海上都市ベルネーゼ
ベルネーゼ近くの林で旅人の服に着替える。これは予期してイヴに用意させたものだ。
俺は旅の商人、歳三はその護衛、ジャンヌは農民の娘に扮装する。
俺は扮装になれているし、ジャンヌは元農民の娘なので余裕だった。泥を使って農民風メイクをしている。
問題なのは歳三だった。彼はどんなに変装しても殺気を隠せない。尋常ならざる雰囲気を醸し出してしまうのだ。
「まあ、これくらいならば大丈夫か」
と妥協する。完璧を求めれば切りがない。土方歳三に卑屈な農民を演じろというのは無理なのでそのまま潜入する。
ちなみにイヴはいつもの通りそのまま。風魔小太郎もだ。このふたりはいつもメイド服を着ているので怪しまれずに済むのである。ふたりはメイド服が自分の皮膚の一部であるかのように着こなしていた。
このような体制で潜入をこころみたが、幸いなことに門番に誰何されることはなかった。すんなりと通してくれる。
これは俺たちの演技力の成果というよりも事前に用意した通行手形のおかげであった。これは本物の通行手形で海上都市に自由に出入りできるものだった。
「よくこのようなものが手に入ったね」
とはジャンヌの言葉であるが、こう説明する。
「別れ際にリョウマ殿からもらった。これは評議会の上席議員しか発行できない特別製らしい」
「すごいね」
と興味あるのかないのか分からないていで干し肉をかじるジャンヌ。
「さて、このままリョウマ殿の元に向かってもいいが、せっかく海上都市にやってきたのだから、視察でもするか」
「それは賛成なの。さっき、屋台を見かけたの。試食してみるの」
「それはあとでな。まずは街の地理を頭に入れつつ、経済規模を見る」
「食べ物を食べれば経済規模が分かるの」
「たしかにそうだが、まだ昼飯時ではない」
とジャンヌの頭を掴み、屋台から視線をそらせる。
するとそこには大きな海が広がっていた。
「すごい。海なの。久しぶりに見たの」
「アシュタロト領は内陸部にあるからな」
この海上都市ベルネーゼはその異名に恥じない。海の上に浮かぶかのようにせり出している。だから小高い場所からはどこも海を一望できた。
「本当に素敵な光景ですね。本当に海の上に浮かんでいるかのような感じです」
イヴが潮風に揺れる髪を押さえながら漏らした。
「この異世界には船の上に浮かぶ都市もあるそうだが、残念ながらこのベルネーゼは砂浜の上に作られた都市だ」
「砂浜の上に建物を建てても大丈夫なのでしょうか」
「家、一軒一軒に地下深くまで続く支柱を打ち込んでいる。異世界のヴェネツィアのようなものだな。あそこも運河沿いの砂地に建物を建てている」
「まあ、異世界にも似たような街があるのですね」
「ああ、一時期、地中海世界最強の経済規模を誇った。今は観光都市になってしまったが」
しかし、と俺は続ける。
「逆説的に考えれば、経済を伸ばすために街中に運河を作るのはいい手なんだよな。経済が衰えたあとも観光遺産になるし」
「もしもこの都市を魔王軍の傘下におければ経済的に潤いますね」
「その通り。しかし、それは遠い未来の話だ。今は和平を結んで通商を結びたい」
俺はそう言い切ると場所を移動する。
市場にやってくる。
その都市の経済規模を把握するには、市場に行くのが一番なのだ。
海上都市ベルネーゼの市場は想像以上に賑わっていた。
まず規模が大きい。アシュタロト城最大の市場を10とすればこの都市の市場は35くらいはあろうか、それくらい広大だった。
それだけでなく、その市場で働く人も多種多様だった。
魚人族と思われる男、南方の島嶼都市の人間と思われる浅黒い人間、珍しいところでは海ドワーフやダークエルフなどもいる。
「アシュタロト城は人種のるつぼだと思っていたが、ベルネーゼはそれ以上だな」
「人種のサラダボウルに7種のドレッシングを掛けたかのようです」
とは台所の守護者イヴらしい表現だった。
「海ドワーフは初めて見たの。本当に水かきがあるか見せてもらうの」
とジャンヌは海ドワーフに近寄り握手してくる。長々と握手し、数分ほど話すと戻ってくる。
ジャンヌは興奮気味に言う。
「ほんとに水かきがあったの! でも手はごつごつでドワーフっぽかったの」
「なるほど、ドワーフと魚人の特性を併せ持っているのか」
「海の中ならば五分は息を止められると言っていた」
「それはすごいな」
我がアシュタロト軍が海軍を創設するときは、是非、兵士となってほしいが、今はスカウトにいそしんでいるときではない。
今すべきなのはベルネーゼという都市の把握だった。
俺はジャンヌ以外のメンバーに意見を求める。
「この都市の印象はどうだ?」と。
まず返答をくれたのは土方歳三だった。
「さっきふらりと娼館街を覗いてきたが、昼間から人であふれていた。景気が良いのだろう」
歳三らしい答えであった。たしかに貧しければ昼間からそんな場所に顔は出せまい。
次に答えてくれたのは風魔小太郎だった。
「魔王殿も気がついていると思うが、この街には多種多様な種族があふれている。各地から人が集まっている証拠だ。それすなわち、この街が富んでいる証だろう」
俺もその通りだと思ったのでうなずく。
最後に答えてくれたのはイヴだが、彼女の回答はメイドらしいものだった。
「アシュタロトの街で金貨10枚だった織物がこの街では8枚でした。しかも品質はこちらのほうがいい。他にも乳製品が安く、高品質でした。つまり、それだけ経済力に優れているのかと」
魔王城の台所に立つメイドさんらしい回答であったが、一番、正鵠を射た回答かもしれない。
市場の大きさだけでなく、こういった細かいところに経済力は反映されるのだ。
俺は彼らの回答を総括する。
「つまりこの街は豊かと言うことだな。交易相手として不足がないくらいに」
「左様かと存じます」
「是非、友好を結びたいところだが、評議会なる連中のもとへ行けば毒の茶を出されるからなあ」
と、のんきに結ぶと、風魔小太郎が献策してくる。
「ならば知己である坂本龍馬の娘を頼るのがいいだろう。そもそもその女が助けを求めてきたのだろう」
「たしかにそうだ。すでにベルネーゼに帰っているはずだから、彼女の商館を探すか」
「しかし、御主人様、この海上都市ベルネーゼは広大です。なんの手がかりもなく探せますでしょうか」
とはイヴの心配であったが、それは杞憂であった。その理由を話す。
「坂本龍馬の娘、リョウマは変わり者だった。この都市に住むものならば誰でも知っているだろう。ちょいと情報収集すればすぐ見つかるさ」
その言葉に大きくうなずいたのはジャンヌだった。
「たしかにそうなの! ちょうどいいの! あそこにいるエルダー・エルフに聞いてみるの!」
と元気よく駆け出すと、イヴの制止を振り切って話しかけに行く。
エルダー・エルフは気難しいことで有名だったが、彼女はこころよく答えてくれた。
ジャンヌという少女は無条件で人の心を開かせてしまうスキルを持っているのかもしれない。それくらい手際の良い情報収集であった。
「まったく、ジャンヌ様はすごいです。皆に好かれる」
吐息を漏らすイヴ。
「まあ、そこが彼女の強みだろう。彼女がゴールデンレトリバーのように駆け寄ってくると拒否できない」
「まったくです。あの人なつこさを少し分けて貰いたい」
イヴは少し悲しげに言う。イヴはジャンヌのように誰にでも好かれる才能が、誰でも好きになる才能がほしいらしい。
気持ちは分かるが、それはなかなか手に入れられるものではない。
ジャンヌにはジャンヌの良さ、イヴにはイヴの良さがある、と諭す。
「その言葉は嬉しいですが、わたくしにどのような長所があるでしょうか?」
イヴが真面目に尋ねてきたので、俺も真面目に返す。
「そうだな。初めて魔王に召喚されても、そのものを信じ、尽くしてくれる才能がある。たとえアシュタロト軍の全員が裏切っても、彼女だけは裏切らない。そんな確信があるから魔王アシュタロトはいつも大胆な作戦を練れるのではないか」
俺が他人事のように言うと、イヴは感涙でむせぶ。
「もったいなきお言葉です」
と頭を下げるが、彼女が頭を上げると、ジャンヌが戻ってくる。
ライバルに泣いているところを見られたくないのだろう。イヴは涙を拭うと、笑顔で言った。
「お帰りなさいませ。リョウマ様の情報は得られましたか」
「得られたの!」
と答えるジャンヌ。
元気の良い回答であったが、彼女が話す詳細は少し意外なものであった。
というか想定の範囲外というか、我々にとって吉報とは言えないものであった。




