海上都市の迎賓館
海上都市ベルネーゼの迎賓館は想像したよりも豪勢であった。
著名なドワーフが設計したものらしく、石造りの荘厳さと木造の温かみを合わせたような建物をしている。
異世界でいうヴェルサイユの宮殿と鹿鳴館を合わせたような感じだろうか。どちらも実際には見たことがないのでよく分からないが、金が掛かっていることだけは分かる。
迎賓館の庭には噴水や庭園があり、訪れる客の眉目を楽しませている。
花より団子のジャンヌでさえはしゃぐくらいだ。彼女はドレスの裾を持ちながらトコトコ走り、噴水に向かう。
「すごいの! すごいの! 噴水がぴしゃーって出てるの!」
子供のようにはしゃぐジャンヌ。それを生暖かい目で見つめるイヴ。大切なドレスを汚さないか気が気ではないらしい。
イヴはジャンヌをたしなめようとするが、その前に俺は彼女に尋ねる。
「そういえばイヴはドレスは着ないのか?」
「わたくしでございますか?」
「ああ、イヴは踊りが得意なようだし、なによりも美しい。海上都市の商人たちが色めき立つのではないかな」
「御主人様は口が上手いです」
「事実を述べたまでだよ」
「ありがとうございます、。しかし、イヴはメイドですので」
メイドはドレスをまとわぬものです、と言い切る。
「そのような法はないと思うが」
「イヴの中にはあるのです。イヴにとってメイド服は仕事着であり、勝負服であり、死に装束なのです。これを脱ぐくらいならば死んだほうがましです」
自分の結婚式でさえメイド服に参加しそうな勢いである。たしかに彼女はどのような迷宮でもメイド服のまま踏破する。どのように寒かろうが暑かろうがいつも同じ格好をしている。きっと、本人なりに拘りがあるのだろう。
彼女からメイド服を剥ぎ取るのは、どのような謀略を持ってしても不可能だと思ったので、今回は使用人として参加してもらう。イヴの美しいドレス姿は見てみたいものだが、その機会は後日。その代わり彼女にしかできない任務を与える。
「任務でございますか?」
イヴは興味深げに尋ねてくる。
「ああ、ちょいと気になることがあってね。イヴにスパイをしてもらいたい」
「スパイでしたら、風魔小太郎様の領分では?」
「やつにも頼んでいるよ。だが、風魔小太郎とて身体はひとつ、有能な間諜はいくらいても足りない」
「なるほど、分かりましたわ。それでは」
と耳を差し出してくる。俺は彼女の耳にささやく。すべてを話終えるとイヴは驚きの表情をする。
「まあ、それは本当ですか」
「確信はない。間違ってくれていればそれでいいが、もしも俺の勘が当たったら大変なことになるからな。転ばぬ先の杖だ」
「分かりました。たしかにその通りなのでマンツーマンで見張っておきます」
イヴはそう言うとそのままこの場を離れ、俺が目を付けている人物の元へ向かった。
イヴが離れると同時にジャンヌが戻ってくる。他の貴婦人に聞いた情報をたずさえて。
「魔王魔王、大変なの。噴水は庭だけでなく、建物の中にもあるそうなの」
無邪気な質問に応じる。
「そりゃあ、これだけ立派な建物だからな。在っても不思議ではない」
「水の噴水だけじゃなく、会場にはチョコレートの噴水があるの。カスタードって言うんだって」
「カスタードではなく、流水階段だろうな」
カスケードとは階段状の噴水のことである。高いところから段々に水を流す流水型の噴水である。
「もしかしたらそうかもしれないの。一緒に見に行くの」
ぎゅい、っと俺の腕を引っ張るジャンヌであるが、そういうわけにもいかない。
「今回の主賓は俺であるが、もうひとりの主賓はリョウマ殿だ。彼女をともなって会場に行きたい」
と、リョウマを探すが、彼女は遠くからこちらを見ていた。ジャンヌのようにはしゃいで良いのか、それとも貴婦人のように振る舞っていいのか分からないようだ。
食べ物しか目にないジャンヌと違って、リョウマは元々商人、このような華やかな場には不慣れなようだ。いや、商談では何度もきたことがあるようだが、ドレスをまとってダンスをしにきたことはない、が正解だろうか。
リョウマは端から見ても分かるくらいに緊張していた。
それを見かねた俺は彼女のもとへ行くと、緊張をしないように伝える。
それに対する彼女の答えは、
「わ、分かってるき。こういうときは人という文字を書いて飲み込むぜよ」
と緊張している人間の見本のような行動をする。
これは駄目だと思った俺は、彼女の前にひざまずくと言った。
「リョウマ殿、貴殿の美しさは海上都市の至宝でございます。そのように緊張などなさらず、上から目線で他の女性を見下ろせばいいのです」
「そ、そんなことをしてもよいんじゃろか? わしはそこまで美しくないぜよ」
鏡を見せてやりたいところである。ハーフ・エルフの美姫リョウマの美しさはこの庭園にいるものの中でもずば抜けていた。比肩できるのはジャンヌくらいであろう。
事実、先ほどから貴婦人たちはリョウマの側に近寄らない。それは嫌われているのではなく、比べられるのが厭なのだ。
リョウマの黒髪と艶姿の前では大抵の貴婦人が霞んで見える。
そのことを素直に伝えると、リョウマはやっと自信を付けたようだ。
「そ、そうじゃな。ハーレムを持っている魔王殿がそういうのならばそうなのじゃろう」
ハーレムなど持っていないが、物事を円滑に勧めるには無視するしかないだろう。
ともかく、俺は彼女を騎士のように誘うと、そのまま迎賓館の会場に入った。
その後ろにジャンヌが付いてくる。おもしろくはなさそうであったが、不満を口にすることなく付いてきたのは、彼女の成長を表しているのかもしれない。
そう思った。




