89 第二皇子の目覚め2
被災地を救援するための司令官として、エルハルドが現れたことは意外だった。
けれどそこは腐っても皇子。軍の陣地設営問題を、エルハルドはあっという間に解決してしまった。
そんなエルハルドをほんの少し見直しつつ、私は再び大広場の避難所に戻る。
何せ炊き出し場に人手はいくらあっても足りない。夜になり、夕飯を求める人達がどんどん鼠算式に増えるのだから、おにぎりを握る私達は大忙しだ。
「へぇ、なんか珍しい食べ物、作ってるんだな」
「うげっ、殿下!?」
「これはこれはエルハルド殿下」
「なんで顔だけ皇子がここにいるんですかー!」
そしてなぜかエルハルドが視察という名目で、炊き出し場を訪れた。周りの人は普段雲の上の存在であるエルハルドが間近にいるのに感激して、きゃあきゃあと黄色い声を上げている。
「殿下、そこにいられたら邪魔ですわ。おにぎりをもらうために大勢の人が並んでいるのが見えません?」
「うわ、デボラ、つれない……」
「なんでこんな大忙しの時に部外者が優しくしてもらえると思ってるんでしょうかね。相変わらず顔だけ皇子の頭には蛆でも沸いてんですかね? ねー、デボラ様」
「ねー?」
私とルーナは視線を合わせ、『とっとと立ち去れビーム』をエルハルドに向けて発射した。けれどちょっとやそっとのことじゃめげないのが、エルハルドがエルハルドたる由縁。
「そうか、なら炊き出しを手伝ったら部外者ではなくなるか?」
「……え?」
「リゼル」
「はっ」
「おまえたち護衛の者は、民の列の整理を頼む。皆腹が空いているせいか、殺気立ってるからな」
「御意」
えーーーー。
まさか第二皇子が、庶民のためにわざわざおにぎり握るって言うの!?
プライドが高いエルハルドがそんなことをするなんて思わなくて、さすがの私も驚いて瞬きを繰り返してしまう。
「で、このおにぎりと言うのはどうやって作ればいいのだ? 私に教えてくれるかな、そこの美しい人?」
「は……はい? わ、わたくしのことでございましょうか!?」
しかもエルハルドは魅惑的な微笑で、炊き出し場の女達の心を一気に掻っ攫っていった。直接話しかけられたマノン様なんかは、顔を真っ赤にしてもじもじしている。
「もー、みんな顔だけ皇子の顔に騙されちゃってー」
「ふふ、本当にそうよね」
ルーナは唇を尖らせてブーブー不満を漏らすけれど、みんなに笑顔が戻ったのはいいことだ。何せさっきまで、みんな深刻な状況下でただただ必死におにぎりを握るだけだったから。
悔しいけれど、エルハルドはその場にいるだけで、人の心を華やかにする才能があるみたいだ。
「うん? 米とやらを握るだけなのに、結構難しいな……」
「あーあー、そんなカチコチに握っちゃダメですよ! おにぎりはもっとこう優しく、ふわっと。口の中に入れた時に、ほろっと崩れるくらいがちょうどいいんです!」
「………ぐっ! ちんちくりんに指導されるなんて屈辱なんだが……」
手を米粒だらけにし、ルーナに叱られながら必死におにぎりを握るエルハルド。
けれどその姿を見た庶民は「皇子自らが我らの給仕を……!」「なんてありがたいことなんだ!」と、多くがエルハルドの行動を称賛し、心から感動していた。
「ふぅ………」
それから少しして、私は休憩に入った。炊き出し場には相変わらず入れ代わり立ち代わり人が出入りしていて、まだまだおにぎりの配給は終わりそうにない。
ふと夜空を見上げれば、昨日の嵐が嘘みたいな満天の星空が広がっていた。さらに広場の花壇の縁には、同じく休憩中のエルハルドの姿が見える。
(君子、危うきに近寄らず、よね……)
私は足早に立ち去ろうとしたものの、エルハルドが一輪の花を見つめていることに気づいた。
ああ、あれってさっきカティとか言う女の子が渡したボロボロの花……。
結局あの花を捨てずにちゃんと取っておいてくれたんだと思うと、私の心に温かいものが広がる。
「エルハルド殿下」
「……デボラか」
だからかもしれない。ついつい私の方からエルハルドに話しかけてしまったのは。
エルハルドは少しぼんやりしながら、再びカティから贈られた花を見つめる。
「俺はあの少女に、この花は美しいと言った」
「はい」
「でも本心じゃない。あの場はそう言ったほうが、周りの印象が良くなると思ったんだ」
「………」
そう訥々と話すエルハルドは、いつもの自信満々の態度とは少し違っていた。
私はおや?と思い、ずっしり腰を落ち着けて話を聞くことにする。
「それで?」
「でも不思議だな。こうしてぼんやりしている内に、この花は本当に美しいかもしれない……と思い始めた」
「………」
「おかしな話だろう。こんな汚れた花より美しい花を、俺は今までたくさん見てきたというのに。………それでも」
「それでも?」
「あんな小さな女の子が必死に守ろうとしたものが何なのかを考えると……。やはりこの花はどんな花よりも美しいんじゃないかと思い直したんだ」
「……まぁ」
私は本気で驚いた。
だってこんなセリフ、ゲーム内のエルハルドだったら絶対言わなかっただろうから。
ゲームの中のエルハルドは第二皇子という立場からいつも自信満々で、尊大。それでいてカリスマ性もあるから、どこにいても彼の周りには人が集まる。
プラスみんな引っ張っていけるほどリーダーシップにも恵まれているから、ヒロイン・ルーナとの恋愛イベントもイケイケ系のエピソードがほとんどだ。
うーん、なんか勝手が違うな……と思いながらも、私はエルハルドの話に耳を傾け続けた。
「そうですね。私もこの花はとても綺麗だと思います。殿下が贈って下さったロイヤル・ローズに負けないくらい」
「ふん、ここで皮肉を返してくるか」
エルハルドはニヤリと笑って、ほんの少しいつもの調子に戻る。
それから花をくるくると回して、思いの一端を吐露した。
「俺は兄上とは違って、政治に関しては凡才だからな。民のため国のためという兄上の理想は立派だと思うが、そんなの所詮はきれいごとだと一蹴し、今まで共感したことはなかった」
「凡才? エルハルド殿下が?」
「兄上と比べたら、誰でも凡才さ」
自嘲を込めて、エルハルドは肩を竦ませる。
「司令官を引き受けたのだって、どうせお飾り職だろうと大して責任を感じていなかった。軍をニングホルムの王領地に移動させたのも、ここに手伝いに来たのも、”兄上ならそうするだろう”と思ったからだ。けれどまさかあんな素直に民に感謝されるとはな……」
「………」
「俺にとって民とはいずれ兄上が統治すべきもので、俺とは無関係の……そう、まるで目に見えて見えてない幽霊みたいな存在だった。だからかな、兄上の真似をしただけであんな風に慕われると、所詮偽物なのにと申し訳ない気分になる」
「あのぅ、さっきからなんなんですか、兄上、兄上って」
とうとう我慢できず、私は思わず口をはさんでしまった。
というか、めちゃくちゃビックリよ。エルハルドがまさかここまで重症のブラコンだったなんて!
そりゃクロヴィス殿下はとても立派な方だけど、そもそもあんたらキャラそのものがかぶってないでしょーが。
「クロヴィス殿下にはクロヴィス殿下の、エルハルド殿下にはエルハルド殿下の、それぞれ良い所があるでしょう。それをいちいち比べて議論するなんて、無駄だと思いますけど」
「無駄? そんなことないだろう。俺は今まで兄上と比べられて生きてきたんだぞ」
エルハルドはちょっとムッとした様子で、言い返してきた。
ああ、確かこの人達って王位継承争いの一番手と二番手だったっけ。
そりゃ周りはあいつにだけは負けるなとか、負けないだけの実力をつけろとか、散々煽るわよねー。
そう考えると、たった一人の兄を過剰に意識してしまうのも仕方ないのかもしれない。
「周りから比べられ続けてきたのは大変ご愁傷さまですけど、だからと言ってそれらの言葉を鵜呑みにして、自分の頭で考えることを放棄するのは、少し違うと思います」
「……何だって?」
気づけば私達の会話は雑談を通り越して、いつのまにか討論に発展していた。花壇の後ろで控えている護衛のリゼルも、なんだかハラハラしながらこちらの様子を窺っている。
「そんなエルハルド殿下に、捧げたい言葉があります。ずばり”みんな違って、みんないい”」
「………は?」
「ある女性の詩人が残した詩の一節です。えーと、確かこんな感じです。
私は小鳥のように空を飛べないけれど、小鳥は私のように大地を速くは走れない。
私が体を揺らしても鈴のようなきれいな音は鳴らないけれど、鈴は私のようにたくさんの歌は歌えない。
鈴と、小鳥と、それから私。
みんなちがって、みんないい」
「………」
「確かこんな感じの詩でしたわ」
私は前世で学生だった頃、CMで見かけて大好きになった某詩人の詩を引用した。
これって本当にいい詩よね。大好きすぎて今でも諳んじることができるくらい。
『オタクは陰キャと笑われるけれど、推し活生活楽しくてやめられない。
陽キャは推し活生活知らないけれど、人生そのもの充実してる』
……とかなんとか、当時は詩を自己流にアレンジして、オタクな自分の心を慰めていたっけ。
いいの、どうせぼっちの負け惜しみよ。古傷を抉らないで! ほっといてー!
「なるほど。みんな違って、みんないい……か」
「そんな当たり前のことを教えてくれる人物が、殿下の周りにはいなかったんですね」
「………」
詩に感銘を受けたのか、また難しい顔でエルハルドが考え込んでしまった。それからすうっと私を流し見て、
「俺のいい所って、どこ?」
と、ストレートに聞いてくる。
はぁぁぁ? そんなこと自分で考えなさいよ!……と言いたくなるところだけど、私はここで馬鹿正直に答えてしまう。
「うーん、やっぱり顔、かなぁ……」
「…………やっぱり顔だけ皇子……ってことか………」
「おいおい、ここでルーナの言葉が刺さってどうすんねん」
――ぱしり。
私はついつい、漫才のノリで平手打ちでツッコんでしまった。
それがおかしかったのか、またエルハルドが体を揺らしてクスッと笑う。
「顔がいいのが長所なら、兄上も相当美形だと思うがな」
「それは否定しませんけど……。エルハルド殿下には生まれながらの華があると申しますか。その場にいるだけで、人の心をウキウキさせる何かがありますわ」
「……そうか?」
「さっきたくさんの民が殿下の周りに集まってお礼を言っていたでしょう? あれは紛れもない本心ですわ。あの笑顔を見て、殿下はまだ民のみんなを幽霊みたいな存在だとお思いになりますの?」
「………」
私が尋ねるとエルハルドは再び花に視線を落として、「いや…」と頭を振る。
「今はそうは思わない……かもな。今まで無駄だと思い込んで、こうして町に降りたことなんてなかった。……けど」
「けど?」
「兄上とはまた違う方法で、俺には俺にできることがあるのかもしれない……」
「――」
その時、今まで軽薄に見えていたエルハルドの瞳に……何か強い炎のようなものが宿った気がした。
ゲーム内ではほぼ完璧で、チート属性だったエルハルド。
でもこの世界の彼は完璧なように見えて、やっぱり弱点を抱えている。それは人として当たり前で、だからこそ彼の新しい魅力につながるのだろう。
「デボラ」
「はい」
「もう一つだけ教えてほしいことがある」
「……な、なんでございましょう?」
私はやや警戒して、ちょっことだけエルハルドをから距離を取る。
今までの経験上、またなんか無理難題を言われるかもしれないと思ったからだ。
「……押し花の作り方、教えてくれるか?」
「え?」
「あの少女からのプレゼントは、記念にとっておこうかと思ってね」
「――」
そうウインクするエルハルドは、いつもの余裕たっぷりのエルハルドに戻っていた。
けれど今までとはどこか少し違う。
その微笑の裏には、彼なりの誠実さが滲んでいるようで。
「ええ、かまいませんわ。殿下にとってその押し花は、きっと一生の宝物になりますわね」
気づけば私もいつの間にか、素直な笑顔を彼に見せていた。
満天の星空の下、こうして第二皇子・エルハルドは王都復興をきっかけにして、自分の進むべき道に目覚めたのだった。
いつも読んでくださっている皆様、ありがとうございます。
5月は未亡人更新強化月間となります。
5/1から1日おきの更新となります。
どうぞよろしくお願いいたします!




