カーバンクルの導き
ベルネーゼの迎賓館の外装は王侯貴族もびっくりの重厚さを誇っていたが、その内装もまた豪勢であった。
小人族の天才プロトンが描いたとされる油絵、悪魔によって石化されたのではという伝承がある女神像、館の至る所に設置されてる花瓶も有名な陶芸家が作ったものだ。
今、ジャンヌが顔を近づけている白磁の壺などは、それ一個で屋敷が買えるほどである。
なのでジャンヌの両脇を掴むと持ち上げ、離す。壊されたら堪ったものではない。
ジャンヌも元から花瓶など興味がなかったようで素直に離れてくれた。
「芸術作品など見てもお腹は膨れないの」
「腹は膨れないが、その分、心を豊かにしてくれる」
「私の胸は十分、大きいの」
と胸を反らし、自慢をしてくる。自慢するほど巨乳ではないと思うが、指摘する必要はないだろう。そのまま彼女の手を引き歩く。
俺はリョウマに質問をする。
「それにしても立派な迎賓館だな。海上都市ベルネーゼの経済力は底知れない」
「この都市には王侯貴族はいないき。無駄遣いがないから金は余ってるがぜよ」
「その余った金で必要な迎賓館を建てた、というわけか」
「迎賓館は商売に必須の建物じゃからな」
「必須なの?」
不思議そうにジャンヌが尋ねてくる。
「必須ぜよ。遠方から来た商人を持てなし、ベルネーゼには金があると知らしめればそれだけ商売がしやすくなる」
「たしかに」
かつて俺が住んでいた世界でも金の懐中時計を見せて財力をアピールする輩がいた。日本という国でも時計の文字盤よりも時計の値札にこだわる輩もいる。
皆、金回りをよく見せようと躍起になっているのだ。
「男は馬鹿なの。見栄ばかり張るの」
「否定はしないが、女も似たようなものだと思うけどな。聖女様が特別なだけさ」
そうまとめると俺たちは迎賓館のパーティー会場に入る。
パーティー会場の前には執事服を着た男がふたりおり、俺たちがくると扉を開く。
開かれた扉の先はまるで異世界のようにきらびやかだった。
立派な内装。王の間のような荘厳さ、そこにいる人々も綺麗に着飾り、貴人独特のオーラを発している。
熱気にも似た空気が伝わってくる。
「す、すごいのー。商人として参加したときとはまるで違う気分じゃ」
リョウマの言葉であるが、そうであろう。会場にいる若い男たちは皆、リョウマに釘付けになっている。
あのように美しい娘がこの海上都市にいただろうか、と噂し合っている。
やはり女性というものは化粧をし、ドレスをまとうと化けるものである。リョウマは元から魅力的な女性ではあったが、ドレスをまとうとどこぞの令嬢のような雰囲気を醸し出す。
皆、我先にとダンスを誘ってくるが、リョウマは困惑しているようだ。俺の側に逃げてくる。
俺は苦笑を漏らしながら言った。
「戦場では拳銃をぶっ放すリョウマ殿もここではか弱き女性ですな」
「あ、当たり前じゃ。わしは男と踊ったことなどない」
「ならば初ダンスの栄誉をこのアシトめにもらえますか」
と跪き、手を差し出す。
リョウマは顔を真っ赤にさせて困惑しているが、彼女を決意させるのは簡単だった。
「このままでは知らない男と踊る羽目になりますぞ。リョウマ殿とて知らない男の足を踏むより、踏み慣れた俺の足を踏む方がいいでしょう」
練習のとき、何度も踏まれたことを揶揄しているのだが、リョウマはさらに顔を赤くする。
「アシト殿は意地悪じゃ。いけずじゃ。それを持ち出されたら貴殿と踊るしかない」
「そう仕向けました。表裏比興のものの本懐です」
と笑みを浮かべると、リョウマはやっと笑ってくれた。
こうして俺はハーフ・エルフの美姫の初めてを頂戴する名誉をたまわったわけであるが、俺とリョウマが踊り出すと周囲の注目は俄然上がる。
俺には注目どころか殺意まで向けられているような気がしたが、気にしない。100近い目から殺意を向けられればどうにもならない。
黙ってリョウマと踊るが、初心者同士のダンスは意外と様になっていた。
「わしは本番に強いき」
とリョウマは破顔する。それは良いことだと褒め称えると、俺はジャンヌのほうを見る。
彼女は多くの青年からダンスを申し込まれていたようだが、全部ガン無視してテーブルの上にある料理をかき込んでいる。
美しいドレスを着た聖女が一心不乱に料理を食べる姿はシュールであった。先ほどまで恋い焦がれていた青年たちを落胆させるに十分だったが、それでもまだ諦めきれない青年は彼女の給仕となり、料理と飲み物を運んでくる。
「涙ぐましい努力ぜよ」
とはリョウマの評であるが、どこの世界も雄は努力しないと雌にモテないのは共通のようだ。
「まあ、ジャンヌの心配は不要かな。あの調子じゃお持ち帰りされることもないだろう」
「魔王殿は聖女様の保護者みたいじゃな」
「それに近いかな。いや、飼い主かも。ジャンヌはゴールデンレトリバーっぽいんだよな」
「たしかに犬みたいに魔王殿に接するのぅ」
試しにそこにある骨付き肉を投げたら、銜えて持ってくるんではないかい、とリョウマは言うが、もちろん、試さない。
確実に持ってくることが想像できるからだ。
そのことを冗談を装って話すと、リョウマは花のように笑った。
エルフの美人がそのような笑いをすると、こちらとしても見とれてしまうが、しばし彼女に見とれていると、俺の礼服の足を引っ張る存在に気がつく。
なにものだろう? と視線を足下に移すと、そこにいたのは珍妙な生物だった。珍妙というか不思議というかファンシーというか。
「こいつはなんじゃ?」
リョウマは目を丸くするが、俺は答える。
「カーバンクルだ。しかし、このような場所にいるとは珍しいな」
「誰かのペットじゃろうか」
「そうそう飼い慣らせる生き物じゃない。少なくともこの場にいる商人のペットではないだろうな」
「なぜ言い切れる」
「顔見知りのカーバンクルだよ。ま、一度しか会っていないが」
こいつはおそらく、ロビン・フッドのカーバンクルである。見覚えがある。
「ロビン殿のペットかい。それにしてもめんこいのお」
とリョウマは手を伸ばそうとするが、カーバンクルはさっと身を翻し、避ける。
「動物に嫌われた」
とリョウマはショックのようだが、カーバンクルは意に介することなく俺の服を引っ張る。
なにかを必死に訴えようとしているようにも見える。
なにごとだろう、と首をひねるが、俺のうなじの辺りがぞわっとする。
第六感、というやつが働いたのだ。
俺は意識をカーバンクルの鼻が差す方向に向ける。そこには大きな窓ガラスがあった。その奥、数十メートル先に蠢く存在を確認する。
その存在を確認した瞬間、闇夜を切り裂くように弓が解き放たれると、窓ガラスを突き破り、矢がこちらに向かってくる。
その速度は速く、常人ならば確認する暇もなく、心臓を打ち抜かれたことだろうが、俺は常人ではなかった。
魔王として生まれた身、その動体視力も魔王じみていた。
俺は俺の心臓を射貫こうとする矢を空中で鷲づかみにする。それを見てやっと周囲のものは暗殺者の存在に気がついたようだ。
主催者のマルコ・ポーロの周辺に警備兵が集まると、彼を守りながら、指示を待つ。
マルコは割れた窓を指さしながら言った。
「暗殺者は向かいの建物にいる。なんとしても捕縛するのだ」
警備兵は一斉に走り出すが、俺は彼らとは逆の方向へ向かうことにした。なぜならば緑色の生き物が逆の方向へ掛けだしたからだ。
カーバンクルは俺を導くように走り出す。
俺はリョウマにマルコを守るように指示すると、カーバンクルの背中を追う。
リョウマは太ももにくくりつけていた拳銃を取り出すと、颯爽とマルコを守る。
舞踏会の花から。棘のある薔薇へとクラスチェンジしたかのようだ。彼女の頼もしさを再確認すると、暗殺者に意識を切り替える。
俺は暗殺者の正体を把握していた。犯人が想像通りの人物であれば、彼は逃亡し、魔王ダゴンのところへ向かうだろう。さすれば二度と会うことはできないかもしれない。
あの距離から俺の心臓を正確に射貫く技倆を持っている弓使いを手放すのは惜しすぎた。




