巨大エスカルゴ
明らかに人の手が入っていると思われる迷宮を進む。
床は石が敷き詰められているし、壁も自然のものではなかった。
十数メートル置きに照明が設置されているので視界は良好だった。
「この照明がなくなる階層。自然の岩肌が見える場所に、父上はいるらしい」
「そこから動けなくなっているのだろうか」
「それはわからんぜよ。ただ、父上は北辰一刀流免許皆伝の腕前、そんじょそこらのやつには負けない」
「なにか訳があるのかもな。さて、君の父上の心配もだが、まずは我らの心配からしないとな」
「といいますと?」
控えめに尋ねてきたのはメイドのイヴだった。
「ここも整備されているが立派なダンジョン、それにサブナクが宝物庫にする予定だったのならば、守護者はいるだろう。それと出くわさないか心配なんだ」
「まあ、たしかに」
と相づちするイヴ。
それに割り込む聖女ジャンヌ。
「安心するの、メイド。ここにはこの異世界最強の聖女と魔王がいるの。巨大なカタツムリでも出てこない限り負けないの」
「なんでカタツムリなんだ?」
「私はカタツムリが嫌いなの。やつらを目の前にすると力を十全に発揮できない」
「なにかトラウマでもあるのか? フランス人はカタツムリが好きだろう」
「すべてのフランス人が好きなわけじゃないの。なかには嫌いなのもいる」
「どうせ、小さいころに食べ過ぎて腹を壊したんだろう」
「!? 魔王はどうしてそれを? 私の心を読んだ?」
「まさか、今までの行動から推理しただけだよ」
それにしてもエスカルゴが苦手なのか。意外である。
エスカルゴが苦手ならばカタツムリもでんでん虫も駄目だろう。
ただ、不思議とナメクジは苦手ではなく、触れるらしい。
――もっとも食べないそうだが。
「中国人じゃないのだから、なんでも食べないの」
と、お怒りのジャンヌだが、今のところカタツムリ以外はなんでも食べるような気がする。
この前もワイバーンを物欲しそうに見つめていたし。
そんな感想を抱いていると、案の定、そいつはやってくる。
ジャンヌの先ほどの告白は振りでしかなかったようだ。
ずるずる、ずるずる。
と厭な音を立ててこちらに向かってきたのは、やはり巨大なカタツムリだった。いや、でんでん虫かもしれないが。そもそもカタツムリとでんでん虫に違いはあるのだろうか。
そのことをイヴに尋ねると彼女はおかしげに分かりません、と言ったが、それよりも、と続ける。
「宣言通り、聖女様が青く固まっています。彼女は戦力にならないでしょう」
「だろうな。ここは俺とリョウマでなんとかするか」
と言うと隣から「バキュン!」と乾いた音が聞こえる。
リョウマはすでに銃を抜き放ち、第一撃を加えていた。
俺と視線が合うと、にんまりと言う。
「でんでん虫に卑怯も糞もなかろう。喧嘩は先に殴ったもの勝ちぜよ」
「俺と同じ哲学の所有者だな」
と俺も《氷槍》の魔法を唱え、アイスランスを作る。
それをカタツムリに突き刺すが、柔らかそうな身を狙った瞬間、殻の中に入ってしまう。
カタツムリの殻は岩のように固かった。
「これはなかなかに厄介だな」
まるで天岩戸に入った女神様並の防御力である。
氷の槍も火あぶりも効き目が薄そうであった。
もちろん、リョウマの銃も殻までは通さない。
しかし、こちらに攻撃するために殻から出てくるときに的確に銃弾をめり込ませる。
その都度、声なき声を上げて怯むカタツムリ。
ダメージは与えられているようである。
「このままいけば楽勝か?」
そう思ったが、リョウマは首を振る。
「それは無理ぜよ。この拳銃は確実にダメージを与えてはいるが、致命傷は与えられない」
「なるほど」
たしかに横で轟音を響かせている武器は強力であったが、黒い筒から出る弾は小さかった。
人間レベルならばそれが致命傷になっても、巨大な生物にはいささか心許ない。
リョウマの持つ武器は怪物とは相性が悪いのかもしれない。
「そこでおまんさまの登場ぜよ。魔王は怪物にも強いんじゃろう」
「特別に強いというわけではないが、まあ、苦手ではない」
「ならわしの代わりにとどめを刺してくれ」
「気軽に言ってくれるなあ」
俺も先ほどから間断なく攻撃しているが、魔法は銃と違ってワンテンポ遅れるため、殻に入られて攻撃をはじかれることが多かった。
そういった意味では俺のほうが役に立っていないが、たしかに彼女の拳銃では巨大カタツムリは倒せないだろう。ましてや拳銃の銃弾は限られている。こんなところで消費していれば最下層にたどり付く前に彼女は戦力外となってしまうだろう。
もしも次の守護者がでんでん虫かエスカルゴならばそれだけで詰みになってしまうので、俺は作戦を考えることにした。
「要はあのカタツムリを殻から出せばいいのだろう。その瞬間、頭を串刺しにすればいい」
言うは易し、行うは難し、とはこのことであるが、俺には秘策があった。
この前、魔法の鍛錬をしていたとき、とある【スキル】に目覚めたのだ。
「新スキルですか! さすがは御主人様です!」
目ざとくイヴが褒めてくるが、「さすごしゅ」は成功してからにしてほしかった。
そんな言葉を漏らしながら俺は呪文を詠唱し、右手に魔力を込める。
右手に溜めたのは《雷撃》の魔法であった。
「雷撃によってカタツムリにダメージを与えるのですね。やつらは水分のカタマリ、効果てきめんです」
イヴが解説してくれる。
「だが、それだけでは倒せない」
と俺は左手にも魔力を込める。
左手に込めたのは《氷槍》の魔法。
アイスランスを作り出して敵を串刺しにするのだ。
「よし上手くいったぞ」
その光景を見ていたイヴは絶句する。
「そ、そんなまさか」
絶句するイヴにリョウマは尋ねる。
「メイドのお嬢、なにをそんなに驚いてるがぜよ」
「リョウマ様は御主人様のすごさが分からないのですか。御主人様は同時に二種類の魔法を使おうとしているんですよ」
「魔術師に二刀流はいないんかい?」
「いないのです。通常、魔法というものは単独で放つもの。体内に二種類の魔法を同時に宿せる魔術師など聞いたことがありません」
「そいつはすごいのぉ。さすがは魔王殿ぜよ」
と感心するリョウマを横目に魔法を放つ、一撃目は右手の《雷撃》これはあえて殻に当てる。殻の中に引きこもる軟体生物を外に押し出すためだ。
そして雷撃によって出てきた本体を左手のアイスランスで突き刺す。
手ぐすね引いて待っているとはこのことだろう。
俺はカタツムリの頭が出てきた瞬間、その頭目掛け、氷の槍を突き刺す。
グシャ!
というなんとも言えない音が迷宮に響き渡ると、巨大なカタツムリは運動中枢を破壊された。
以後、身体をひくつかせ、その場をのたうち回るが、頭部を破壊されたカタツムリは緩慢な死に向かうしかなかった。
こうして巨大カタツムリを討伐する。
一連の俺の妙技を見ていたイヴは相変わらす手放しで賞賛するが、ハーフエルフのリョウマも感心しているようだ。
「まったく、おまんさんは本当にすごいのお。護衛として雇って正解ぜよ」
と、諸手で評価してくれる。
イヴは付け加える。
「謀略の魔王は、最強の魔術師でもあるのです。その実力は太古の英雄、魔王軍最強の魔術師と同格と謳われています」
「ほほぉ。そりゃあ、すごい」
魔王軍最強の魔術師とは別の大陸の魔王に仕えた偉大な魔術師のことだ。
禍々しい仮面をかぶった魔術師で、その実力は魔王をもしのぐものだったらしいが、とても謙虚な人物で、驕ることも増長することもなく、終生、魔王に忠誠を捧げたそうな。
この大陸でも彼の名は有能な忠臣の代名詞となっている。
名はたしかアイ――
と彼の名を思い出していると、後ろのほうに隠れていたジャンヌが俺に飛びついてきた。
「さすがは魔王なの! あの気持ち悪い生き物を一瞬で倒したの!」
カタツムリがいなくなった瞬間、いつも以上に元気になって抱きついてくるジャンヌ。
現金な娘であるが、今日はそれに追随するものがいる。
「おお、聖女のお嬢、おんしだけ魔王殿を独占たあずるいき。わしもわしも」
と手薄なほうの腕を強引に掴み、身体を寄せてくる。
リョウマはジャンヌよりも豊満な身体をしている。密着されるとどうしても意識してしまう。
両手に花とたじろいでいると、イヴが遠目から冷ややかな視線を送ってきた。
能面のような表情でなにかつぶやいている。
魔法でその言葉を聞くこともできたが、俺はイヴという女性を神聖視しているのでやめる。
唇の動きがどう見ても、「ころすころす」となっているが、そのことを忘却の彼方にしまい込むとそのまま階層を下る道を探した。
その後、たいした強敵とも遭遇せずに第五階層まで降りることに成功した。




