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竜の娘は生きている  作者: 囘囘靑
第五章B:銀台宮少女行
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087_獲物

 誰かに胸ぐらを掴まれた気がして、エバは飛び起きる。


「誰ッ?!」


 周囲を確認するも、辺りには誰もいない。ただ幻覚を見ていただけのようだった。


(夢か……)


 こめかみから伝う汗を、エバは手でぬぐう。と同時に、今の今まで自分は眠っていたのだということに、エバは気付いた。


 リリスが来なかった――とりもなおさず、それはリリスがエバの夢に干渉しなくなったということにほかならない。しかしなぜだろう? あれほどしつこくリリスの夢を見ていたというのに。今のエバには、その原因が突き止められなかった。


 そして、どのくらい眠っていたかも分からない。一分? 数時間? 一日? あるいは数百年眠っていたかもしれない。ただとにかく、今は以前よりも軽い心地だった。現実以上にむごい夢だったのに、それでもどことなく、エバは吹っ切れることのできた気がした。


 ヒスイを助けること。それが目標だった。いや、これからの目標であるのかもしれない。それ以外のことは考えない。三人は――エバと、ヒスイと、セフの三人は、揃っていなければならないのだ。それがエバの答えだった。


 立ち上がると、エバは辺りを見渡してみる。霧で視界は利かない。加えて人の気配もしない。


「タミン?」


 恐る恐る、エバは案内人の名前を口に出した。声は霧に吸い込まれていく。


 所在なくしていたエバだったが、そのとき、強烈な寒気が背筋を走った。


(何だ?)


 立ちすくんでいたエバは、ふとある方角へ無意識に向き直る。


「そちらへ進め」


 と、みずからの第六感がそう告げ知らせる。それと同時に、セフの影像(イメージ)が脳裡をよぎる。


(行かなきゃ)


 背嚢(ランドセル)を背負い直すと、迷うことなくエバは駆け出した。もう頭痛はしない。いつもより早く走れる気がした。


   ◇◇◇


 霧の中を駆けるエバの耳に、小川のせせらぎが聞こえてくる。こんな霧深い山の奥でさえ、川というものは流れているようだ。


 さいわい、川の周囲は低い(かん)(ぼく)のみで、今までの場所よりも見通しが効く。


 川べりまで来ると、エバは辺りを見渡す。やがて、川の対岸に打ち上げられている、小柄な少女の姿を発見した。


「セフ!」


 少女は――セフは、うつ伏せになり、目をつぶっていた。両手は岸辺の砂利を掴み、両脚は川に投げ出されている。川を渡りきり、そのまま力尽きているようだった。


 居てもたってもいられず、エバは川の中へ足を踏み入れようとする。だが水底はよく見えず、砂の粒は細かかった。脚を取られそうになり、慌ててエバは右足を砂から引っこ抜く。


 エバは瞳を凝らして、セフの表情をうかがった。はっきりとは分からないが、苦悶の表情を浮かべている。何より血色が悪い。あまりうかうかはしていられないだろう。早くセフを介抱しなくてはならない。


 川を渡る手立てを、懸命にエバは探した。川幅の浅くなっている箇所があればよいのだが、エバには見当がつかない。


 と、そのとき。エバの視界に細長い木の枝が飛び込んでくる。


 これならばと、エバは駆け寄り、その枝を掴んで折る。箒の要領で跨ると、エバは感触を確かめてみる。


 覚悟を決めると、エバは(もろ)()で枝を握りしめる。しょせんはただの枝である。うっかりすれば、川の真ん中でひっくり返ってしまいかねない。気を落ち着け、エバは自身の魔力を解放する。エバのかかとが浮き、爪先が地面を離れた。


 歯を食いしばり、エバはゆっくりと“箒”で川を渡る。笑ってしまいたくなるくらいの低空飛行だった。動作は緩慢だったが、それでも着実に対岸まで近づく。


 対岸へたどり着くと同時に、脚で挟みつけていた“箒”が急旋回した。堪らずエバは“箒”の柄を放し、岸へ転げ落ちる。落ちた拍子に脛を打ち、額を石にぶつけた。“箒”は川の中へ落ち、浮き沈みしながら下流へと流れ、見えなくなる。


 痛がっている暇などない。そのままエバは駆け寄ると、セフの身を起こした。


「セフ!」


 セフは動かない。


「大丈夫?! 返事して!」

「う……ん?」


 エバの言葉に呼応して、セフは身じろぎをした。セフの瞳が見開かれ、エバの姿が映りこむ。


「……うわっ?!」


 瞳の焦点が合うやいなや、セフはエバから離れた。それからしきりに自分の肩を触ると、何かを必死になって探っている。


「……斬られてない?」

「どうしたの?」

「エバ……わたし、夢でも見てるのかな?」


 すがるようにして、セフはエバに訊ねる。この期に及んで、セフの瞳が妙にはれぼったいことに、エバも気づいた。きっとセフは、気を失いながらも泣いていたのだ。


「――あたしだって、夢から醒めたばかりよ?」


 ただ改めて問われると、エバも生きた心地がしない。


「変な質問しないでよ」


 思わずそう言ってしまってから、エバは言い過ぎたと思った。


「ご、ごめん――」


 それでもセフは素直に謝った。それから二人とも黙りこくる。どうしていいのか分からず、二人とも自分のことを「不器用だ」と考えた。思えば、あんなに激しく言い合ったのも、二人にとってははじめての経験だった。転日宮へ戻ろうとするセフに、エバはまだ我慢ならなかった。それに対し、自分に内緒でヒスイと逢瀬していたエバを、セフもまた見過ごすことが出来なかった。


 でも今は二人とも、大切なことに気づいていた。すべてのことは、ヒスイがいなければ何一つ解決しないのである。


「あのね――」

「えっと――」


 意を決して話しかけたエバの声に、たどたどしいセフの声が重なる。


「……なに?」

「ううん。何でもない……エバから、どうぞ」


 そう言われたあとで素直に謝罪するのは、エバにとって難しいことだった。口の先まで出かかっていた「ごめん」の言葉が、喉の奥底へ沈んでゆく。


「セフ」


 しばらく間を開けてから、それでもエバは口を開いた。


「無駄なことは言わないわ。あたしは一つだけ言って、一つだけ訊ねる。あたしはヒスイを助けに行くわ――これが一つ目。セフ、――あなたはどうするの?」


 ……

 ……


「セフ、あなたはどうしたいの?」


 ……

 ……


 セフは唇をかんだ。セフにとっては重たい質問だった。ただセフがどう答えようとも、エバは必ず銀台宮まで行くだろう。


「わたしは……」


 答えようとしたセフ、答えを待つエバ。


――ザッ、ザッ。


 そんな二人の耳に、何者かの歩む音が聞こえてきた。


「今のは――?」

「シッ!」


 口を開きかけたエバを、セフは制した。音の在り処へ一歩踏み出すと、セフは吹毛刀を抜き放つ。放たれた吹毛刀は霧を受け、まだらに輝いている。


――ザッ、ザッ。


 灌木を抜け、砂利を踏みしめ、霧の向こうから人影が姿を見せる。――金瓶梅ジムペイバイイヲだった。緑の髪をなびかせ、うずくまる二人を凝視したまま、イヲは悠然と近づいてくる。


「どうして……?」


 エバは半信半疑といった様子だった。それでもみなぎる殺気に、エバは後ずさるしかない。

 目にも止まらぬ早さで、イヲが抜刀をする。細い刀身が霧の中を浮き沈みする。口をひん曲げ、イヲは哄笑した。さながらヘビのように、舌を口から出している。


「セフ……?」

 脇で吹毛刀を構え、セフが立ち上がった。相手はセフの師匠である。しかし、イヲに対するセフの態度は決然としていた。

師範ダォシ、それ以上寄らないでください」


 弟子に制されても、イヲは何一つ言葉を発しなかった。その代わり、大げさに首を傾げてみせる。まったく直角に近い首の傾げ方だった。ただならぬものを感じ取って、セフもエバも嫌悪の念を覚える。


 イヲが一歩近づく。

「ダォシ!!」

 恐怖のためか、哀切のためか、セフの叫びはかすれていた。イヲがまた一歩近づく。振り上げられた太刀は、真っ直ぐにセフを狙っている。言葉にならない叫びが、セフの喉から響き渡った。エバの下を飛び出すと、セフはイヲめがけて踏み込み、吹毛刀を振り下ろした。


 右肩から左の腰骨にかけて、セフの吹毛刀が一閃を浴びせる。それ自体が光源であるかのように、吹毛刀が二人の眼前で光る。

 血が吹き上がり、辺りを覆う霧をぬらす。


「あっ?!」

 エバの唇から、今度こそ言葉が漏れた。セフに切り裂かれ、今まさに崩れ落ちようとしている肉体――。


 それがいつの間にか、リリスに変わっていた。

「姉さん!」

 叫び声が山中に響くのと、リリスの肢体が土に叩きつけられるのと、どっちが早かっただろう。リリス“だった”死体は血しぶきにまみれ、ぐちゃぐちゃになる。


 ウソだ。

 姉さんが……死んだ?

 目の前に起きている現実は、確かにそうだった。エバの慣れ親しんだ姉、そしてエバを裏切った姉が、いま霧深い山中でしかばねとなって転がっている。目で見える事実はそう語っていた。


 だが、何かがおかしい。

 少なくともエバの直感は、目の前の光景を否定していた。おかしい――何が? ――なぜリリスは、イヲに変身していたのだろう? ――魔法が使えるはずなら、二人に接近する必要などないはずだ。――遠巻きに二人を眺めつつ、ただ魔法を放って業火に巻き込めば良いだけ。――魔法が使えないのなら、――今死んだのはイヲの方か? ――いや、ならばどうして、死ぬ間際になってリリスの姿になったのか?


 事態を飲み込めずにいるエバの耳に、澄んだ金属音が響いた。

「あ……ぁ」

 見れば、吹毛刀を取り落としてひざまずく、セフの姿があった。


――……


 一瞬の出来事だった。

 イヲの右肩に、振り下ろした吹毛刀が食い込む。その最中、イヲの姿が揺らぎ、リリスに姿を変じた。


 心臓が噴火してしまうかのような、強烈な罪悪感が一気にセフを襲った。だが太刀はもう、セフの力量を離れた凶器と化していた。吹毛刀は肉を食い破り、リリスの姉をただの死体へと裁断する。見開かれたセフの目に、崩れ落ちるリリスの肢体が映った。だがもう、セフの意識は消し飛んでいた。


 セフの全身全霊が、すべての罪を了解した。

 セフの親しんでいたヒスイを、エバは間接的に奪った。

 今、エバの親しんでいたリリスを、セフは直接的に奪っている。


 一時はエバの所業を憎みさえした。だが今の自分はどうか? エバよりも卑劣なことを、取り返しのつかないことをしてしまったのである。――しかも、当人の目の前で!


「あ……ぁ」

 全身が痺れたようになり、セフは太刀を取り落とす。逃げ出したいのに、膝はいつの間にか地面についていた。全身を切り刻みたい衝動にセフは駆られる。だが、今のセフにはもう、取り落とした太刀を握る力さえ残っていなかった。


 生臭い血の匂いが、セフの鼻をつく。

 セフの目から、涙がこぼれた。


「――セフ!」

 声とともに、エバがセフの身体を揺さぶった。

「エバ……エバ……わたし……」

 それ以上、セフは言葉を紡げない。目から溢れる涙が、しきりに頬をつたい、地面に落ちる。


「大丈夫よ、セフ……。ほら、よく見て!」

 セフを励ましつつ、エバ自身もリリスの亡骸を注視した。

 何かがおかしい――そんなエバの直観は、当たった。


 斜に切り裂かれ、生気を失ったリリスの亡骸。その亡骸が突然、青白い炎を噴いて燃え始める。すすり泣いていたセフも、この異常現象に目を丸くした。

 炎は電気を放ちながら発散される。やがてリリスの亡骸そのものが、溶けて無くなってしまった。

「どうして……?」


 泣くことも忘れて、セフが問いただす。

 エバは黙ったまま、今度は霧の向こう側をにらんでいた。

「幻覚よ」


「幻覚? って――」

 エバの言葉を、セフは繰り返す。

「何で? どうして?」

「シッ! ――」


 セフの口を閉じさせ、なおもエバは前方を睨み付けていた。深い霧は空間を塗りつぶすかのように垂れ込めている。その向こう側――、


 そこには、タミンが立っている。


「タミン!」

 思わずセフは叫ぶ。

「ダメ、ダメッ――!」

 とっさに、エバはセフの口を塞いだ。


「ダメ――」

 それ以上の言葉は、エバの口から出ない。どうして「ダメ」なのか、エバは直観的に分かっていた。

 どう言えばセフに伝わる?

 このことを、どう表現すれば……。

 そうだ。


 セフの耳元で、エバは囁いた。

「タミンに喰われる」

 目玉だけを動かして、セフがエバを見つめた。驚愕の念が、セフの黒い瞳から伝わってくる。


 しかしエバは真剣だった。下手に逃げるような行動を取れば、きっとタミンは二人を“喰う”だろう。

 どうしてか? ――その理由は分からない。それでも、エバは動かしがたい確信を抱いていた。


――タミンに喰われるな。


 イェンの言葉は、まさしく真実なのだ。

 霧の中、タミンは真っ直ぐ二人を見つめている。タミンの持つ水色の瞳は、静けさを湛えている。ただしそれは、本来人間が持つべきではない静けさ、すなわち死の静寂だった。


 エバとセフを見つめるタミンも、タミンに見つめられるエバとセフも、お互い墓石のごとく沈黙したままだった。


――ドスッ、ドスッ。


 二人の背後から、突如として地響きが沸き起こった。何事か分からず、セフはただただ身を強ばらせている。

 セフの体に手を回したまま、エバも身じろぎをしない。セフの精神が混沌の極みに達している一方で、エバは冷静だった。


――ドスッ、ドスッ。


 規則的な地響きが、二人へと近づいてくる。巨大な生物の足音であることは明らかだった。セフが脚を動かし、何とか立ち上がろうとする。だがエバは、それも許さなかった。


――ドスッ、ドスッ。


 規則的な足音とともに、腐敗臭と、ぞっとするほどの冷気が立ち込めてくる。

 しかしエバには分かっていた。たとえ背後に何が迫っていようとも、今はタミンから目を離してはいけない。

 タミンの思うつぼだからだ。


 うずくまる二人のすぐ耳元で、足音の主が喉を鳴らす。唾がこちらまで飛んできそうな、大きな音だった。それはいつぞやの転日宮で聞いた、竜の唸り声にも似ていた。手を伸ばせば届くほどの近さに、足音の主は迫っている。冷気はますます強くなり、もはや腐敗臭すら気にならなくなっていた。


 タミンはずっと、こちらを見ている。

 エバもずっと、タミンと視線を合わせつづける。


――ドスッ、ドスッ。


 どれほど互いに睨みあったことだろう。やがて足音の主が再び歩み始めた。規則的な闊歩とともに、次第に二人から離れてゆく。冷気がおさまり、臭いもしなくなった。


 それと同時に、タミンの姿も消えてしまう。

 足音は遠ざかり、ついには二人の耳にも聞こえなくなった。嵐の後のように不気味な沈黙のなかに、エバとセフだけが取り残されていた。


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