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タイロンの悩み

 豪農タイロンの家は豪華ではあるが、湿っていた。至る所が濡れている。


 当然か、なにしろ先ほど《津波》の魔法でびしょ濡れにしてしまったのだ。家財も滅茶苦茶になってる。


 ただ、それでも一部区画は無傷であったし、客人をもてなすことくらいはできるらしく、応接間に案内されると、紅茶が出てきた。


 酒をと勧められたが、そんなに強くないので断る。


 魔王様が酒に弱いとは意外です。タイロンは正直な感想を述べるが、それは俺も同じだ。物語の魔王はグラスに真っ赤な酒をたたえて悪事を考えているというイメージがある。


「我が魔王様は常に仁政について考えております」


 とはイヴの擁護の言葉であるが、それはいささか誇張しすぎだろう。

 飲み物を飲むときくらい頭を空っぽにする。


 というわけでタイロンのメイドが入れてくれた紅茶をゆったりと飲み干すと、思考を再開させる。


 単刀直入に尋ねる。


「実は俺はタイロン殿に願いがあって尋ねてきた」


「願い、ですか? 魔王様直々」


「使いのものを出しても良かったのですが、魔王様直々に勅命を言い渡しにきました」


 とはイヴ。


「それは大げさである」と釘を刺す俺。


「俺はこの地の支配者だが、暴君ではない。法に背く商人ならともかく、まっとうな商売で儲けた商人から上前をはねるような王ではない」


 そのような真似をすれば、俺の評判はがた落ちである。


 一時的に財政や食糧事情はよくなっても長期的に見れば有能な商人が逃げ出し、負の効果しかもたらさない。


 俺に必要なのは明日のパンであるが、明後日の肉も、明明後日のデザートのことも考えなければいけないのが統治者の義務であった。


 なので平身低頭に頼む。


「タイロン殿はこの地の豪農と聞く。食料庫に大量に食料を備蓄しているとも。是非、それを市中の商人に流してほしい。無論、適正価格で」


「……適正価格ですか」


「まだまだ食料価格が高騰し、時間が経てば経つほど儲かるというのは承知している。しかし、先ほどの暴徒を見ても分かるとおり、今、飢えている民がいるのだ。彼らの胃袋を満たしてやりたい」


「……なるほど、そういうことですか」


 タイロンの声が小さくなったのは、彼がこの地方の地主にして商人だったからである。


 彼にも家族がおり、一族がいる。


 多くの使用人がおり、傭兵も雇っている。彼らを食べさせるのも主であるタイロンの仕事なのだ。俺が言っているのは利益を捨て去り、民に尽くせ、要約するとそういうことであった。 有能ならば有能なほど、簡単に首を縦に振れる案件ではなかったが、意外にもタイロンは即決した。


「いいでしょう。先ほどの民の襲撃もありましたが、これ以上、麦を蔵で眠らせていても仕方ない。喜んで放出しましょう」


「有り難い。感謝する。来年の税金を一部免除するなどの便宜をはかる」


「それは有り難いですが、もうひとつお願いしたいことがあるのですが」


「なんだ?」


「それが急にスケールが小さくなりますが。我が娘のことなのです」


 タイロンは申し訳なさそうにそう言った。

 例の娘さんについてタイロンは思い悩んでいるそうだ。


その情報は事前に掴んでいたが、娘が行き遅れだと露見しているとは言い出しづらいので、タイロンの説明をすべて聞くことにした。


「実は私には娘がいるのですが、その娘を嫁に出してやりたいのです」


「年頃なのだな」


「ええ、世間では行き遅れに分類されます。これはお恥ずかしい限りなのですが、娘は我が儘でして、自分よりも頭の良い男の元へしか嫁がない、とごねておりまして」


「珍しいお嬢さんだ」


 やれ、イケメンがいい、金髪がいい、だとごねるよりも遙かに好感が持てるが、タイロンはそんなに甘くない、と言う。


「娘はお見合い相手を試すのです。自分よりも頭が良いか。そのテストに合格しないと顔も会わせません」


「今まで合格したものはいないのですか?」


「数人おりましたが、合格し、娘とお見合いをすると、向こうから断ってきました」


「なんと、どうして?」


「……それがなのですが、親の私が言うのもなんですが、娘は不美人でして……。向こうが断ってくるのです」


「……なるほど、それは難儀だな」


「魔王様、これは魔王様にお願いできることではないかもしれませんが、何卒、娘に良縁を紹介してくれませんか? 娘の将来が約束されれば、持参金代わりに用意していた蔵をひとつ無料で開放します」


「蔵をひとつ。それは剛毅だ」


 ならばない知恵を絞って娘さんの縁談をまとめよう、と俺はタイロンに約束した。

 タイロンは喜んだが、一応、と尋ねてくる。


「魔王様に奥方はおられますか?」


「残念ながらいません」


「ご結婚をされる気は?」


 と言う問いに答えたのは俺ではなく、イヴだった。

 彼女は殺気に満ちた目で言う。


「魔王様の伴侶を決めるのは国事であります。このような場で口にするのも恐れ多い」


 イヴの迫力に恐れをなしたのか、以後、タイロンは俺の嫁に、とは言わなかった。

 ただ、魔王たるもの、愛人、側室は持つべき、と持論を述べてくる。

 どうやら先ほどの活躍と短い会話で俺のことが気に入ったようだ。

 同じ魔族であるし、俺は魔王である。

 側女でもいいから娘を献上しようとする。


 しかしあいにくとイヴとジャンヌでさえ持て余している。フローラがどんな人物かは知らないが、イヴとジャンヌという気の強い女性に睨まれながら城で暮らすほどの胆力はあるまい、と俺のほうから断る。


 タイロンは残念そうな顔をしたが、代わりに俺は彼に秘策を話す。


「娘さんは頭が良い殿方が好きなのですよね。俺にひとり、心当たりがあります。彼ならば娘さんの夫に相応しいでしょう」


「なんと、心当たりがおありか」


「ええ、俺などよりも全然頭がいい人物です。娘さんを幸せにしてくれるでしょう」


 俺がそう言い切ると、タイロンの頬が緩む。

 その顔は娘の幸せをなによりも願う親の顔であった。

 彼は何度も頭を下げ、「ありがとうございます、魔王様」と俺に感謝をした。

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