90 張り巡らされる糸1
王都が嵐と大火に見舞われて、一週間ほどが経った。
いわゆる下町と呼ばれる地域の五分の一が焼失したけれど、マグノリア様をはじめとする民間の支援、それとエルハルドを司令官とする軍の機動隊がうまく機能して、避難民の多くを救うことができた。
ニングホルムの王領地がエルハルドの判断で開放されたことにより、その他の王領地も避難地域として利用されることになり、早くも仮設住宅の建設が開始された。これは本当にエルハルドのお手柄だったと思う。
事実、最近避難所でもよくエルハルドの噂を耳にするようになった、
「エルハルド殿下が、氾濫した運河の補修工事に参加なさったそうよ」
「王族自らが働くことによって、みんなの士気が上がるからって理由らしいわね」
「今までエルハルド殿下って王宮での噂しか聞いたことなかったけれど、実際お会いしてみると、意外と親しみやすい方なのよね」
お聞きの通り、民の間でのエルハルドの評判は上々だ。
最初は単なる旗印としての役割しかなかったのかもしれない。けれどエルハルドは考えを改め、クロヴィス殿下にはできないことを自ら試行錯誤し、実践していったのだ。
「なんか顔だけ皇子がいい人みたいに言われて、釈然としないんですけどぉ~」
「まぁまぁ、ルーナ、落ちついて」
エルハルドの活躍に異議を唱えているのはルーナくらいのもので、私は思わず苦笑してしまう。
それからさらに一週間が経ち、下町のメイン広場で軍主催の慰霊祭が行われることになった。この慰霊祭でエルハルドはまた、普通の人には思いつかないことをやってのけた。
しめやかに、厳かに行われるべき慰霊祭に、華やかな楽隊を招き入れたのだ。
「悲しみに暮れる民よ。我々は多くの物を失った。大事な人を。住処を。その傷が完全に癒えることは、決してないだろう」
多くの民が集まる中、エルハルドは張りのある声で語りかけた。その姿は女だけでなく男が見惚れるほど美しく、堂々としたものだ。
「だが私たち王家は二度と同じ過ちを繰り返さぬと誓う。そして皆にも思い出してほしいのだ。この世界に満ちるのは悲しみや絶望だけではない。希望や喜びもまた、満ち溢れているということを」
エルハルドの言葉をさらに盛り上げるように、サブリエール伯爵夫人お抱えの音楽家達が美しいメロディーを奏で始めた。
私はよく知らないんだけどエステル夫人曰く、演奏されているのはある有名なオペラの一曲だそうだ。
「私は私のやり方でしか、民を慰められぬ。どうか思い出してほしい。あなたの大事な人と、歌を歌い合った眩しい日を。あなたの愛する人とダンスを踊った楽しい日を。あなたは確かにその時、幸せを感じていたはずだ。その思い出が全て無駄になったとは、私には到底思えない」
エルハルドの言葉に共鳴したのか、広場のあちこちですすり泣きの声が聞こえ始める。
なるほど、確かにこれはエルハルドにしかできない追悼の演説だ。
「これからも辛い日々は続くだろう。喪失感が募り、時には全てを投げ出したくなる日もやってくるだろう。けれどあなたが生きている限り、愛した人との思い出だけは決して消えない。歌が長い年月をかけて歌い継がれていくように、私達もまた愛する人との思い出を語り継いでいこう」
そしてもう二度とこんな悲劇が起こらぬことを心から望む――
エルハルドはそう言葉を締めくくり、演説を終えた。
もちろんこの派手な演出は賛否両論だった。
鎮魂の儀式に派手な楽隊による演奏は不謹慎だ、明るい曲など場違いだ。そう痛烈に批判する人がいる一方で、エルハルドの言葉に慰められた。悲しいけれど、一歩前に踏み出す踏ん切りがついたという人も大勢いた。
私的にはエルハルドの言葉で一人でも救われる人がいたなら、やった意味は大いにあると思う。
素直に認めるのは癪だけど、やっぱりエルハルドは万民を魅了することができる大きな器だと思った。
こうして大きな傷を負った王都はゆっくりと、でも確実に、復興への道を歩き出した。
もちろん私達はマグノリア様達と一緒に被災者支援を続けている。その一環として、王都のデボビッチ本邸の一部をマグノリア救貧院にお貸しすることになったのだ。
「ありがとうございます。我が救貧院には各国からたくさんの支援物資が集まります。それをこちらで一時保管して頂けるなら、我らの負担も大きく減ります。マグノリア様からもデボビッチ家の皆様に感謝の意をお伝えするようにと、言付かっております」
マグノリア救貧院を代表して、小姓の一人がわざわざ私のところにまで挨拶に来てくれた。
うんうん、ボランティア活動ってこうしてお互い助け合うことが重要よね。
私はここ数週間、本邸には寝るためだけにしか帰ってきてないけれど、幸いデボビッチ家はクローネやソニアが守ってくれている。彼女らに任せておけば、その他雑用もしっかりこなしてくれるだろう。
「あ、そう言えばカイン様は? 今夜もおかえりにならないの?」
ある日、ベッドに入る前に、私は何気なくソニアに尋ねた。するとソニアはいつもの通り無表情で答える。
「本日の昼、一度着替えをしにお戻りになられました。でもまたすぐ、王宮へと出仕され、またしばらくは戻られないとのことです」
「そ、そっかぁ。忙しくなさっているのね……」
仕方ないことだけど、予想通り公爵とはすれ違いの生活が続いている。あの嵐の夜以来、私は公爵と全く顔を合わせていない。寂しくないと言ったら嘘になるけれど、私も公爵も自分にできることを精いっぱいしているのだから、今は我慢のしどころだ。
(それに復興支援がある程度落ち着いたら、しばらくまとまった休暇がとれるかもしれないし……。公爵もそんなこと言ってた気がする。確か次帰ったら、自分を煽った分の覚悟はしておけとかなんとか……って、きゃあぁぁぁーーっ!)
嵐の夜、つい玄関ホールで公爵とイチャイチャしてしまったことを思い出し、私はベッドの中で身悶える。
予めしておかなきゃいけない覚悟って……な、何かなぁ?
なんだか最近の公爵って、私に対してまんざらじゃない様子なのよね……。
自惚れてはいけないと思えば思うほど、やっぱり私の中で期待は高まっていってしまう。
まさに勘違いをさせたら右に出る者はいないデボラ=デボビッチ。
ある意味私は、今日も絶好調だった。
× × ×
それからまた半月ほど経ち、王都はようやく日常を取り戻した。
もちろん被災者の生活が完全に戻ったわけじゃないけれど、ほとんどの人が仮設住宅で暮らせることになり、エルハルド率いる軍も半分は町から撤収することになった。
無残に焼け落ちた町も、これから多くの義援金を元に復興されるらしい。とはいえ、義援金については多くの貴族からの不満も出ているようで、クロヴィス殿下や公爵はまだもうしばらく多忙のままかもしれない……とハロルドが言っていた。
そんな中、私達もとうとう避難所を後にする時がやってきた。
これからもデボビッチ家は経済的支援を行うけれど、とりあえず人的支援は終わり。閑散となった避難所を後にした私は、思わず感慨にふける。
また今回の活動を通して、マグノリア様にはいろいろお世話になった。マグノリア様もこれからはマグノリア救貧院に拠点を戻し、さらなる支援活動を継続していくとのこと。
そこで私はこれまでのお礼を言うために、マグノリア救貧院を訪ねることにした。
王都には貴族街とは別に、多くの寺院が集まった宗教区がある。マグノリア救貧院はその一角にひっそりと建っていた。
かつて聖堂だったという救貧院は、多くの孤児が生活できるように改築され、厳か……というよりアットホームな雰囲気だ。
そして救貧院を訪れた私は、まずナルテックスと呼ばれる玄関部分で待たされた。大きなドーム型の屋根の下には巨大なステンドグラスが飾られていて、室内でもだいぶ明るい。
暇を持て余して窓の外に視線をやれば、白い法衣に身を包んだ【白木蓮の子供達】が畑仕事をしていたり、洗濯をしていたり、各々の仕事に勤しんでいる姿が見える。
ほのぼのとしたその風景を、私は優しい気持ちで見つめていた。
(あら……?)
けれどふと、気づく。その庭先を、見慣れた人物が足早に横切った気がしたのだ。
(今のってハリエット……?)
私は目を凝らして、もう一度窓の外を見る。
あの帽子にあのジャケット、ハリエットのように見えたんだけど……気のせいかしら?
そういえばこの前避難所におにぎりをもらいに来て以来、ずっとハリエットの姿を見かけていなかった。
「デボラ様、どうしました?」
私が再び玄関に向かうのを見て、護衛のコーリキとジョシュアが慌てて追いかけてきた。私は外を指さしながら答える。
「ええと、外に知り合いがいた気がしたの」
「そうですか。私がちょっと行って見てきましょうか?」
「ううん、私が行くわ。マグノリア様はまだいらっしゃらないようだし、すぐに戻るから」
「あ、じゃあ念のため、オレがここに控えているっスよ」
こうしてジョシュアがその場で待機することになり、私はコーリキを連れて前庭へと出た。けれどやっぱり子供達以外に人影は見えなくて、あれは見間違いだったのかと自信がなくなる。
「お知り合いの方はいましたか?」
「ううん、でももっと奥のほうに歩いていったかも……」
「ではもう少し探してみますか」
私はコーリキと一緒に、道なりに進んだ。
もしさっき見えたのがハリエットだとしたなら、今日はここに取材で訪れたのかしら?
そんなことを考えていたら、大きな温室がある中庭へと出る。
「もしかしてあの温室に入っていったのかな?」
「デボラ様はここでお待ち下さい。私が見て参りますので」
コーリキはやや厳しい表情になり、慎重に温室に近づいていった。
私はコーリキの言いつけを守り、じっとその場に佇む。
(あれ……?)
そしてまたまた気づく。
中庭の花壇には、色とりどりの花が植えられていた。
けれどその一角に、これまた見覚えのある花が咲いている。
(え? 嘘でしょ、この花がここにあるはずが……)
私はその白い花弁が風に揺れる様を、信じられない気持ちで凝視する。
――グレイス。
全ての始まりであり、全ての元凶である奇跡の花。
それがなぜかマグノリア救貧院の庭先に、ひっそりと――咲いていた。




