食べ過ぎ聖女
ドワーフの盟友と酒を飲み交わすと、ちょうど、イヴの準備が終わる。
俺の着替え、旅に必要なものをすべて用意してくれる。
彼女のおかげでこの世界にきてから一度も身の回りのことで困ったことはない。
前世では、やもめ暮らしをしていた気がする。その手のことは全部自分でしていたような気がするので、彼女の存在はとてもありがたいものであった。
そのことを素直に感謝すると、彼女はうやうやしく頭を下げ、「もったいないお言葉です」と言う。
「ですが、御主人様の前世は貴族だったのではありませんか。女中はいなかったのですか」
「いたような、いなかったような」
その辺の記憶は曖昧である。
仮にいたとしてもイヴのように印象に残るメイドではなかったのだろう。
そう結論づけると、執務室を出る。
いつものことであるが、これはお忍びの旅、城のものにも、城下のものにも悟られたくなかった。
「ちなみになんで悟られたくないの?」
とは干し芋をもぐもぐとかじる聖女様の問いである。
理由を答える。
「俺は一応魔王だからな。暗殺の恐れもあるし、それに魔王が留守だと他の勢力にばれれば留守を狙われるかもしれないだろう」
「たしかに魔王は旅をすることが多いの。まるでミトの御老公のようだ、って土方が言ってた」
「水戸の御老公か。つまり水戸黄門のことかな」
「たぶん」
「また面白い人物に例えられたものだ」
水戸黄門とは、徳川御三家のひとつ、水戸家の二代目の藩主である。
この人物は、諸国を漫遊し、悪い代官などを征伐しまくったという。
無論、後世の作り話であるが、後世に影響力を残したのは事実である。
土方歳三が生きた幕末という時代に繋がる「皇国史観」のもととなる大日本史を制作した人物、というのが歴史通の間では有名というか、この人が「大日本史」を編纂しなければ、歴史が大きく変わっていただろう、というのが俺の評価だった。
実は俺はこの人が大好きで、この人のように歴史書を編纂し、静かに余生を送るのが夢だった。
その生き方に憧れていたのである。
――今のところ、物語の黄門様のように諸国を漫遊しては悪党を成敗することのほうが多いような気もするが。
そのことを嘆くと、ジャンヌは、
「理想と現実が真逆なの」
と、可笑しそうに笑った。
現実は物語のようにはいかないようだ、と返すと、町外れに用意してもらった馬車に乗る。
今回、馭者は忍者のハンゾウではなく、スライムに務めてもらう。
人間の姿になったスライムを馭者に扮させると、そのまま旅立つ。
目指すは北にある魔王サブナクの旧領。
そこにいるはずの異国の商人を探す。
それが目下の目標であった。
馬車が動き出すと、ジャンヌがはしゃぐ。
「前、乗ったときよりも快適なの!」
「ゴッドリーブ殿がサスペンションを付けてくれたからな」
「さすぺんしょん?」
きょとんとするジャンヌ。
「サスペンションとは、衝撃吸収機構のことだ。車輪の間にバネを挟み、揺れを吸収する」
「おおすごい。私の巨乳も揺れない」
と微妙なことを言う。
ちなみにジャンヌの胸は人並みである。
「今回は前回みたいに、気持ち悪くならないはずだ」
「あれは不覚だったの。吐くなんて聖女失格なの」
「たしかに盛大に戻す聖女様はジャンヌくらいだ」
「あのことは忘れるの。今の私はジャンヌ・バージョン2.0。対馬車のスキルも付与されてるの」
「ほう、それはありがたい」
正直、数時間おきに背中をさするのは面倒なので、それが本当であることを祈ったが、それはジャンヌの虚勢であった。
彼女は数時間後、顔を真っ青にする。
「魔王、見てるの!」
と調子に乗って、干し芋を食べ過ぎたせいであろう。
そう思ってジャンヌを叱ろうとしたが、それよりもまずは彼女の看病をしなければならない。
馬車を街道脇に止めると、背中をさする。
「そういえば、前回はこんな場面で盗賊に襲撃されたんだよな」
「そうでございますね」
とイヴも周囲を警戒する。
「あれはベタな展開だったが、毎回、盗賊も都合良くやってはこないだろう」
ここは旧サブナク領。
今は誰の領地でもなく、中立地帯である。
隣国である人間の伯爵が一応、領地と主張しているが、実効支配はしていない。
そういった土地は、盗賊が跋扈しやすいが、それでも盗賊とは出くわさなかった。
ただ、前回と違ってジャンヌの容態は一向に良くならない。
彼女はずっと青ざめたままであった。
しばしイヴとふたりで看病するが、ジャンヌの症状は乗りもの酔いではないようだ。
メイド服を着たデータベースであるイヴが、ジャンヌの症状を口にする。
「もしかしたら彼女は食あたりなのかもしれません」
「ありえそうだな。ジャンヌ、今朝はなにを食べた?」
「……魔王と一緒」
と息も絶え絶え言う。
そういえば今朝は一緒に朝食を取ったな。
「ならば食あたりではないのか……」
俺の体調はすこぶる快調だった。
ジャンヌは続ける。
「……あと、干し芋と、干し肉、それに食材庫にあったシュークリームを食べた」
「おいおい、食べ過ぎだぞ」
「腹八分目なの……」
と自己弁護するジャンヌだが、イヴは呆れた顔で言った。
「あのシュークリームは処分する予定だったものです。すえた匂いがしませんでしたか?」
「……した。チーズ風味だと思った」
「なるほど、傷んだ生クリームを食べたのか。それならば食中毒にもなる」
俺は呆れたが迷う。
このままジャンヌを城まで送り返すべきか、それともここで快復するのを待つべきか。
まだ出たばかりなのですぐに戻れるが、城に帰しても心配なのは変わりない。
それに件の商人がいつまでサブナク城にいるか分からない。
そう思った俺はこの場でジャンヌを治療することにした。
羽織っていた外套を脱ぐと、イヴにこの場で看病するように言いつける。
「御主人様はどちらにでかけるのですか?」
「この辺に湖があっただろう」
「ありましたね。サブナク討伐のとき、合流場所にしました」
「そこに食中毒に効果がある浮き袋を持った魚がいたはず。捕まえてきて薬にする」
「なるほど、さすがは御主人様です。よろしければ夕飯代わりに、鱒も釣ってきて頂けると助かります」
「検討しよう」
それを聞いたジャンヌは、
「鱒だけじゃなく、ウナギも美味しいの……」
と、この期に及んで食い意地が張った台詞を漏らす。
それを聞いた俺とイヴは「やれやれ」と漏らしたが、俺はジャンヌらしいと思った。




