絶世の不美人
豪農タイロンとは話はつけたが彼の婿候補である人物とはなにも話をつけていなかった。
その婿候補もいきなり嫁と言われたら困るだろうから、事前に結婚する気がないか尋ねることにした。
馬車に積んであった鳥籠から鷹を取り出す。「海東青号」と呼ばれる東方の優秀な鷹の足に文をくくりつける。文にはこんな文章を書く。
「貴殿も一国一城の主、男やもめでは生活もままなるまい。知性あふれる女性がいるので是非、嫁にされよ」
そう書きしめた文章を送るが、それを見ていたイヴが尋ねてくる。
「御主人様、宛先はどなたなのですか」
隠す必要がないので正直に話す。
「この文は諸葛孔明殿に宛てたものだ」
その言葉を聞いたイヴは「まあ」と驚く。
「かの孔明様にタイロン氏の娘を嫁に推挙されるのですか」
「そうだけどなにか問題でも」
「問題はありませんが、殿方というものは大抵、面食いでございます。孔明殿も例外ではないのでは」
「信じられないかもしれないが、孔明殿はその例外なんだ」
俺は得意げに偉人の名を列挙する。
「明智光秀、 吉川元春、そして諸葛孔明。この三人には共通点があるが、なんだと思う」
「分かりかねます」
「そりゃ、そうか。イヴに異世界の英雄の逸話を聞いても無駄だよな。ならば答えを言ってしまうが、この三人は全員、奥さんが不美人だった」
「まあ、そうなのですか」
「ああ、明智光秀はかの織田信長に仕えた名将だが、奥さんはあばた顔だった。ただ、明地光秀はそんな奥さんを生涯愛し、奥さんも光秀のために髪を売ったという逸話が残っている」
「素敵な夫婦愛ですね」
「まあな。吉川元春も同じく不美人な嫁を持っていた。わざわざ不美人の嫁さんをもらっている」
「どうしてですか」
「奥さんの実家の国人衆、熊谷氏に恩を着せるためだというのが通説だ。このように不美人な娘を娶ってくれたのだから、命がけで戦おう、と思ってもらえるようにその娘を娶ったわけだ」
「なるほど、そんな魂胆が」
「まあ、後者は不純かもしれないが、光秀も元春も大変な愛妻家だったそうな。幸せな家庭を築いた」
「孔明殿も異世界ではそのような家庭を築いていたのですね。不美人の妻と」
「その通り。孔明の奥さんはわざわざ史書に美人ではない、と書かれるくらいの女性だった。ただし、とても聡明な女性で夫婦仲はとても良かった。今回、孔明殿にはそれを再現してもらう」
と言い切った二日後、孔明から返信がくる。
「火急の仰せとのこと。この身ひとつではせ参じますが、この孔明はこの異世界では妻を娶らない方針」
と書いてあった。
「あらまあ、困りましたわ、御主人様」
「たしかに困ったが、困ってばかりもいられない。ともかく、孔明殿を持てなす準備をしよう。孔明殿は知的な女性が好きだと聞く。会えば案外、気が合うかもしれない」
「それに賭けましょう」
と、イヴはタイロン家の台所に入り込み、孔明のもてなしを始める。
孔明を乗せた馬車がやってきたのは、それから三日後だった。
彼は優雅に馬車に乗ってやってくるが、俺に会うなり、「魔王様、私は前の世界の妻をいまだに愛しています。結婚は……」と言い切った。
「それは分かっている。が、この世界はこの世界、異世界は異世界だ。俺の顔を立てると思って、一度、会ってはくれまいか」
主にそこまで言われたら会わないわけにもいかず、孔明は渋々了承するが、問題が発生する。
肝心のタイロンの娘のフローラが面会を拒絶したのだ。
正確には自分が提示する謎を解かねば会わない、と言った。
タイロンはドアを叩き、娘を叱責するが、孔明は落ち着かれよ、とタイロンをなだめた。
「面白い娘さんではありませんか。たしか頭の良い夫がほしいとか」
「はい。選べる身分ではないのに」
「そんなことはない。それに顔ではなく、頭で、というのは好感が持てる。だから孔明のような非凡で誠実な男を連れてきたのだ」
俺はそう言い切ると、孔明にその謎を解くように命じる。
孔明はうやうやしく頭を下げ、フローラの部屋の間から差し出された手紙を読む。
孔明はその手紙をじっくり読む。
その手紙には、
「朝は四本足、昼は二本足、夕暮れは三本足の生き物はなんだ」
というものであった。
俺は答えを知っていた。異世界のオリエントで流布していた謎かけだからである。答えは知っていたが、孔明には教えない。彼が自力で考えつくのを待つ。
孔明は目をつむるとしばし思案し、一分後には答えを口にする。彼は流麗な発音で、
「人間です」
と答えた。孔明は説明をする。
「朝とは人間が生まれたとき、つまり赤ん坊のときを指している。赤ん坊は皆、四つん這いです。少し大きくなると二本足で歩き出す、これが昼。そして最後に年を取ると杖を使い出す、これが夕暮れです」
よどみない解答であった。正解である。ただ、扉の奥からは成否の確認はなく、二枚目の手紙が差し出された。まったく、面倒というか、コミュ障な娘である。
二枚目の手紙にはこう書かれていた。
「この世界で一番旨いものはなんですか」
というものであった。
なんともまあ単純というか、人それぞれ違いそうな質問である。回答者のセンスが試される問題である。
ちなみに俺は「イヴが作ってくれるローストビーフ」が好物である。そのことをイヴにささやくと彼女は嬉しそうに微笑む。俺がイヴの好物を尋ねると彼女は「ホットケーキ」と答えた。やはり人それぞれ好みは違うものだ。再確認し、孔明の解答を楽しみに待ち構える。
孔明は先ほどのように瞑想すると、小さく、だが確かな声で「塩」と言った。
「塩とは異な答えですね。塩をつまみに酒を飲む殿方がいますが、孔明様もその類いでしょうか」
「いや、孔明は酒は飲まない。しかし、塩とは面白い解答だな」
「その様子ですと御主人様は孔明様の意図を理解されているようですが」
「一応な。解説は孔明殿にしてもらおうか」
俺がそう言うと孔明はこくりとうなずく。
「どのように旨い食材も塩がなければただの塊です。塩抜きで作ったスープ、塩抜きで作ったシチュー、塩抜きのローストビーフ、どれも味気ないものになるでしょう。しかし、逆に塩を掛けすぎるのもよくない。どのように新鮮な食材も、塩が過ぎれば不味いだけでなく、身体にも悪い。塩気が多すぎるスープ、シチュー、ローストビーフ、どれらも最悪の食事となるでしょう」
「なるほど、たしかにそうです。わたくしの好きなホットケーキにも塩は入れます。塩味を入れると甘みが引き立つのです。ただ、入れすぎると不味い。過ぎたるは及ばざるがごとし。要は塩加減が大事ということですね」
イヴの総括に孔明はうなずく。
その智者の答えに納得したのはイヴだけではないようだ。ガチャリ、とフローラの部屋の鍵が開く、部屋に入ってもいいという挨拶だろう。
このまま結婚話がまとまればいいが、そうそうたやすくはいかないだろう。
彼女は自分が知恵ものと認めたものとは面会まではするが、そこから全員、玉砕しているのだ。
俺は緊張し、襟元をただすが、ふと、間抜けさに気が付いて苦笑してしまう。
(これではまるで俺が結婚するようではないか)
俺が願っているのは、豪農タイロン氏との縁組み。それに異世界で独り身を貫く孔明殿の心変わりだった。
結婚をすれば幸せになれるとは思わないが、それでも男女が愛を育むのは悪いことだとは思わなかった。それになぜだかではあるが、フローラという女性と孔明は相性が良いような気がした。変わり者同士、さぞ、話が合うと思ったのだ。
実際、謎かけの手紙を受け取ったときの孔明はどこか楽しそうであった。俺は孔明をもっと楽しませるため、扉を開く。
そこには絶世の不美人と名高い豪農の娘が鎮座していた。




