大きく叩けば大きく響き、小さく叩けば小さく響く
俺たちは馬車まで引き返すと、そこで酒宴の準備を始めた。
ハーフエルフのリョウマが「土佐じゃ酒を飲みながら語り明かすのが礼儀じゃ」と言ったからだ。この馬車には潤沢に食料が詰まれていたが、酒はあまり詰んでいなかった。
主である俺があまり酒を飲まない。イヴやジャンヌに至っては一滴も口にしないからだ。
料理酒とわずかばかりの葡萄酒が詰まれているだけだった。
それを見てリョウマは、
「かあー! まっこと情けないのう」
と嘆くが、幸いなことに彼女は自分の馬車に大量に酒を詰んでいた。
それも日本酒である。
透明な液体をなみなみと持っていた。
「今、北部の貴族たちの間では日本酒がブームなんじゃ。南方で米を作らせ、水の綺麗な中央に蔵元を作る。それを北部に輸出して金を稼ぐ。これが今、わしがはまっている『びじねすもでる』じゃき」
「それでこんなにもあるのか」
「道中、半分は飲んでしまうがの」
「……酒豪だな」
「土佐じゃ、女でもこんなもんらしいぞ」
と、さっそく手勺で飲み始めるリョウマ。
本当に酒好きのようだ。
彼女はイヴがつまみを出す前に一升は飲み干すかもしれない。
俺にもぐいっと清酒を差し出す。
酒はあまり強くないが、杯を突き返すほど無粋でもない。
口に入れる。
リョウマの酒は甘からず、辛からず、ほんのりとした良い香りがする。
混ぜ物を入れていない良質の日本酒であった。
「これはいいな。魚料理に良いかもしれない」
「おお、魔王。おまんもいける口か。しかも味が分かっている。やけんど葡萄酒ってやつは旨いが、魚料理だけはやっぱり日本酒ぜよ!」
と言いながら、懐に入れていた鱈の干し身を口に入れる。
「かぁああー! これじゃあ。この旨さじゃ。わしはこれのためだけに生きているんじゃ」
と大仰に言うリョウマ。
彼女を見ていると不思議と酒を飲むことが人生の楽しみのように見えてくる。
酒という液体がこの世でもっとも貴重なものに見えてくるから不思議だ。
それを見ていたジャンヌ、彼女は物欲しそうにこちらを覗き込む。
どうやら日本酒に興味津々のようだ。
「ジャンヌも飲んでみるか?」
そう尋ねると彼女は表情をぱあっと輝かせる。
「いいの? 魔王」
と言ってくる。
彼女はまだ未成年であるがこの異世界では飲酒に年齢制限があるわけではない。
アシュタロトの領地法にもそんなものはない。
ドワーフは赤子でも飲む、というのはさすがに冗談であるが、おおむね15歳を越えれば人間も飲むようになる。
というわけでジャンヌにも酒を勧めるが、酒杯を渡すと彼女はそれをぐいっと飲んだ。
なんでもリョウマの真似をしたかったらしいが、それは普段、酒を飲まない初心者には無茶過ぎた。
あっという間に顔を真っ赤にするジャンヌ、それを見て「かっかっか」と笑うリョウマ。
「金髪のお嬢、日本酒は初めてか、そがな調子で呑んだらすぐに酔い潰れるき」
リョウマの言葉は正しい。
ジャンヌは即座にろれつが回らなくなる。
どん、と酒盃を置くと俺に絡んでくる。
「くるるぁー! 魔王!」
彼女の目はすでにすわっている。酔っぱらいそのものだった。
「魔王は謀略の王と恐れられているけど、本当は意気地なしなの。こんなにも綺麗な聖女が横で眠っていても手を出さないなんておかしいの」
ジャンヌは俺の奥手具合をなじってくる。ダメ出しをしてくる。
指を絡めても手を握り返さない。
毎朝、隙を見せてもおはようのベーゼをしてこない。
お風呂に入ると告げても覗きにこない。
俺の罪状を列挙してくる。なんでももし俺がフランス人ならば即斬首クラスの朴念仁らしい。
フランスに生まれなくて良かった、という感想しか湧かないが、このままだと延々と絡んできそうなので、イヴに頼み、彼女を隔離してもらう。
イヴはやれやれ、と、
「ジャンヌ様、そろそろ馬車に戻って寝ましょうか」
と彼女の肩をかつぐ。
ジャンヌは抵抗したが、馬車に甘いものを用意してある、と、ささやくだけでおとなしくなった。
さすがは万能メイド様、酔女の扱い方も心得ているようだ。
イヴがジャンヌを連れて行くと辺りは急に静まりかえる。
しばし、俺とリョウマは沈黙を肴に酒を吞むが、その沈黙を破ったのはリョウマであった。
「――魔王様はまっこと面白い部下を連れておるの」
「面白いだけでなく、頼りにもなる。ジャンヌはああ見えて、戦場では鬼神がごとき働きをする」
「それはさっき見させてもらったがよ。それに噂にもなっているき。魔王アシュタロトにはふたりの将あり。ひとりは異世界のサムライ、もうひとりは金髪の聖女。その働き、無双にして爽快なり、と」
「ほお、旅の商人の間では有名なのだな」
「ああ、有名やぜ。あの金髪の嬢ちゃんも、それを使いこなす魔王も」
「俺のほうはどんな噂が立っている? まあ、想像できるが」
「――表裏比興のもの、はかりごとの多い魔王、まあ、良い噂と悪い噂半々ぜよ」
「毀誉褒貶が激しいというやつだな」
毀誉褒貶とは、良い噂と悪い噂が半々流れるという意味である。
「ああ、その通りじゃ。悪い噂はずる賢く、勝つためにはどんなこともする卑劣漢。騙し討ちの名人」
「反論できないのが悔しいな」
冗談めかして笑う。
「良い噂は虫にすら情けを掛ける優しき王、民に慕われる聖王」
「それは褒めすぎだ」
「いやのう。相反する性格が駆け巡る時点でおかしいんじゃ。普通、悪い噂のほうが駆け巡るんが早い。なんにおまさんの場合、良い噂も同時に駆け巡ちょる。――ちゅうことはきっと、おまさんは世間で言われているように仁徳の王ちゅう側面のほうが強いんじゃろう、と、わしは読んじょるが?」
「…………」
沈黙によって答える。
肯定するのも否定するのも恥ずかしかったのだ。
「そこで一度おまさんとサシで話したかったんじゃ。じゃけん、城のメイドに近づぅてコーヒーを売ったんじゃ。南方の珍しいものを売れば、興味をひくちゅう思っての」
「その作戦は大成功だ。その後、これ見よがしに情報をばらまきながら北上したのも、俺をおびき寄せる策か?」
「げにまっことおびき寄せるとは人聞き悪い。じゃが、そんなとこがよ」
「それでサシで話した感想は?」
「そうじゃな」
とリョウマは形の良い己のあごに手を添える。
俺を足下から頭頂まで舐めるように見ると、こう言った。
「太鼓に似ておる」
「太鼓?」
意外な答えだった。
どういう意味だろうか、尋ねる。
「叩けばえい音がしそうじゃと思っただけじゃ」
そう言い切ると、彼女は続ける。
「――大きく叩けば大きく響き、小さく叩けば小さく響く。まっこと底の見えん男じゃき、おまさんは」
そう言うと、彼女はにやりと笑った。
その言葉は、かの坂本龍馬が南州翁、つまり西郷隆盛に送った言葉である。
相手の立場、状況に合わせて、戦術・戦略を変えられる度量の大きい男、という意味の言葉である。
かの西郷隆盛に比肩されて嬉しくはあるが、彼女はこの世界で生まれ落ちたハーフエルフ、そこまで意図して使ったわけではないだろう。
もしかしたら父親である坂本龍馬が誰彼構わず使う人物評なのかもしれない。
そう思った俺は、その父親の居場所を尋ねる。
それを聞いたリョウマは形の良い眉を下げる。
闊達だった雰囲気が一瞬で変わる。
なにか不味いことを言ってしまったのだろうか。
尋ねると彼女は首を横に振る。
「いや、おまさんは悪うない。そもそも、今回おまさんと会いたかったんは父上のことを相談したかったんじゃ」
と彼女は明言した。
そして彼女は頭を下げ、こう言い切った。
「実はこのサブナク城の地下迷宮に、父上がいるゆう情報があるがよ……。じゃけん、アシュタロト殿、どうかわしと一緒に潜って父上を探してくれんか?」
その切実なまでの表情、どうやらなにか訳ありのようである。
そう思った俺は彼女の事情を詳しく聞くことにした。




