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86 聖母の涙




 ハリエットを見送った後、私達は被災者のための炊き出しに大忙しだった。

 それにしてもお米って偉大だよね!

 焚いてよし、煮てよし、炒めてもよし。

 味付けは塩だけでも充分美味しいし、なんと言ってもお腹にたまる。

 まさに地上最強の非常食!

 私、前世日本人で本当によかったわ! 


 ―――ぐぅ~~~……


 だけど何もお腹が空くのは被災者だけじゃない。それはボランティアスタッフである私達も同じ。むしろみんなを助ける立場だからこそしっかり食事をとり、体力をつけなくてはね!


「ヴェイン、コーリキ、ジョシュア、少し早めだけど昼御飯のおにぎり持ってきたわ」

「おお、これはデボラ様。ありがたい、ちょうど腹が空いていたところです!」

「はぁー、やっと休憩かぁ~」


 ふと頭上を仰げば、野鳥が矢じりの形になって王都の空を横切っていくのが見えた。ヴェインを中心とするデボビッチ親衛隊は、主に瓦礫の後片付けや、亡くなった人々を遺体安置所に搬送する作業に追われている。

 とてもきつい仕事だと思うけれど、誰かが必ずやらねばならないことだ。

 私は休憩に入った親衛隊におにぎりとお茶を配りながら、みんなを心から労った。


「本当にお疲れ様。でもあまり無茶はしないようにね」

「なんの、これしき。吾輩らの筋肉は、こんな時こそ役立ちますので」

「出た~、隊長の筋肉正義理論!」


 みんな疲れているだろうに、そんな苦労は微塵も見せず、自分にできることを精いっぱい頑張っている。

 たくましく頼りになる親衛隊を誇りに思いつつ、私は辺り一帯を見回した。


「それにしても軍は一体何をやってるんだろ……」

「ふむ、確かに初動が遅れているようですな」


 私が思わず不平を漏らしてしまったのは、本来なら真っ先に民を救わねばならないはずの軍がまだこの避難所にやってこないからだ。保安局の保安官や消防隊などの末端の人達は動いているものの、これほど大きな災害だと手はいくらあっても足りない。なのに肝心の軍が未だに出動しないなんてこと、ある?


「おそらくクロヴィス殿下やカイン様が、国王陛下や議会に掛け合っていらっしゃるでしょう。ですが災害の後始末を自ら買って出る将軍や軍関係者は少ないかと」

「どうして?」


 普通、こーゆー時って無条件に軍が動くものだと思い込んでいた私は、思わずヴェインに聞き返す。その質問に答えたのは、元王国騎士で都の事情に明るいコーリキだった。


「まぁ、一言で言えば損な役回りと申しますか」

「損? 困っている人を助けるのが損なの?」

「災害の後始末と言うのは、往々にして重い責任が付きまとうものです。焼けてしまった町の再建も大きな課題ですが、今後避難生活が長く続けば、民の間で伝染病が流行る可能性があります。その場合、適切な衛生管理を行わなかったとして、軍部の司令官が責任を問われるでしょう。また生活支援がうまくいかず民の不満が溜まれば、司令官の無能さが糾弾されることになります」

「つまり軍は自分たちの面目のほうが大事ってこと?」

「早い話が――そうです」


 コーリキは悲しげに目を伏せた。

 私もまた、同時に悲しい気持ちになる。

 現代の日本と違ってこの世界は前時代的で、私の中の常識が通用しない。貴族や軍は自分達が一番大事で、本当に民を思っている人のほうが少ないのかもしれない……。

 

 ああ、なんだかすっごくもどかしいし、やりきれない。

 そんな人達相手に交渉なんて、きっと公爵もクロヴィス殿下も苦労しているに違いないわ。

 

「あれ? あそこを歩いているのって、マグノリア様じゃないっスか?」

「……え?」


 そんな話をしていると、ジョシュアが火事の焼け跡を横切っていくマグノリア様と小姓達の姿を見つけた。

 あ、そうだ、マグノリア様達もきっとお腹が空いているわよね!

 私はお盆にのせたおにぎりの数を確認する。


「申し訳ないけどこのおにぎり、マグノリア様達にもお分けしていいかしら? 後で追加を持ってくるから」

「なんの、我らのことはお気遣いなく。マグノリア様と子供達も腹を空かせているでしょう。デボラ様、行って差し上げて下さい」

「ありがとう!」


 ヴェインの許可をもらって、私は急いでマグノリア様達に駆け寄る。

 マグノリア様はちょうど焼け跡の中で呆然としている女性に話しかけているところだった。


「マグノリ……」

「いいから放っておいてくださいっっ!!」

「!?」


 けれど私が声をかけるより先に、ヒステリックな女性の声が響き渡った。

 一体どうしたんだろうとびっくりして、私は足を止める。


「申し訳ありません、マグノリア様。あなた様のお優しさには感謝いたします。だけどあたしはもう……。この子を亡くして、生きる気力なんてないんです……」

「……」


 マグノリア様に向かって頭を下げる女性は、その両手に亡くなった赤ん坊を抱いていた。その姿に私も胸を衝かれて、ただ見ていることしかできなくなる。


「あなたの気持ち、私にもよくわかりますよ」


 マグノリア様は続けて優しく声をかけるけれど、我が子を失ったばかりの女性は自暴自棄になっていた。


「わかるって何が! マグノリア様にあたしの何がわかるって言うのですか!? 自分の腹を痛めた我が子がもう……。もう二度と目を覚まさないんですよ? こんな辛い思いをするためにあたしは今まで生きてきたんじゃない! どうせならあたしも昨日の夜、この子と一緒に死んでしまえばよかった……っ!」


 女性は大粒の涙を流しながら号泣した。

 私にはまだ子供はいないけど、母親の悲しみがどれほど深いかは想像はできる。

 こんな時、多分他人が何を言っても無意味だ。どんな気の利いた慰めの言葉も、彼女には空々しく聞こえて、きっと心には届かないだろう。


「……いいえ、わかりますよ」


 けれどマグノリア様は女性の肩に手をかけ、なお諭し続けていた。

 女性を励ますマグノリア様の姿は立派だけど、逆にその態度が女性をさらに追い詰めてしまうんじゃないかと、私は見ててハラハラする。

 でも次の瞬間、マグノリア様の唇から予想もしなかった言葉が零れた。


「だって私も昔……子を亡くしたことがあるんですもの。あなたのようにこの手に抱くことはできなかったけれど。あの子は確かに昔、私のこのお腹に宿っていたの……」

「……………え?」

「(…………え?)」


 そう言ってマグノリア様は、今は亡き子供を慈しむかのように、自分の両手をお腹へと当てた。その仕草があまりに自然すぎて、とても嘘を言っているようには見えない。


(ええぇぇぇぇ!? マグノリア様って確か現在の王様のお兄様の婚約者だったのよね!? ということは、過去にその方の子を身籠っていたってこと!?)


 偶然とんでもない過去を立ち聞きする羽目になった私は、その場で石のように固まった。

 だってもしそれが本当ならこの方は『幻の王妃』どころか、『幻の国母』だった可能性もある。

 ただし結婚前に妊娠していたとなると、当時は色々問題になっただろう。事実、マグノリア様が婚約者の子を妊娠していた話なんて、今まで聞いたことがない。おそらく王宮内でも、マグノリア様の懐妊はトップシークレットだったはずだ。


「マグノリア様、さすがにそれ以上は……」


 お付きの小姓・白木蓮(マグノリア)の子供達も、その秘密をバラしてしまうのはまずいと思ったんだろう。最年長らしき少年が進み出て、マグノリア様を諫めようとする。


「いいの……いいのよ。もうずいぶん昔の、過去の話ですからね。けれど私は一度たりとも流れてしまったあの子を……息子のことを忘れたことはないわ。小さくて可愛い、私のフレデリク」


 当時のことを思い出したのか、マグノリア様の頬に、すうっと一筋の涙が流れた。

 フレデリク……と名前を付けたほど、待望していた我が子の死。

 それはどれほどマグノリア様の心を深く傷つけ、絶望させたことだろう。


「マ、マグノリア様……なぜそんな大切なことをあたしに……」


 子を亡くしたばかりの女性もマグノリア様の言葉が嘘ではないと直感したのか、今まで拒絶一辺倒だった態度を軟化させた。マグノリア様と手を取り合い、子を亡くした母親同士、共感し合う。


「子を亡くした母親の悲しみに、家柄や身分は関係ありません。でもね、死んでしまえばよかったなんて、思ってはいけませんよ。その言葉を誰よりも悲しむのは、今あなたの腕の中に抱かれているこの子よ」

「あ………」


 マグノリア様はあふれる涙を拭いもせずに、死んでしまった赤ん坊の頭をそっと慈しむように撫でる。


「子供と言うのはどんなことがあってもお母さんのことが大好きなの。だからこの子の魂は天国に昇った後、またお母さんに会いたいと願い、きっと新しく生まれ変わってくるでしょう。だからあなたは生きなくてはだめなのよ。この子が帰ってきた時、また笑顔でおかえりなさいと迎えられるように」

「マ、マグノリア様……」


 マグノリア様達だけでなく、話を立ち聞きする私もいつの間にかもらい泣きしていた。

 マグノリア様。なんて慈愛深い方なのかしら。

 ゲームではモブキャラ扱いだったけれど、この世界ではモブキャラどころかまさにゴッドマザーだわ!


「ありがとう……ございます、マグノリア様。こんなあたしにそんな重大な秘密を打ち明けてくれて。今すぐ……は無理かもしれませんが、マグノリア様の仰る通り……生きます。頑張ってもう一度この子があたしのもとに帰ってくる日を……待ちます。それでいいんですよね?」

「ええ、きっとあなたの願いは神に通じるわ」

 

 そう言って母親に微笑みかけるマグノリア様は、宗教画に描かれている聖母そのものだった。

 そして女性が立ち直ったところで、タイミングよく彼女の夫らしき人物が駆け寄ってくる。


「マグノリア様!? すいません、うちの家内が……」

「いいえ、いいのよ。今はどうか、彼女を思う存分泣かせてあげて下さいね」

「マグノリア様……」


 マグノリア様の言葉に、旦那さんも熱く目を潤ませていた。

 二人は愛する我が子の亡骸を抱きながら、静かにその場を立ち去っていく。


「ごめんなさい、お待たせしてしまったわね」

「い、いえ……」


 マグノリア様は夫婦が避難所へと向かうのを見届けて、ようやく私の方を振り向いてくれた。

 私が慌てておにぎりを差し出すと、


「あら、とても美味しそう。珍しい食べ物ね」


 ――と、これまた優しく微笑んでくれる。


(この方が全国民に慕われる理由が、私にもよぉく分かったわ。もしもマグノリア様が本当に王妃の座に就き、無事フレデリク皇子を産み落としていたら、この世界はどんな風に変わっていたのかな……)


 私はマグノリア様とお小姓のみんなにおにぎりを配りながら、そんな意味のない仮定を考える。

 それほどまでに、偶然知ったマグノリア様の過去はあまりに強烈だった。

 


 そしてこの時、聖母が流した涙の本当の意味を――私は後々知ることになるのだ。





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