はい or イエス
ジャンヌの部屋はマルコの屋敷の二階にあった。俺の寝室がある客間とは別方向にあった。男女で場所を離しているようだ。
風紀の乱れを気にしているのかと思ったが、やたらとリョウマを嫁にと勧めてくるので、もしかして彼女が夜這いをしやすいようにしているのかもしれない。
まったく、困った老人であるが、リョウマのことを孫娘のように大切にしているのは分かるので、あまり非難はできない。
そのような考察をしながら歩くとすぐにジャンヌの部屋の前に到着する。
俺は彼女の部屋の扉を叩く。すぐに彼女から返答があった。
「誰なの?」
と少し警戒気味で尋ねてくる。
まだ革新派の手のものがいて暗殺者を放ってくるかもしれないと注意するように伝えていたので、警戒しているのだろう。なかなか素直な娘である。
「俺だよ、ジャンヌの魔王だ」
「魔王なの?」
一瞬、声が弾み、すぐに扉が開かれると思ったが、途中で止まる。
「……なんか、怪しいの。魔王が自分から尋ねてくるなんて珍しいの……。は!? もしかして偽物」
「おいおい、そんなわけあるか。この声は俺だろう」
「声帯模写の魔法もあるの」
ジャンヌは慎重に言い放つと、こう続けた。
「もしも魔王ならばこの質問に答えるの!」
「俺しか知り得ない情報を言えば信じてくれるというわけか」
「そんなところなの」
と、言うと彼女は続ける。
「魔王が一番愛している女性はジャンヌ・ダルクなの? はい、か、YESで答えるの!」
「…………」
なんだそりゃ、と思ったが、ジャンヌにまともに付き合っていればらちがあかないので、《解錠》の魔法を唱え、鍵を強制的に解除、ドアを開ける。
なすがままに侵入を許すジャンヌであったが、どうやら扉の外にいたのが俺だと確信していたようだ。
彼女はにっこりと微笑むと、
「正解は《解錠》なの。やっぱり魔王は魔王だったの」
と俺の胸に飛び込んでくる。
俺は彼女の肩を抱くと少しだけ距離を取る。
「未婚のお嬢さんが部屋の前で男に抱きつくものじゃない」
と言うが、彼女は「じゃあ、部屋の中でするの!」と俺の手を引く。
そのまま俺をベッドに押し倒そうとするが、そういうわけにはいかないので、逆にジャンヌの両脇を抱えて部屋の中央まで行く。
そこで彼女の手を取り、強引にステップを取る。
「おお、踊りなの」
「そうだ。社交ダンスだ。てゆうか、案外上手だな」
「さっき、メイドのステップを見て覚えたの」
「ジャンヌは天才だな」
「優秀な戦士の証なの。相手の動きを見て学習するのは」
「ならばその優秀な戦士は舞踏会に出てくれるな」
「いやなの」
と先ほどと答えは変わらない。やはり、神に仕えるものが華美な場所に出るのは厭らしい。
やはりな、と引くわけには行かないので策略を使う。
「そんなこと言っていいのかな。舞踏会には各地から集められた山海の珍味が出るんだぞ」
「山海の珍味!」
一瞬で食いついてきたジャンヌ。
「舞踏会は踊るだけじゃないの?」
「踊るだけじゃない。というか、大半のものは踊らないよ。マルコ殿とかはそうだ」
「じゃあ、なにしてるの?」
「酒を飲みながら商売の話をしている。貴婦人たちは良い男の噂かな」
「詰まらなそうなの」
「ああ、だから舞踏会で出されるご馳走は全部ジャンヌのものだ。食べ尽くしても怒られないぞ」
その言葉を聞いたジャンヌはきゅぴん、と自身の金髪をおっ立てる。アホ毛っぽい。
3秒ほどくるくる回るジャンヌの金髪。その回転が止まると言った。
「分かった! 私も舞踏会に出るの!」
「それはありがたいが、神様はいいのかい?」
ちょっと意地悪に尋ねると、ジャンヌは首を縦に振る。
「華美なところで奢侈に走るのはよくないけど、私がいかないとパーティー料理が余るの。食べ物を粗末にするのは神の意志に反するの」
そういう論法もあるのだな、と素直に感心するとジャンヌはにこにこしながら服を脱ぎ始めた。
俺を誘惑しようとしているわけではないようだ。さっそく、ドレスに着替えようとしてるのだが、農民育ちの軍人あがりにドレスなど着こなせるわけがない。どうやって装着していいか分からないようだ。
もちろん、俺に分かるわけがないので、イヴを呼び出すと彼女に任せる。
イヴは、「ジャンヌ様ならば白いドレスが似合いましょう」と白いドレスを借り受けてくるが、たしかにジャンヌの金髪と白いドレスは映えそうだった。
今からどのような貴婦人になるか楽しみであったが、俺の準備もしなければならない。
いつもの礼服を自分で着ると、そのままマルコの屋敷を出る。
舞踏会はベルネーゼの迎賓館で行われるようだ。屋敷の前には立派な馬車が並んでいた。
そのひとつに乗り込むと、中にはリョウマがすでにおり、ぱんぱんと横に座るように椅子を叩く、横に座ると彼女は頬を寄せてくるが、恋人のような時間も五秒ほどで終る。
ジャンヌが飛び込んできたからだ。
「魔王! 早く迎賓館に向かうの! 料理が冷めてしまうの!」
その姿を見て花より団子、という言葉を思い出したが、イヴも乗り込んできたので口にはせず、馬車を出発させた。
マルコの用意した馬車は花のような匂いで包まれる。美しき花々たちが付けている香水の匂いであったが、皆、なかなかに芳しい香水を付けていた。
皆、普段は付けていないだけにどきりとしてしまうが、俺は極力、そのことを表情に出さないように気をつけながら、馬車に揺られた。




