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ベルネーゼの危機

 祭壇の間に入ると周りに誰もいないことに気がつく。

 そこには目当ての坂本龍馬もおらず、案内役の風魔小太郎もいなかった。

 それどころかイヴも、ジャンヌも、リョウマさえいなかった。

 祭壇の間には俺しかいなかった。


 すぐに異変を感じ、周囲を散策するが、そこには誰もおらず、やってきた道は閉じられていた。


 罠にはまってしまったのだろうか。

 やきもきしていると、祭壇の間にある祭壇から声が聞こえる。


「おんしは誰ぜよ?」


 と。

 男の声だ。凜々しい声で土佐なまりがあった。

 すぐにそれが坂本龍馬のものであると分かったが、声はすれど姿はない。

 面妖な、と思っていると、青いおぼろげな姿の男が浮かび上がった。

 その姿は歴史書で見た坂本龍馬そっくりであった。

 もはや疑う必要もないだろう。

 坂本龍馬その人がそこにいるのだ。

 しかし、俺は異変に気がつく。


「……この感じ、誰かに似ている」


 とても親しい人物。

 長年の友人と雰囲気がそっくりだった。

 その友人とは土の里のドワーフ族の族長ゴッドリーブである。

 彼はすでにこの世になく、霊体なのだが、彼もまたそうなのだろうか。 

 思わず尋ねてしまうが、坂本龍馬はこう言った。


「そりゃあ、分からん。今、ここにいるわしは一年前、ここにやってきたわしじゃからな」


「一年前か。結構前だな」


「だな。死んだ妻と話せる鏡があると聞いたからここまでやってきたぜよ」


「それで話せたか?」


「ああ、話せた。話せた。ほれ、そこに鏡があるじゃろ。それでエルフの妻と三日三晩話しておったが、話すだけじゃ飽き足らず、なんとか復活できんか、そう思っての。さらに遠くの大陸に反魂の鏡があると聞いてそこに向かうことにした」


「なかなか行動力のある男だな」


「まあ、昔からそうぜよ。同じとこにいるとすぐに飽きてしまうんじゃ」


「そういった意味ではこの異世界はいいところだろう。無限に探索できる」


「そうじゃの。最高の世界じゃ。はよ、妻を蘇らせて一緒に旅がしたい」


「叶うといいな。しかし、その前にその妻との間に出来た娘に会ってほしいのだが」


「娘? ああ、リョウマのことか」


「ああ、お前を探してこんな地下迷宮までやってきた寂しがり屋の娘だ」


「なんじゃ、あいつ、まだ父離れできてないのか」


「かもしれないな。ただ、今、自分が商売をしている街、海上都市ベルネーゼが危機に陥ってるらしい。貴殿の力を借りたいそうだ」


「なんと、ベルネーゼがねえ」


 と緊張感のない台詞を漏らすと、坂本龍馬は首を横に振った。


「助けてやりたいのはやまやまじゃが、今のわしには無理だな」


「どうしてだ?」


「さっきも言っただろう。これは思念体のわし。一年前のわしなんじゃ。もしかしたら今のわしはとっくに死んでいるかもしれん。くる途中、骨を見かけんかったか?」


「見かけた」


「それがわしの遺骨かもしれんき。そうじゃなく、運良く生き残っていたとしても、わしはもうこの大陸にはおらんだろう。どこか遠くにいっておるはず。気軽に帰ってはこられんはずじゃ」


「なるほど」


 坂本龍馬という男は、日本の幕末という時代、商人として暗躍し、徳川家最後の将軍慶喜に政権を返上させることに成功した男だった。


 二五〇年続いた徳川の世を終わらすことに尽力した男であるが、自身は幕藩体制瓦解後の新政府には加わろうとはせず、船に乗って世界を駆け回ることを選んだという。


 いわばこの男は根っからの自由人、風のような男であった。

 このような男の首に縄を付けるなど、不可能であろう。

 そう思った俺は、彼を引き入れることを諦めることにした。

 一年前の残留思念体である坂本龍馬に向かって言う。


「分かった。それでは貴殿の助力は請わない。ただ、知恵は貸してほしい。俺はこれからそのベルネーゼという都市に向かうが、そこでなにが起きているのだ」


 案外、諦めが早いな、と龍馬は皮肉を漏らすが、同時に俺の洞察力にも賛辞をくれる。魔王殿は人の本質を見抜く目がある、と言った上でベルネーゼについて語ってくれた。


「もうベルネーゼを出て数年経つが、おそらく、ベルネーゼの伝承にある幽霊船が復活したんじゃろうな」


「幽霊船?」


「ああ、ベルネーゼと南方の島嶼都市を結ぶ航路に現れるという伝説の幽霊船ぜよ。それが暴れ回り、貿易が滞っておるのじゃろう」


「ならばその幽霊船を倒せば万事解決というわけか」


「そうなるが、ベルネーゼは魑魅魍魎もうごめいている。早々上手くいくか」


「魑魅魍魎? アンデッドでも徘徊しているのか」


「それならばどんな楽か。まあ、ええ、行けばわかる。行ってわしの師匠筋にあたる人物を尋ねるがええ。そうすればなんとかなる」


 坂本龍馬はそう言い切る。


「師匠筋というと勝海舟か?」


「勝先生は日本での先生ぜよ。マルコ先生はこっちの世界での先生じゃな」


「マルコというのだな」


「そうじゃ。これを持って行けば信頼してくれるだろう」


 と坂本龍馬は自分の脇差しを渡してくる。

 娘のリョウマは脇差しを指していなかったが、坂本龍馬は差していた。

 さすがは北辰一刀流免許皆伝である。


 そう褒め立てると、「まあ、異世界という物騒なとこでは役に立つ免許ぜよ」と言い放った。


 これで坂本龍馬に用はなくなった――、わけではない。

 あるいは今から俺がする願いのほうが本題かもしれない。

 そう思った俺は単刀直入に言う。


「坂本龍馬の娘、リョウマはとても強い娘だ。拳銃を自在に操り、敵を撃ち貫く。しかし、彼女はまだまだ子供。父親が恋しい年頃のようだ。そんな彼女になにか心のよすがになるものを与えてくれないか」


「リョウマが欲しいと言ったのか?」


「いいや、だが、分かる。俺にすり寄ってくるとき、彼女は男というよりも父親として俺のことを見ていた。まだまだ父親が恋しいのだろう」


「ならばおまんが嫁に貰ってくれ。リョウマはいい娘ぞ」


「あいにくとまだ身を固める気はなくてな」


 俺がそう言い切ると、坂本龍馬は笑った。

 次いで懐から紙を取り出す。


「それは?」


「わしの妻の遺髪を挟んだ紙じゃ。わしの宝物じゃな。これを娘にやれ。あん子が生まれたときに母親は死んだが、あん子の母親はおまんを愛していた、と伝えてくれ。そしていつか、その母親と一緒におまんを迎えに行くから、そのときまで孫は作るな、と言っておいてくれ。わしの妻も復活して早々、おばあちゃんは嫌じゃろ」


 冗談めかして言う坂本龍馬であったが、その根底には家族に対する優しさが満ちていた。


 俺は「分かった」と遺髪を受け取る。


 すると先ほどまであれほど輪郭を保っていた坂本龍馬がうっすらとした状態になる。


 もうこの世界に思念体を保っていられないようである。

 彼は最後に言う。


「どうやらここまでのようぜよ。わしの本体は生きているのか、死んでいるのかも分からんが、まあ、いつか会ったらそんときは酒でも飲み交わそうぜよ、魔王アシュタロト」


 それが坂本龍馬の最後の言葉となった。


 彼の言葉を聞き終え、彼が消えると同時にあたりは明るくなり、人の気配が復活する。


 いつの間にか周囲にイヴやジャンヌ、リョウマたちがおり、彼女たちは祭壇の間で鏡を探していた。


 祭壇の間にある鏡は粉々に砕け散っていた。彼女たちはそれの破片を集めていた。

「父上はここで母上と再会したんじゃろか」


 と漏らすリョウマ。俺は彼女の手を引くと、祭壇の間の奥にある個室へ向かった。

 そこで坂本龍馬と会ったことを話すことにした。 

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