龍の妻とその娘
ふたりきりになるなり、彼女は「なんぜよ、魔王殿、もようしたんかい。お盛んじゃのう」と笑った。
俺がその冗談に呼応せず、真面目な表情をしていたせいだろうか、彼女はすぐに察した。
「……もしかして、父上に会われたんかい?」
「ああ、ほんの一瞬、こことは違う精神世界にいざなわれ、君の父上と話した」
「ほう、父上は息災か?」
「それは分からない。俺が出会ったのは一年前、この場所にやってきた坂本龍馬だった。その後の詳細は誰も知らない」
「そうか。ならば父上は母上と再会できたんじゃな」
「ああ、それだけは保証する」
「そうか。それはめでたい。まっことめでたい」
彼女は笑うが、どこか元気はない。
やはり父親に会いたいのだろうか、そのことを尋ねると彼女は首を振る。
「まさか。わしは父上の自由なところを尊敬しているんじゃ。父上は風のようなお方。風を捕らえるのは世界を統べる王にも不可能じゃろ。だからわしは父上を拘束しようとは思わない」
なるほど、気高いな。だが、我慢強くもある。本当はまだ父母が恋しい年頃だろうに、心の中でそう思ったが、それは言葉にしない。
もしもこの場に土方歳三がいれば「なにをやっているんだ、甲斐性なしめ。この場で抱きしめてそのまま押し倒してしまえ」と俺を難詰することだろう。
それもひとつの手であるが、残念ながら俺は土方のような色男ではなかった。
だから半分だけ、土方流を通す。
黙ってリョウマを抱きしめる。優しい抱擁だ。恋人のそれではなく、家族の抱擁をする。
すると彼女は俺の胸に顔を埋め、本心を話す。
「うぁああああ! ほんとは寂しいんじゃ。父上に会いたいんじゃ! 父上の顔を見たいんじゃ!」
それがハーフエルフの少女の心の内であった。
「わしは子供の頃から虐められとったんじゃ。この黒い髪は忌み子の証であると、エルフの里のエルフに虐められてたんじゃ。人間の街に行ってもこのとんがり耳を馬鹿にされてたんじゃ。でも、そのたんびに父上は言うんじゃ。お前の美しい髪は母親ゆずり。その尖った大きな耳もな。その黒髪はやがてお前の夫を虜にする。その大きな耳はより多くの人々の意見を聞き、お前を正しい道に進ませてくれると言ったがぜよ」
でも、と彼女は続ける。
「わしゃあ、そんな髪も耳もいらんかった。この髪と耳があるから虐められるんじゃ」
たしかに彼女の黒い髪は美しい。だが、エルフのものから見れば不吉に映る。
その尖り耳は俺には魅力的に見えるが、人間社会においては異端に映るかもしれない。
ハーフエルフというエルフと人間どちらにも属さない特殊な立場、それはリョウマの人格形成に大きな影響を与えたと推察できる。
俺ごときが抱きしめたところでどうにかなるものではなかったが、それでも俺は坂本龍馬の代わりに彼女を力強く抱きしめると、彼から預かった紙を取り出す。
その和紙には彼女の母親の髪が挟まっていた。
俺ひとりの力では傷心の少女の気持ちを癒やすことは出来ない。
しかし、彼女を生んだエルフならば、彼女の母親ならば傷ついた少女の心を慰撫できるかもしれない。
そう思った俺はイヴたちが集めた太古の鏡の欠片を取り出し、それに魔法を掛ける。
わずかな間でも欠片が結合し、癒着するようにしたのだ。
そして先ほど、坂本龍馬から受け取った彼女の母親の遺髪を鏡の中に入れる。
黄金色の髪はすうっとなんの抵抗もなく、鏡の中の世界に入った。
すると鏡は黄金色に輝きだし、そこに世にも美しい女性が映し出される。
金色の髪と尖った耳を持った美姫。尋ねるまでもなく彼女はリョウマの母親であった。
リョウマは鏡に映った母親を見ると、「母上……」と漏らし、以後、絶句した。
リョウマの母親は彼女が生まれたときに死んだという。
しかし、彼女はことあるごとに父親から、おまんの母親はとてつもない美人だった、まっこといい女じゃった、最高の女じゃった、と聞かされていたので、実際にあったことがあるかのように近しい存在であった。
もっとも、今、みたいに顔をつきあわせて会話をするのは初めてであるが。
リョウマの母親は、鏡の中から問いかける。
「……リョウマ、私の可愛いリョウマ。ごめんなさい、あなたを苦しめてしまって」
「母上がわしを苦しめる?」
「私が早くに死んでしまったから、あなたには母親らしいことはなにひとつできなかった。あなたを世間の誤解から守ることも出来なかった」
それはハーフエルフとして虐められたことを指しているのだろう。リョウマは沈黙する。
「それにあなたの父親の心も奪ってしまった。あの人は私が死んだ時点で、あなたの父親と母親を兼ねないといけないのに、いまだに私の幻影を引きずっている。この前もしゃんとしなさい龍馬! と叱ったのに」
「しゃんとしないといけないのはこのリョウマも同じです。しゃんとしていないから、死後、母上にまで心配させてしまう」
「子供は親に心配されるものよ。いくつになっても。だから私はこの魂がある限り。あなたのことを心配しているの」
その言葉を聞いたリョウマの涙腺は緩む。
その心が温かいなにか包まれる。
「……母上、わしは間違っておりました。いつまでも父上の背中を追っているから、こんなこんまい人間になってしまった。人前で泣くような女々しい女になってしまった。今日から心を入れ替えます。もう、父上の背中は追いません。父上の背中ではなく、父上の見ているものを見るようにします。父上がなにを見つめ、なにをなそうとしているのか、それだけを考え、自分の人生に活かそうと思います」
「……リョウマ、あなたはなんと強い子なのでしょう。もはや母の力はいらないようですね」
エルフの美姫はそう言い切ると、俺のほうを振り向く。
どうやら彼女は俺の存在も知覚していたようだ。
「そこにおわす魔王の方」
魔王とは俺以外のなにものでもないだろう。返事をする。
「あなたがどのような魔王か知りませんが、私とリョウマを再会させてくれるのに尽力してくれました。お礼を申し上げます」
「鏡の破片を集めたのは彼女たちです」
見ればいつの間にかイヴとジャンヌたちもこの間に集まっていた。
「リョウマはいい友人に恵まれたのね。きっと、彼ら彼女らはあなたの大切な財産となるでしょう」
はい、母上、と、うなずくリョウマ。
「魔王殿、どうか、この子をお導きください。この子の住まうベルネーゼは今、窮地に立たされています。どうかあなたの力でそれを救ってください」
元々、ベルネーゼは救うつもりであった。断る理由はなにひとつない。
うなずくと、エルフの美姫はほっとした表情を浮かべる。
「これで思い残すことはありません。あとは夫もリョウマのように私の死を受け入れてくれればいいのですが」
それは難しいかもしれない。もしも俺に彼女のように美しく、優しい妻がおり、その妻が死んだら、彼女を蘇らせる旅に出ても不思議ではなかった。
ただ、そのことは口にせず。
「いつか、彼と出会ったら、翻意させますよ」
この場ではその程度でとどめる。
リョウマの母も自由人である坂本龍馬を押しとどめる愚を知っているのだろう。
それ以上なにも言わず。ただ、微笑みながら最後にこう漏らした。
「ありがとう。誰よりも優しい魔王様。どうか、あなたのような優しい魔王がこの世界を統べてくれますように」
彼女はそう言い残すと、鏡の中から消えた。
リョウマは名残惜しげに太古の鏡を抱きしめるが、その姿は年齢よりも幼く見えた。
こうしてリョウマのダンジョン探索の目的は果たされることになるのだが、憂いはすべて解決したわけではなかった。
父親のことは吹っ切れたようであるが、その代わりベルネーゼの憂いが残っている。
俺はそれを解決するため、彼女の商売上の拠点がある海上都市ベルネーゼへ向かうことにした。




