リョウマと赤いドレス
傭兵を雇い、ロズネー討伐をもくろんだ俺であるが、傭兵を組織する前に肝心のロズネーを倒してしまった。
まったくの雇い損である、と吝嗇なイヴはため息を漏らすが、「そうはならない、残念ながらな」と俺は言った。
「どういう意味なのですか」
とイヴは返答を求めてくる。
「そのままの意味だ。ロズネーを倒したが、まだこの海上都市の危機は去ったわけではない。魔王ダゴンはこの都市の沖合に住んでいるのだろう。ロズネーという代理人を失ったが、この都市に対する野心は失っていないはず」
「つまり、今度は魔王ダゴンが攻めてくると?」
「俺の計算が正しければな」
と言うと、マルコ・ポーロの従者が客間に現れる。なにか火急の用件があるようだ。
俺はイヴに衣服を整えてもらうとマルコの執務室へ向かった。
そこでマルコは両手を額の前で握りしめ、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。
彼は俺の姿を見るなり、
「良いニュースと悪いニュース、ふたつほどあるが、どちらから聞きたい?」
と言った。
こういうものは良いニュースから聞くものだ、と前者を選ぶ。
「良いニュースは、各地に散らばっていた海上都市の護衛艦隊が集結し始めた。遅ればせながら幽霊船団の追撃を始め、ほとんどの幽霊船を撃沈したそうだ」
「それはすごい」
「ほとんど貴殿のおかげだがな。船長のいなくなった幽霊船団を倒すなど、卵の殻を粉砕するより簡単だったそうだ」
「これで港から魔王ダゴンの侵略を許すことはなくなりますね」
「だろうな。もうダゴンに海軍力は残っておるまい。護衛船も港に停泊しているし、ひとまずは海からの侵攻は防げる。とてもありがたいことだ」
「して、悪いニュースというのは?」
「悪いニュースは改革派の連中が業を煮やし、次々と評議会から離脱していることじゃな。彼らは私兵を引き連れ、ベルネーゼ南部にある砦に立て籠もっている」
「面倒ですな」
「ああ、面倒だ。その砦にはダゴンの兵も集結しつつあるらしい。数週間以内にこのベルネーゼに総攻撃を仕掛けるようだ」
「たしかに悪いニュースだ。して、敵兵の数は?」
「およそ300といったところか」
「こちらの兵力は警備兵50、傭兵150だから、およそ2倍か」
「はね除けるのは難しいか?」
「難しいですが、やるしかないでしょう」
「その言やよし。ならばこのベルネーゼの兵権を貴殿に授けよう」
「いいのですか、俺のような部外者に」
「この街を救い、これからも救ってくれるものを部外者と呼ぶほどこの街は腐ってはおらん。改革派は逃亡したし、この街の指導者は皆、貴殿に心服している」
「ならばその信頼に応えるまでです」
と言い切ると、俺はさっそく、傭兵たちを組織しようと立ち上がったが、それを制止される。
「どこに行くのだ?」
「傭兵の詰め所に向かおうと思っているのですが」
「傭兵たちの訓練か。まあ、それも大切であるが、近隣の都市から傭兵を50ほど派遣してもらう約束がある」
「それは心強い」
「だが、それには一週間ほど時間が掛かる」
「敵の総攻撃に間に合うといいですが」
「間に合わせるさ。間に合わせるしかない。さて、間に合わせるが、一週間ほど貴殿は手持ち無沙汰になろう」
「たしかに24時間訓練をするわけではないですから」
「ならばダンスを練習する時間くらいあろう。実はとても美しい貴婦人が貴殿をダンスに誘いたいそうじゃ」
「とても美しい貴婦人?」
誰のことだろう、と首をひねると、マルコはポンポンと手を叩く。
すると執務室のドアが控えめに開く。
そこから現れたのは、真っ赤なドレスをまとった美しい女性だった。
黒髪に赤いドレスがとても映える。露出が多いドレスが似合うのはスタイルがいいからだろう。
彼女の身体には一片の贅肉もない。それなのに胸が豊満なのはチートであるが。
そんな感想を抱いていると、黒髪を綺麗にまとめ上げた女性、リョウマが小さな声で言ってくる。
「似合うかのう……?」
酒を飲んだかのように頬を染めるのが可愛らしいが、どうやら本当に酒を飲んでいるようだ。なんでも酒でも飲まないと恥ずかしくてこのような格好などできない、とのことだった。
そんなにドレスを着るのが苦手なのだろうか。このように似合っているのに。と思ったのでそのまま口にすると彼女はさらに真っ赤になる。
「わ、わしは、商人じゃ。商人はこんなひらひらな服は着んぜよ」
そんなことはないと思うが、と反論すると、それにマルコも同調する。
「まったくだ。リョウマという娘は商売の才能があることを知っているが、自分が美しいおなごであることは知らん。ここは魔王殿とダンスでもし、その自覚を持ってもらいたい」
出来ればそのまま側室にでも、とマルコは言うが、さすがにそれはお断りする。
「残念である。――が、これは婚約パーティーではない。先日、ロズネーを討ち取ってくれた感謝を形に表したものだ。警備隊の指揮官と魔王殿たちに参加してもらおうと思う」
下っ端の兵士たちには宿舎に浴びるほど酒と肴を提供することになっているらしい。
そのような話を聞けば断るわけにはいかなかったが、実は俺はダンス・パーティーが苦手であった。表情が沈む。
イヴが尋ねてくる。
「御主人様の前世は貴族と聞きましたが」
「城に登城することも許されない貧乏貴族だよ。ダンスなどしたこともない、……はず」
明確に記憶が残ってないので断言できないが、頭の中にステップがまったく湧いてこない。
俺の気持ちを察知したイヴは小声で申し出てくる。
「御主人様、僭越ながら、このイヴがダンスのステップをご指導させていただきます」
その言葉を発したときのイヴの笑顔は、少し悪戯心に満ちていたが、とても心強いものであった。




