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竜の娘は生きている  作者: 囘囘靑
第四章:転日宮少女行
54/104

054_鱗の壁

「待って」


 指先に、エバが火をともした。暗かった抜け道が、温かな光に包まれる。

この通路は頻繁に使われていたのだろう。単調で殺風景だったが、埃をかぶっている箇所は見当たらなかった。


「どこまで繫がっているんだろう?」

 目を細め、奥まで続く暗闇をセフが凝視する。

「イェンさんから転日宮ハルムイールの地図でも貰うべきだったかも」

「いや、意味がないと思うわ」

 指先に揺れる火を掲げ、エバが先頭に躍り出た。


「意味がない? どうして?」

 壁を手でなぞりながら、ヒスイがエバに尋ねる。三人のほかに、生き物の気配はない。やはりサイファも、ここの通路だけは見逃していたようだ。

「転日宮って、建物の構造はすごく単純なのよ。クライン導師に聞いたから、たぶん間違いないと思う。ただし――」


 エバは言葉を続ける。「ただし、建物は赤に塗りつぶされているの」

 赤に? そうヒスイが尋ねようとした矢先、先頭を歩いていたエバが立ち止まる。

「ほら、見て!」

 エバに促され、ヒスイとセフが足元を見やった。先の道は階段になっている。このまま転日宮のどこかへ通じているのだろう。


 ただの抜け道に過ぎないというのに、その階段は赤黒く塗りたくられていた。

 段差を数えようと、暗闇の中でヒスイは目を凝らす。しかし均質に色が塗られているせいで、階段の段差は見分けがつかなかった。深い赤色の前に、階段の輪郭は完全に消滅してしまっている。


「こんな感じか――」

 暗がりにセフはしゃがみ込む。

「段差が分からなかったよ」

「段差に限った話じゃないと思うわ」

 段差を探るようにして、エバが恐る恐る一歩を踏み出した。


「建物全体が、輪郭が見分けられないように赤く塗られているんだって、壁も、柱も、調度も全部! 『国師ってとんでもない変人なんだなァ』って思っていたけど、今なら分かるわ。この赤色、全部小豆色なのよ」


 確かにその通りだった。赤と呼ぶには黒く、やけにくすんだ赤色、これは小豆の色と同じだ。国師サンは敵を寄せ付けぬためにそのような配色にしたのだろうか。それとも自分の異常な性向のためか。

 いずれにせよ皮肉なことに、サンの施した細工は、次世代にとって重い足かせとなっている。


 壁に手を添えつつ、三人は階段を登りきった。エバの放つともし火から、その場所が小部屋であることが辛うじて分かる。

「ここだ」

 手探りで、ヒスイは扉を探った。取っ手に手をかける前に、ヒスイはふと思いついて、右手を銃に添える。


――ケ、娘。戦場ハ向コウダ


 銃の声が、ヒスイを押し潰しそうになる。

「大丈夫、ヒスイ?」

 うつむくヒスイの表情を、エバが心配そうに覗き込む。

「ええ、平気よ」

 ヒスイは右手を離すと、今度こそ取っ手を握り締める。「行こう!」

 エバとセフが頷く。ヒスイは扉を開け放った。


――……


 薄暗い廊下。どこかから絶叫が響く。聞き違えがなければ、おそらくはボウの悲鳴だ。

「エバ、火を消して」

「分かった」


 エバの火は急速に弱くなり、しぼんだ。三人は息を殺す。張り詰めた、冷たい空気が流れていた。血の臭いと、腐った臭いが空気に混じっている。視覚がかないせいで、耳と鼻がより敏感になる。人の気配はなかった。


「ヒスイ、あっちを見て」

 ヒスイの袖を、セフが掴んで引き止める。ヒスイはその方向へ近づいた。足に硬いものが当たる。よく見れば、それは氓を包んでいた青い泥――“竜の鱗”だった。


「全部孵化した、ってこと?」

 後からやって来たエバが、慎重に固まった泥に触れる。

「ちがう、多分そうじゃない」

 全貌を眺めるために離れていたセフが、頭を振った。

「サイファは、ここの道を塞ぎたかったんだよ」


 言われてみれば、確かに青い泥が通路の天井までを完全に塞いでいた。“竜の鱗”を利用して、即席の壁を作り上げたのだ。

「人間を固めて作ったってわけか……!」

 セフが勢いよく、氷霜剣を抜き出した。

「こんなもの――!」


 氷霜剣を両手に構え、セフが泥の壁に突き立てた。卵の殻が割れるような、乾いた音が響く。手ごたえを感じたセフは、そのまま体重をかけて壁を縦に切り裂いた。漆喰のように凝り固まった青い泥が、大粒のかけらとなって周囲にこぼれる。


 抉られた壁に手をかけて、ヒスイも剥がすのを手伝う。人一人が通れるほどの隙間を作るのに、そう時間はかからなかった。

「壊すのはそれほど手間じゃないわね」

 エバはそう言って唇をかんだ。


「でも、箒を持ってくるべきだったかしら?」

「飛ぶのは危険よ」

 身体を横にして、ヒスイがそこを通り抜ける。

「とにかく、正門まで行かないと」

「そうね。分かった」


 エバも頷き、差し出されたヒスイの手を受け取る。遅れて、セフも壁にあいた穴を通り抜けた。

「取り敢えず、向こうへ――」

「……しっ!」


 エバが言い終わらないうちに、セフが口許へ指を添える。やや遅れて、甲高いうなり声が廊下を響きわたった。氓の集団が、どこかにたむろしているらしい。

「どこにいるのかしら?」

 小声で、ヒスイがセフに訊ねる。

「たぶん、正門に近い側だと思う」


「何よ。氓を集めて、また壁でも作るつもり?」

 あざけるようにしてエバが言った。それに上手く返事が出来ず、ヒスイもセフも押し黙る。

「あー……、なんかごめん。つまりあたしが言いたいことは――」

「いや、別に、大丈夫」

 わびるエバを、セフが手振りでたすける。

「とにかく、目先のことに集中しないと」


 足音を立てないよう細心の注意を払い、三人は壁際まで近づく。壁からそっと身をのりだし、ヒスイは様子を探った。

 行く手には、ボウの集団が立ちはだかっている。何をすることもなく、氓たちはおぼつかない足取りで右往左往し、通路を塞いでいた。薄暗い廊下の奥で、氓の丸い瞳だけが人魂のごとく烱烱けいけいと光っていた。


「どうする、ヒスイ?」

 エバが、ヒスイの側まで寄ってくる。表情こそ変えていないが、エバの声色はさっきよりも硬くなっていた。予章宮で氓の集団に襲われたことを、エバは思い返しているのだろう。


「いったん、回り込んでみない?」

 エバの言葉を聞いたヒスイは、あることを閃いた。

「ねぇ、エバ――」

 後ろを振り向いて、先ほど通り抜けた“鱗の壁”をヒスイは指で示した。

「あの壁に、ここから火をつけられるかしら?」


「……おびき寄せるつもり?」

 セフの声に、黙ってヒスイは頷いた。集団になると氓は凶暴になり、明かりに群がるようになる。群れている隙に扉へ辿り着けば、余計な心配もせず正門まで逃げきれる――これがヒスイの算段だった。


「オッケー。大丈夫よ」

 エバはタクトを取り出すと、姿勢を低くしたまま壁際からにじり出る。廊下の脇には、壺の置物が展示していた台座があった。暗がりの中、これも全部小豆色のせいで見えづらい。エバはその台座の足元にうずくまる。赤い装束を着ているせいで、エバは実によく背景に紛れ込んでいた。


(いくね!)

 暗闇に慣れはじめたヒスイとセフに、エバが身振りで合図した。タクトが風を切る、か細い音がする。ヒスイとセフの側を風が通り抜け、一気に空気が冷える。思わず吐いたセフの息が白い。


 遠くにある“鱗の壁”をヒスイは眺める。先ほど通り抜けた穴の輪郭が歪み、わずかに光る。光は炎へと姿を変じ、一瞬にして壁全体を呑み込んだ。業火は音もなく、ただ光だけを発している。


 身の毛もよだつ絶叫を、一匹のボウが上げる。それに呼応するかのように、氓の集団は一斉に駆け出した。さっきまでの腑抜けた足取りが嘘のようだった。タイルを散らしながら、氓たちは火に飛び込んでゆく。身体に炎をまとっては、火の粉を散らして暴れている。

 何を目的に氓が火へ飛び込むのかは分からない。分からないがゆえに、三人は得体の知れない恐怖をより深く感じ取っていた。


「行こう、行こう――」

 ヒスイの呼びかけに応じて、三人は扉まで駆け出した。近づくにつれて、扉の様子も鮮明になってくる。


「まずい!」

 真っ先に駆けつけたセフが吐き捨てる。この扉もまた、“鱗の壁”に覆われていた。

「急がないと!」

 “鱗の壁”に、セフは氷霜剣を突き立てる。いったんはヒスイも銃把を握り締めた。しかしきっと氓は音に反応するだろう。やむなく手を伸ばして、ヒスイも“鱗の壁”剥がしに参加する。


「エバも!」

「……待って!」

 ヒスイの呼び掛けに、エバはすぐには答えなかった。通路の中央にしゃがみこんで、何かを書き付けている。


「エバ、二人じゃきついよ」

 両腕で柄を握り、縦に刃を傾けながら、セフがエバに言う。切羽詰まった口調だったが、エバはこちらを振り向かない。エバの握り締める水色のチョークが、更にはげしく軌跡を描く。


「エバ!」

「待って!」

 機械的なやりとりだったが、そうであるために緊迫感は否応なしに高まってゆく。


 氓の群れは待ってくれなかった。火の粉を振り払うと、ただれた皮膚から煙を放ちつつ、一匹の氓が悲鳴を上げる。いままでの悲鳴と違い、野太い、耳障りな声だった。


(鬨の声だ)

 ヒスイは直感した。“鱗の壁”から離れ、後ろを振り向く。

「エバ、しゃがんでて――!」

 声を上げたときには、既に引き金に指を添えていた。確かな手応えと、腕にはしる衝撃――銃声! 稲妻のような咆哮と共に、見えない弾は空を切り裂いて氓の額に飛び込む。先頭をはしる一匹の氓が、頭を散らして吹き飛び、倒れる。その残骸を蹴りつけるようにして、後から後から他の氓たちが連なる。


 暗闇に目を凝らし、ヒスイはもう一発。一匹の氓の右脚が、根元からもげる。弾けた肉塊は周辺に飛び散って、転日宮の赤黒い通路をけがす。どこからか吹いてきた風が、焼け爛れた氓たちの臭いをヒスイに届ける。肉の焼ける香ばしい臭いは、却ってヒスイを戦慄させた。脚を失って倒れこんだ氓は、仲間達に踏みつけにされる。狂信的な何かを感じ取り、ヒスイもひるみそうになる。


「だめだ、まずい!」

 氷霜剣を“鱗の壁”に突き立てたまま、セフが長刀を抜き放ち、駆け出す。


「待って――!」

 それを止めたのは、エバだった。駆けだすセフの側に立ちはだかると、エバは強引につかみかかって、セフを押し倒す。


「エバ?!」

「ヒスイも伏せて!」

 ヒスイの声よりも、エバの声のほうが遥かに鋭かった。声に導かれるようにして、ヒスイも膝を曲げて姿勢を落とす。エバのすぐ側で、床がきらめいた。何かの魔法陣――それだけはヒスイにも分かった。


 先頭を走っていた氓が、牙をむき、しゃがみ込むエバとセフに踊りかかる。ひづめの生えた脚が魔法陣に触れる。

 次の瞬間、魔法陣が眩い光を放った。炎よりも明るく、しかし冷たい光だった。ヒスイも耐え切れずに目をつぶる。氓たちの絶叫と、それを上回る破砕音が、ヒスイの耳に響く。


 ヒスイは再び顔を上げる。氓の姿はない。切り刻まれた氓の肉片が、周囲で渦を巻くように散らばっているだけだった。


「ハァ、ハァ――」

 浅い息をつきながら、セフがエバを抱き起こした。「エバ、今のはいったい何?」

「稲妻を発する魔法陣よ。あの中へ踏み込むと、足から頭の先まで稲妻が流れるの――」


 立ち上がると、エバは指先に火を点した。通路は明るく照らされ、魔法陣の全体像も垣間見れる。通路を埋め尽くすように書きめぐらされた魔法陣は、実に幾何的で、複雑な文様を描いていた。


「方角がぴったりだから、使えるんじゃないかと思ってね。バッチリだったわ。さすがはあたし、でしょ?」

「失敗したら、どうするつもりだったの?」

 軽口を叩くエバに、不安げにセフが尋ねた。


「失敗なんかしない」

 エバはにべもなく言い放った。

「あたしの勘だけど、ね?」

「……行きましょう、二人とも」

 銃をホルダーに仕舞うと、ヒスイもようやく一息ついた。

 “鱗の壁”を再度剥がしきり、三人は奥へと進む。

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