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93 エルハルドの告白




 その地獄からの招待状が届いたのは、ある日の午後のことだった。

 そういえば最近ロイヤル・ローズが届かなくなったわねーと油断していたところのカウンターパンチ。


『明日、私のために時間を作ってもらえないだろうか。午後二時にニングホルムの丘にて君を待っている。 エルハルド』


 その手紙を読んだ時の私の率直な感想。

 いや、ないわー。

 個人的にエルハルドと会うなんて、あり得ないわー。

 私だって命は惜しいのよ。

 公爵に叱られるとわかっていて、のこのこエルハルドに会いに行く馬鹿はいない。


『もし来なかったら……そうだな。例の仮面舞踏会での愉快な出来事をアストレー公爵にお話ししようか』


 ……ぐはぁっ!

 ま、待って! 悪代官様、それだけは待って!

 ここでエルハルドに借りを作っていたことが仇となり、私は大人しく白旗を上げざるを得なくなる。

 うう、前門の虎、後門の狼とは、まさにこのことよ……!


「お願い、コーリキ! 10分だけだから! カイン様には仮設住宅の視察ということで誤魔化しといて!」

「デボラ様……」


 で、結局護衛のコーリキとジョシュアに頭を下げて、ニングホルムの王領地までついてきてもらうことになった。

 最初は絶対ダメだと反対されたけど、私がジャンピング土下座すると「仕方ないですね……本当に10分だけですよ?」と最終的には折れてくれた。

 呼び出された地が、ニングホルムの王領地だったのも幸いした。これが王宮とかどこかの社交サロンだったら、どれだけ脅されても危険すぎて行けなかったに違いないから。







「わー、テントがいっぱい張られてるー」


 そして、やってきましたニングホルムの王領地。かつて王族の離宮だったというこの地には、現在被災者のための仮設住宅がたくさん建てられている。とはいっても現代日本で言うプレハブとかではなくて、大多数が簡単に設置できる天幕だ。

 それでも家をなくした被災者にとってはありがたいだろう。聞いた話によると、焼け落ちた下町では、すでに新しい集合住宅の建設が始まっているそうだ。


「来たか、デボラ」


 数人の護衛騎士を連れたエルハルドが、私の前にやってきた。エルハルドは依然司令官として、王都の下町を見て回っているのだ。


「ごきげんよう、殿下。……あら、リゼルは?」


 私は丁重に腰を折って挨拶する。でもすぐにいつもエルハルドの傍にいるはずの人物の不在に気づいた。


「ああ、リゼルなら少し長めの休暇を取っている。何でも家族に急病人が出たとかで」

「まぁ、それは心配ですね」


 エルハルドとリゼルは私にとっては切り離せないペアのようなものだったので、彼の不在はなんだか寂しい。


「少し歩くか。この先に城下町を見下ろせる、いい場所がある」


 エルハルドは踵を返し、人気のない林のほうへと向かった。もちろん皇子付きの護衛騎士やコーリキやジョシュアも、ある一定の距離を保って、私達の後をついてくる。


「とてもきれいな場所ですね」

「ああ、三代前の王が、どうしてもとこの土地を選んだ気持ちがよくわかる」


 ニングホルムの丘には、少し冷たい風が吹き渡っていた。けれどキンと冷え渡った空気が逆に目の前の風景をクリアにしてくれるような感覚があって、私は大きく深呼吸する。


「それで本日はどういったご用件で?」

「まぁ、そう焦るな」


 さっさと用事を済ませたい私とは裏腹に、エルハルドは余裕綽々の態度だ。さらに懐からある物を取り出して、私の前に差し出す。


「これを、おまえに」

「……花?」

「このニングホルムの庭に咲いていた野の花だ。デボラはロイヤル・ローズより、こっちのほうが好きかと思ってな」

「……。それはどうも、アリガトウゴザイマス」


 私はぎこちなく、エルハルドから花束を受け取った。

 やっぱりエルハルドは以前と比べて少し変わった気がする。前なら自分で花摘みしたり、野の花を女性に贈ろうなんてことは思わなかったはずだもの。


「……なんだか調子が狂いますわね」

「俺もだ。お前といるとなぜか調子が狂う」


 エルハルドは苦笑して、私のことをじっと見つめた。その視線がなんだか居心地悪くて、私は思わず顔を逸らしてしまう。


「デボラ」

「はい」

「アストレー公爵と離婚する予定はあるのか?」

「……は?」


 さらにエルハルドからは、予想外の質問が飛んでくる。

 私と公爵が離婚? んなわきゃないでしょーが! 少なくとも私の方に離婚の意思はない。


「そんな予定など、永久にございません」

「なぜだ?」

「はぁ、なぜって言われましても……」


 エルハルドの質問があまりにも直球&不躾すぎるので、私の堪忍袋の緒が久しぶりにスライスハム並みにブチ切れそうになった。けれどエルハルドのほうはいたって真剣だ。


「アストレー公爵は今まで四度結婚していると聞いた。そして四人の妻とはことごとく死別しているとも」

「あー、それは事実ですけれど……」


 こんな時にまた『アストレー公爵青髭伝説』が掘り起こされ、私は頭が痛くなった。

 どんなに否定しても、公爵が次々と妻を変えてきたのは紛れもない事実。

 実はみんな生きてて、それぞれ幸せになってるんですよー………と真実を打ち明けるわけにもいかないし。


「ならばお前もそろそろ死ぬのではないか?」

「不吉なこと言わないで下さい!」


 とんでもないことを言われて、私はエルハルドに噛みついた。

 人の夫をまるで殺人鬼のように言うの、やめてくれないかしら?

 ムカムカしながらエルハルドを思いっきり睨みつけると――


「……俺はお前を助けたい」

「は?」

「アストレー公爵と別れ、俺の妃にならないか、デボラ」

「――」


 俺の妃?

 俺の妃って……。

 ……。

 ………。

 ………………。


 はぁぁぁぁぁぁーーーーっ!?

 ちょっと何言いだすのよ、エルハルド!?

 寝言は寝てから言ってちょうだい!

 私の頭の周りをピヨピヨピヨと大量のひよこが駈け抜け、あと少しで本当に気絶するところだった。


「ちょ、エルハルド殿下……っ」

「それはなしっス……!」


 エルハルドの言葉を近くで聞いていたコーリキやジョシュアも、慌てて私達の間に割って入ろうとするけれど、逆にエルハルドの騎士達に行く手を阻まれてしまう。


「殿下、もしやお熱が?」

「ない」

「ならば何か悪いものでも食べたとか」

「食中毒でもない。デボラ、誤魔化すのはやめろ。俺は今、おまえに真剣にプロポーズしている」

「………………………」


 で、ですよねーーー!

 これってやっぱりプロポーズ……ですよねーーー!?

 でもすでに公爵と結婚しているのよ、私。

 既婚者にプロポーズって、どう考えても正気の沙汰じゃない。

 しっかりしてよ、エルハルド。あなたこの国の皇子様でしょう!?


「ご、ご冗談はそのくらいででででで………」

「顔が真っ赤だぞ、デボラ」


 だからいちいち指摘するんじゃない!!

 私はエルハルドから一歩後ずさり、なんとか平常心を取り戻さねばと試みた。

 だってしょうがないじゃない。その気がなくたって、こんな超絶イケメンに突然プロポーズされれば、さすがの私もビビるわよ。

 ひっひっふー。ひっひっふー。

 咄嗟に思いついたのが、なぜか妊婦のラマーズ法だった。


「デボラ、おまえが望むなら側妃ではなく正妃に迎えてもいいと俺は思っている。どうだ、アストレー公爵との離婚、本気で考えてみないか?」

「きゃ、却下です! カイン様と離婚するつもりはありませんし、そもそも私が殿下の正妃とか……あり得ないです!」

「なぜあり得ない?」

「いや、普通に考えて、四大公爵家の元奥方を正妃に迎えようなんて皇子がどこにいるんですか」

「ここにいる」

「――」


 ダメだ、こりゃ。暖簾に腕押し。糠に釘。

 今のエルハルドはあまりに盲目で、周りの状況が見えていない。

 私は全身に冷や汗をかきながら、さらにエルハルドの説得を試みた。

 

「殿下、落ち着いて下さい。私を心配して下さるのはありがたいですが、人助けや同情で自分の妃をお決めになられてはなりません」

「そんなつもりはないんだが……。そもそも人助けで結婚する阿呆がどこにいる?」


 います、いますよ。まさにあなたの目の前にいる女の夫がその阿呆ですよーー!

 ……とは言えず。私はグヌヌと歯を食いしばる。


「俺はお前といると変われる気がする。お前のような女は初めてなんだ」

「……」


 はい、ここで来ました! 女たらし系キャラの必殺技『本気になったのは君が初めてだ』攻撃!!

 でもそんなことで私は絆されない。よ、よろめいたりなんかしないったら。


「それは殿下の気のせいですわ。珍しく自分になびかない女がいるから、面白いと錯覚しているだけで……」

「そんなありきたりの言葉で誤魔化そうとしないでくれ、デボラ」

「!」

 

 次の瞬間、グイッと強く手を取られて、真正面から熱く見つめられた。

 エルハルドの目はいつになく真剣で、その奥には炎のものが宿ってる。

 彼は本気だ。

 本気で私を妃にと望んでいる。

 マ、マジでこんなことってあり得るの!?

 エルハルドが悪役のデボラに惚れちゃうなんてシナリオ、ゲーム本編にはなかったんですけどぉぉ?


「もちろんお前を俺の妃に迎えるにあたって多くの否定的な意見が出るだろう。けれど俺はどれほど周りに反対されようと、おまえを守るつもりでいる」

「………」

「中にはお前が純潔でないことを責めてくる奴もいるだろうが……。気にするな、そんな奴らは王家の威光でねじ伏せてやる。それに今この段階であいつの子を身籠っていないなら、俺にもチャンスがあるはずだ。違うか?」

「純け………、は? 純潔? 私が……身籠る?」


 だけど突然エルハルドの話の内容が危ない方にエスカレートして、私の目は点になった。

 えーと、つまりエルハルドの妃になるためには私が純潔でないことが問題になる……ってことよね?

 あ、いや、私、バリバリの処女ですけど?

 子供を身籠るような行為、今まで一度もしたことありませんけど?

 何なら臍で茶が沸かせちゃうくらい、そっち方面の経験値低いですけど?

 ああ、やっぱりエルハルドって『歩く18禁』よね。どうしてそういうことをさらりと言えちゃうかなぁ?


「じゅ、純潔とか殿下のスケベ! エッチ! 一体何考えてんですかぁぁっ!?」

「いてっ!」


 私は思わずエルハルドの手を強く振り払って、真っ赤になった顔を両手で覆い隠した。

 エルハルドに対してこの反応はどう見ても悪手だ。『純潔』という二文字に人妻がこんな過剰な恥じらいを見せてしまうなんて、私は未経験ですと告白しているようなものだ。


「……え? デボラ? まさか……」

「……………っ」

「え? 本当に? アストレー公爵と結婚したのは確か五カ月前――だったよな?」

「……………っ」

「それで今までなし? 一度も? あいつ、もしかして不の……」

「不能じゃありません! キスくらいはされてますっっ!!」


 公爵の名誉を守るために私は先回りして叫ぶけれど、それを聞いたエルハルドがニタリと嬉しそうに笑う。

 うわぁぁぁ、どうしよう。私はまた墓穴を掘っちゃったみたいだ。


「そうか……なぜそんなことになってるかは知らないが、お前達はまだ本当の夫婦じゃないのか」

「あわわわわ………っ」


 デボビッチ家内では公然の秘密になっているとは言え、よりにもよってエルハルドに私達夫婦の真実を知られてしまい私は焦る。コーリキとジョシュアに視線で助けを求めるものの、二人は相変わらずエルハルドの騎士達に押さえつけられたままだ。


「ならば何も遠慮することはない。デボラ=デボビッチ――いや、デボラ=マーティソン」

「!」


 エルハルドは私の後元に片膝をつき――再び私の手を取った。

 それは姫に忠誠を誓う、物語の中の騎士のように。

 しかも私をデボビッチ家の奥方としてではなく、あくまで結婚する前の家名を出して子爵令嬢として扱う。


「俺は今皇子としてではなく、一人の男としてお前の愛を乞おう。どうかアストレー公爵とは別れ、俺を選んでくれないか」

「……」


 エルハルドのプロポーズはあまりにストレートで、だからこそ誠実さに満ちたものだった。

 私はごくりと息を飲んで、思わずその場に立ち尽くしてしまう。


(まさかエルハルドから求婚されるなんて夢にも思わなかったわ。こ、困ったわ、答えはもちろん決まっているけれど……)


 私は何と言ってこのプロポーズを断ろうか、悩みに悩みまくった。

 エルハルドには申し訳ないけれど、私が異性として好きなのはあくまで公爵。あの人以外の妻になる気はない。

 だけど前世で異性から告白されるなどというシチュエーションを一度も経験したことがなかった私は、文字通りフリーズしてしまった。

 早く何か言わなくちゃと焦れば焦るほど、頭の中がこんがらがって上手く声が出せない。


「え、えーと……」


 その時だった。

 片膝をつくエルハルドの遥か後ろに、何かが反射してきらりと光ったのは。


(あれは……リゼル?)


 しかも私の視界には、ここにいない人の姿が映る。

 ちょうどエルハルドの護衛やコーリキ達の死角になる位置に、リゼルは無表情のまま立っていた。

 しかもその手に握られているのは――


(あれはまさか……)


 いつかアストレーでマルクに拉致された時、私は公爵が同じ武器を使ったのを目撃しているのですぐに分かった。

 ――短銃だ。

 リゼルはなぜか林の木の幹の後ろに隠れながら、私達にその銃口を向けている。


(狙いは私? それとも殿下? ダメだ、考えてる暇はない!)


 命を狙われている――

 そう認識した刹那、私の体は勝手に動いていた。

 握られていたエルハルドの手を強く引っ張り、彼を庇うようにその前に立つ。

 

「おい、デボラ!?」

「伏せて!」

「っ!?」


 私が叫んだのとほぼ同時に、一発の銃声が響き渡る。

 体に強い衝撃を感じた直後に私の視界の端を掠めたのは――今にも泣きだしそうな顔をしたリゼルだった。






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