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竜の娘は生きている  作者: 囘囘靑
第四章:転日宮少女行
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046_浴場にて

「ヒスイ、少しよいかの?」


 同意を促すよう、イェンはヒスイに呼びかける。言葉と裏腹に、ヒスイの身体が持ち上がるほどの力で、イェンはヒスイの腕を引っ張った。


「イェンさん……」

「何かあったのじゃな、ヒスイ?」

 廊下の裏手まで、イェンに引き寄せられる。ヒスイは唇をかみ、かぶりを振った。


「――何も無かったわ」

「嘘を申すでない!」

 イェンの声は抑えられ気味だったが、口調には怒りと、若干の焦りとがこもっていた。


「当ててやろうかの。彼奴きゃつらを見たのじゃな? 国璽尚書こくじしょうしょの被る面が同じに見えたのじゃろ?」

「私は……」

「ん?」


 それ以上、ヒスイは言葉を紡げなかった。目頭が熱くなり、自然と涙が零れる。張り詰めていた糸が切れてしまったかのようだった。イェンが差し伸べた手を制すと、ヒスイは俯いて涙が零れるにまかせた。今はそうしたい気分だった。


 テントに到着した際に、エバも泣いていた。あのときの心情が、ヒスイにも分かってくる。

「な、何もヒスイを責めておる訳ではないのじゃぞ?」

 泡を喰ったのか、しどろもどろにイェンはヒスイを慰める。


「ただ何があったのか聞きたかっただけで――」

「大丈夫……大丈夫よ、イェンさん」

 涙を拭ってから、ヒスイは深く息を吐いた。


 それから下天で起きたことを、ヒスイは始めから終わりまで残らずイェンに伝えた。

 初めこそ何度も頷いていたイェンだったが、話が終盤に差し掛かるにつれ、目つきは険しくなり、押し黙るようになってしまった。


「まだ、生きておったのか」

 話を聞き終え、イェンは真っ先にそう口にした。


「人肉を喰らうところまで堕ちたか……」

「イェンさんも、アイツらと?」

「左様じゃ」

 言ったあとで、イェンはわずらわしげに頭を震わせた。


「思い出したくもないが、そうせずにはおられん。あれと勇者様たちがアイツらに出くわしたとき、アイツらは戦争をしておった」

「戦争を……?」

 思いがけない単語に、ヒスイはイェンを凝視する。ウテーにいたとき、そんな言葉はサァキャからもフスからも聞かなかった。


「でも、それだと私たちが聞いた話と違う!」

「気にするでない」

 ヒスイの疑問を、イェンは軽くあしらう。


「サァキャとやらは約束を破ったのじゃろ? アイツらは嘘つきで、陰険で、癇癪かんしゃく持ちで、しかも妄想好きじゃ。自分で作った妄想に、自分で溺れておるのじゃから世話はないわ。ただ確実に、アイツらのやっていたことは戦争じゃった」


 フスの姿が、ヒスイの脳内で再生される。フスの死を“仲間割れ”と割りきり、その純心を“虚妄”と一蹴できれば、どれほどヒスイの心は軽くなるだろう。

「サン様は彼奴らを嫌っておったな……『自分の醜悪さにハッとさせられそうになる』とか言っておった。お前さんの母者は逆に好いておったようじゃがの」


「お母さんが?」

「そうじゃ。『自分を見ているようでワクワクする』とな」


 ヒスイが思い浮かべていた、ぼんやりとした母親像。それが、今の言葉で更にあやふやになる。

 言葉だけ聞いていれば、ただの強がりにしか聞こえない。だが、やけに力んだイェンの口調を聞けば、そこに狂気が潜んでいることがよく分かる。


「もういい、分かった。イェンさん、私は大丈夫」

 ヒスイはイェンから視線をそらす。放っておいて欲しいという気持ちが、いちだんと強まってきた。

「エバと、セフにも言っておかないと」

「そうか……そうじゃな。それがいい」

 話を止めにしたい、というヒスイの気持ちが分かるのだろう。イェンは頷くばかりだった。


――……


 先程の部屋に、ヒスイは戻ってくる。エバとセフ、そしてリリスの姿はなかった。

「みんなは……?」

「エバ殿とセフ殿は浴場まで行かれました」

 すかさず立ち上がり、ジスモンダが答えた。


「リリス殿は転日京ハルムイールの周縁を索敵に向かっております」

 お面の裏にある、ジスモンダの丸い瞳をヒスイは見つめた。ジスモンダの澄んだ黒い瞳に、サァキャが持っていたような狂気は見受けられない。


「いかがなさいましたか?」

「いえ、別に……」

 首をかしげるジスモンダに対し、ヒスイは何気なくそう答える。それからヒスイは周囲をうかがう。部屋の間取りも、机と椅子の配置も、ウテーにあるサァキャの家の食道で見た様子と酷似している。


「お気に召されませんか?」

 近くの椅子に腰を下ろし、ジスモンダは口を開いた。

「誠に申し訳ありません、勇者の娘。サイファがけしかけてくる異形の猛攻に耐える上で、内装や設備には構っていられませんでした」

「いや、そんなつもりじゃ……」


 詫びるジスモンダに、ヒスイが気圧される。

 後からイェンが入ってきた。

「なんじゃ、おらんのか……」

 イェンはがっかりした様子だった。


「エバたちはどうした?」

「湯殿におります、イェン国従」

「そうか、ならヒスイも行ったらよかろう?」

「……えっ?」

 イェンの突拍子もない提案に、ヒスイは面食う。


「でも、そんな悠長なことしてたら――」

「いえ、こんなときだからこそ、です」

 ジスモンダが口を挟んだ。


「休息も戦略の一環です。警備は厳重ですし、体温の適度な上昇は心身の疲労を和らげます。何よりヒスイ様たちは下天で測り知れぬほどの苦労をなされております。今は大丈夫でも、休めるときに安らがねば後々支障をきたしますよ?」

「そうじゃ。分かったのか分からんのか、よう分からんが、国璽尚書の言う通りじゃ」

 そこまで言われると、もう入らないわけにはいかないようだった。湯殿のイメージがヒスイに沸くにつれ、自分の濡れそぼった身体が更に重くなる気がした。


――……


 衣服を脱いで浴場へ行ってみれば、エバとセフは既にくつろいでいた。

 湯船の縁で頬杖をついていたエバが、ヒスイの姿を見つける。

「ヒスイ、こっち!」


 すぐさまエバは手を振る。エバの真珠色をした長い髪の毛は、頭に巻いたタオルで覆われていた。

 浴場は実に、奇妙な構造をしていた。四方は壁に囲われている。しかし天井は半開きといった体裁であり、ずれた隙間からはみ出したといを伝って、外部からお湯が浴槽へ注ぎ込まれている。ちょっとした露天風呂のようなありさまだ。

 熱は浴場内にこもっているし、余分な湯気と硫黄臭さは、隙間を通って外へ逃げている。ちょうど良いあんばいだった。


 身体を流すと、ヒスイはそっと中へ入る。足の傷に染みるかと用心したが、そんなことはなかった。しかしお湯は熱い。ヒスイのすぐ右隣では、セフが膝を立ててうずくまっており、

「あつい、あついー」

 と呟いていた。


「ヒスイ、その……イェンさんは、何か言ってた?」

 エバが慎重に、ヒスイに尋ねた。

「特にあの……ジスモンダ、って人について」


「ううん、何も」

 ヒスイはかぶりを振った。

「でも、あのジスモンダって人は悪い人じゃないわよ。少なくとも、下天とは何の関わりもないわ」

「そりゃそうだけど……」

 セフは口を挟むと、エバとお互いに見つめあった。二人が考えていることは同じなのだろう。


「サァキャのことでしょ? 私もそれは考えた」

 イェンと話したことをかいつまみ、ヒスイは二人に説明した。


――……


「“アイツらは嘘つき”か……」

 イェンの言葉を、エバは繰り返す。ついでにタオルからはみ出して額に掛かった髪の毛を、うるさげに払いのけた。


「サァキャも、フスも、両方とも大嘘つき、ってこと?」

「でも、フスは『裏切り者』って言っていたよね? その、……“ミキサー”に掴まる前に」

 言い辛そうにして、セフは顔をしかめた。

 そこまで話すと、三人は互いに押し黙ってしまう。樋から注ぎ込まれるお湯のくぐもった音が、沈黙の代わりに浴場を埋め尽くした。


「いつか考えましょう」

 “いつか”を特に強調して、ヒスイが言った。

「今はまた、別のことを考えないと」

 顔をそむけて、湯船の縁に自分の身体を預け、ヒスイは溜息をついた。


――……


「――綺麗だよね」

 不意に、エバがヒスイに言った。何気ない言葉だったにもかかわらず、ヒスイはどきりとする。


「え?」

「ほら、背中の――」

 振り向いて自分の背中を見ようとするが、ヒスイの視線は届かない。微笑を浮かべると、エバは風呂桶にお湯を張り、そのお湯を左手の親指でかき混ぜる。


 二、三度指を回したところで、桶のお湯は輝きを増し、ほとんど鏡のような光沢を帯びた。隣でセフが、感嘆の声を上げている。


「ほら」

 念力でその“鏡”を持ち上げ、ヒスイに見るようエバは促す。軟泥スライムのように揺らめく“鏡”には、ヒスイの背中が映っていた。


 背中には、きめ細かなタトゥーが施されている。

「これは……?」

 戸惑いながら、ヒスイは鏡を凝視する。ヒスイの背中の左側を、タトゥーはほぼ覆い尽くしていた。イチョウの葉のような形状をしている紋様は、よく見れば逆さになった木の絵だった。黒々とした枝の先端に、色とりどりの玉が葡萄の実のように連なっている。


峰下竜血樹バオシャリウジェジュ、って言ってたよ、ヒスイが」

 エバが悪戯っぽく答える。


(「ヒスイが」ってことは、昔の自分か)

 細かなことは分からない。しかし何かしらの意図を込め、かつてのヒスイはタトゥーを背中に凝らしたらしい。

(何かのメッセージがあるかもしれない)

 そう考え、ヒスイは再び鏡を見つめる。エバが近寄ってきて、タトゥーの一番下、末端の部分を指で差した。


「ほら、竜血樹って傘みたいに広がっているじゃない? でも、ヒスイのタトゥーだとずいぶん細長いのよね」

「そ……うなんだ?」

 エバの細い指が自分の背中に触れている。

 それを払い除けたい衝動に、ヒスイは駆られた。


「それにしても……綺麗よね、本当に。肌が綺麗だから尚更、タトゥーもえるのよ」

 エバは左手でヒスイの肩を揉みながら、右手で峰下竜血樹の輪郭をなぞった。


(鳥肌がたっているのではないか)

 と気が気でなかったヒスイは、ふとセフの様子が気になり、側でうずくまっているセフを盗み見た。

 セフは、何とも言えぬもどかしげな表情で自分を見ている。


(セフ、何か知ってるの?)

 ヒスイは更に浮き足立つ思いだった。心の中でそう問いかけたが、当然セフが返事を返してくれるわけはなかった。


 ハァ、と後ろでエバが満足げにため息をあげる。かと思うと、エバは自分の身体をヒスイの背中に預けた。ヒスイは息を張り詰めさせ、平静を装う。痩身の割りには大きいエバのフア (乳房)が、ヒスイの背に触れた。


「セフ、あなたもタトゥーを入れてもらえば?」

「え……私が?」

 やけにはっきりとした口調でセフは訊き返す。これには本人もばつが悪く思ったのか、

「別に、いいよ」

 と付け足した。


「いいじゃない。どっち向いたって目立たない体格してるんだから、せめて背中だけでも――」

「……どうせ私のフアは小さいですよだ」

 拗ねた口調で、セフがそっぽを向いた。エバが微笑み、その吐息がヒスイの背にあたる。

 いたたまれなく思いながらも、エバの体から伝わる心臓の鼓動を、ヒスイはいつしか数えていた。


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