというのが今回の作戦だ。
その通りにやればその間、優秀な忍者がロビンの恋人を救ってくれる予定であるが、果たしてその予定は現実のものになるだろうか。
ロビンはこの期に及んで迷っていた。
(魔王は人格者である。だが、同時に表裏比興のものだ。今回のいくさ、おれを利用するだけ利用して使い捨てる可能性もある)
アシトは冷酷な王ではないが、仲間の犠牲を少なくするためなら平然とロビンを切り捨てるような気もするのだ。
一方、このような考えもある。
(一度暗殺しようとしたおれを許してくれた慈愛の王でもある。この期に及んでおれを騙すようなことはないだろうな)
そんな考えもロビンは持っていた。
ロビンの心の中にふたつの考えが交錯していたが、結局、ロビンは腹をくくった。
ロビンは照準をアシトの心臓から額に移す。額を打ち抜くことによってアシトを殺すことにしたのだ。
理由はいくつかあるが、ダゴンとアシトが戦った場合、わずかではあるがダゴンが有利だと思ったのだ。ロビンにとって恋人であるフィアンナは自分の命よりも大切な存在、わずかでも勝率のよい方に賭けたかった。
――賭けたかったのだが、ロビンの心を揺らす人物がいる。いや、人ではなく動物か。
ベルネーゼに置いてきたはずのカーバンクルのスゥがいつの間にかロビンの側にいた。いつの間にかロビンの肩にのぼり、「きぃ」と鳴いた。
その声、その表情、その匂いによってロビンは我を思い出す。
アシトと交わした熱い握手、力強い抱擁をも思い出したのだ。
ロビンの照準は頭から、心臓へと移る。当初の予定通り、アシトを殺害する『振り』をすることにしたのだ。
あとは野となれ山となれ、という気持ちはたしかにあった。しかし、ロビンはわずかばかりも手を緩めなかった。自分の持っている技倆と力をすべて出し切り、アシトの心臓を狙った。
ロビンも豪放であるが、アシトもそれに負けず劣らずであった。
常に最前線で指揮をしながら、己の胸を敵中に晒していた。これではロビンが射貫くまでもなく、ダゴン兵によって射貫かれていた可能性もあるくらいだった。
弦をぎりぎりまで引き絞った瞬間、ロビンはアシトの評を思い出す。とある兵士が感嘆交じりに言っていた言葉を思い出したのだ。
「謀略の魔王、知謀だけでなく、勇気も最強なり。彼は敵に常に胸を晒し、味方に背を預ける。その様は謀神というよりも戦神のようである」
最初、その話を聞いたとき、大げさな、と思ったロビンであったが、こうして一緒に戦場に立てばそれが誇張でないことに気が付く。いや、むしろ控えめな表現だといえる。
ロビンはアシトほど勇猛果敢な王を他に知らなかった。
もしもこのような王と前世で出会っていれば、ロビンの人生も違った物になったのではないだろうか、そんなことを思いながら振り絞った弦を解き放った。
解き放った弦は矢を高速で射出する。弧を描くようにではなく、まっすぐ光のように飛び矢はそのままアシトの心臓に着弾する。
アシトはまるで本当に矢を射られたかのようにその場に崩れ落ちる。
ロビンは大声を上げる。
「魔王アシュタロトはダゴンの配下、ロビン・フッドが討ち取ったり! ダゴンの精鋭よ、今こそベルネーゼの兵を駆逐するときぞ!」
その掛け声に満足したのだろう。海の巨人であるダゴンも大声を張り上げる。
「魔王のいないベルネーゼの兵など、卵の殻のようなもの。握りつぶし、蹂躙せよ」
と、ダゴンはモス・タイタン三匹を従え、前線に出てくる。自分が前線に出て戦うことによってベルネーゼ軍を崩壊させるつもりのようだ。
その判断はおそらく正しい。ベルネーゼ側はアシトが倒れて明らかに浮き足立った。今、あの巨人たちの猛攻を受ければそのまま崩壊するのは目に見えていた。もしもアシトが向こう側の指揮官なら同じタイミングで攻め込むだろう。そう思った。
さて、このように戦局は変化したが、ロビンはダゴンの元へ行くと声高に主張する。
「約束通り魔王アシュタロトは討ち取ったぞ。フィアンナを解放しろ」
ダゴンはベルネーゼの兵をひとり握りつぶすと、渋面を作る。
「これは異世界の英雄のロビン・フッド殿ではないか。今回の働き、見事であった」
「自分でも見事だと思うよ。だから早く、フィアンナを返せ」
「もちろん、約束は果たそう。しかし、今、フィアンナを返すとお前は怒りそうだ」
「今さら怒りはしない。この期に及んでじらされる方がいやだ」
「そうか。ならば部下に言って我が島から運んでこよう。ただ、怒らないのでほしいのだが――」
とダゴンは告げると腕を振り上げる。最初、ベルネーゼ軍に振り下ろされるかと思った手はロビンに振り下ろされる。
すんでの所で回避したロビンは叫ぶ。
「貴様、なにをする!?」
「用が済んだから殺そうとしたまでよ。お前が真実を知れば怒り狂うこと必定だからな」
「どういう意味だ!」
と問いただすと、代わりに答えたのは魔王アシトだった。
彼はむくりと起き上がると心臓に突き刺さった矢を抜き去り、叫んだ。
「今、風魔の小太郎から連絡があった。……残念ながらフィアンナという娘はすでにこの世の人ではないらしい」
その言葉を聞いたロビンは顔を青ざめさせる。
「なん……だと……」
「フィアンナという女性は一年以上前に死んでいる。ダゴンに掴まってすぐに自殺したんだ」
「なぜだ! なぜ、彼女は自殺した!」
「それは彼女にしか分からない。が、想像はできる。おそらく彼女はお前の重荷になりたくなかったのだろう。自分を人質に取られ、意に沿わぬ人殺しを強いられるお前を見たくなかったのだろう」
「……馬鹿な。有り得ない。生きていれば今頃、彼女を抱擁できていたはずなのに」
その切実な嘆きにダゴンは悪意を投げかける。
「馬鹿な女だ。あの女は食事を持って行っても一口も口を付けなかった。最後は衰弱死だ。まったく、これだから人間は救いがたい」
「救いがたいのは貴様だ!!」
とロビンは血のような涙を流しながら弓をかまえる。
海の巨人に向かって矢を放つ。
その矢は巨人の目ではなく、手のひらに突き刺さったが、巨体を持つダゴンにとってその矢は針が刺さった程度のダメージでしかなかった。
「お前にはワシは殺せん。お前は暗殺者としては有能だが、魔王を殺す才能はない。ただの便利な道具にしか過ぎん」
と、蠅でも叩き殺すかのような一撃を加えようとするが、それは魔王アシトによって防がれる。
ロビンに寄り添い《防壁》の魔法を唱えたアシトの瞳は怒りに満ちていた。ロビンのように泣いてこそいなかったが、その心は熱く燃え上がっていた。
魔王は言い放つ。
「ダゴンよ、もしもお前に来世があるとしたら覚えておけ。お前の敗因はただひとつ、俺の仲間を傷つけたことだ」
万死に値する、と結ぶと、魔力を込める。周囲に原初の魔法生物が具現化する。彼らは皆、炎に包まれていた。
その炎がアシトの両腕に飛び火すると、それらをひとつにまとめ上げ、巨大な塊にする。
《大火球》の魔法であるが、怒りに燃えたアシトの大火球は、尋常ならざる威力となっていた。海の巨人であるダゴンを飲み込むように向かっていく。
炎に包まれたダゴンはのたうち回りながら火を消そうとするが、怒りの炎は容易に消えなかった。
こうしてダゴンの動きは封じられたが、それだけにとどまらない。東方から銃声が聞こえたかと思うと、他の都市の援軍と思わしき傭兵団が現れた。
リョウマが指揮する傭兵団は、ダゴン軍の後背を付き、次々と敵兵を屠っていった。
ダゴン軍とアシトたちの戦いはこうして第二幕を迎えた。




