84 王都の嵐3
「さぁて、じゃあいっちょやりますか!」
公爵が出仕するのを見送った後、私はすぐに自室に戻った。動きやすいワンピースに着替えて腕まくりすれば、戦闘準備は完了!
外はまだ大嵐だからすぐに活動はできないけど、予め用意できるものは手配しておかなくちゃ!
「デボラ様!」
「まず何から致しますか?」
廊下に出ればハロルドやエヴァ、レベッカが待ち構えていた。私はとりあえず思いついたことを口にする。
「えーと、まずは怪我人の手当てをするために、大量の薬や包帯が必要よね?」
「残念ながら、当屋敷にある備蓄品だけでは到底足りません」
「デボラ様、それならタオルや私達メイドが使うタイツ、それから男性用のバンダナやネクタイを包帯代わりにするのはいかがでしょう?」
「モルド=ゾセの内戦に巻き込まれた時、怪我の消毒をするのに酒を使ったべ!」
「なるほど、ありがとう、エヴァ、レベッカ。あなた達の意見、とても参考になる。じゃあ急いで準備できる?」
「お任せください!」
私が頼むと、エヴァとレベッカは笑顔で屋敷内に散らばっていった。
それと入れ替わりで今度はヴェインとコーリキ・ジョシュアが親衛隊のみんなを連れてくる。
「デボラ様、救援物資の運搬は吾輩らにお任せ下さい。筋肉自慢をそろえてきましたぞ」
「こんな時までキンニ……、いいえ、ありがとう、助かるわ」
お決まりのツッコミは後にして、私はさらにやるべきことを考える。けれど前世では一般人で、ボランティア活動もしたことがなかったから、肝心な時に頭が回らない。
「えーと、それから……えーと……」
「デボラ様、お客様がお見えです。お通ししてもよろしいですか?」
「え?」
気ばかりが焦る中、ジルベールが案内してくれたのはこれ以上ない二人の助っ人だった。そして助っ人プラス、おまけでもう一人――
「デボラ様、絶対声かかると思ってチェン、来てしまたヨ!」
「同じく、わたくしもですわ! きっとデボラ様のことだからじっとしてはいないだろうと、馬車を走らせてきました!」
「デボラ様、カイン様は? カイン様はどこにいらっしゃるんです? 絶対今回の嵐でも、カッコよく活躍しちゃいますよね~♪」
「チェン、ロクサーヌ、それにルーナまで……」
はい、出ました、顔見知りの三人組。
外は激しい雨で視界も悪いと言うのに、三人は迷うことなく私のもとに駆け付けてくれた。
本当にありがたい。
まぁ、ルーナは相変わらず私の夫専門のミーハーだけど。
「来てくれて助かったわ。被災者の手助けをしたいけど、何をどう始めたらいいかわからなくて……」
「やはりまず何と言っても、薬や医者などの手配、それから食糧を用意しませんと」
「食糧ならチェンに任せて! 蔵の中に売れ残りの大量の米あるヨー」
「ありがとうチェン、そのお米、全部デボビッチ家が非常食として買い取らせて頂くわ」
私が言うより早く、ハロルドがすでにチェンと交渉を始めている。
ロクサーヌはびしょ濡れになったコートを脱いで、商人らしくてきぱきと指示を出し始めた。
「今回の嵐で出る被害に対して、我がスチュアート商会は他の商会と連携して事に当たりますわ。すでにアリッツ殿下も王宮に向かっておられるとか。おそらく財務省や金融機関への交渉は、殿下に任せればうまくいくと思います」
「あら、緊急時にアリッツ殿下とちゃんと連絡取り合ってるんだ」
「ロクサーヌったら意外にラブラブじゃない、ねー、デボラ様」
「ねー?」
「ラ、ラブラブとかそんなんじゃありません! もーっ! ただの業務連絡ですわ! もーっ!」
私とルーナがからかうと、ロクサーヌが顔を真っ赤にしてもーもーもーもー叫んでた。でも今はじゃれ合っている暇なんてなくて、ロクサーヌはすぐさま真面目な表情に戻る。
「とにかくこれから嵐が落ち着いた後、どこかに大規模な避難所が作られるでしょう。わたくし達はそれまでに食糧や飲料水、機材の準備などを致します。ですからデボラ様にはデボラ様にしかできないことをお願いします」
「私にしかできないこと?」
ロクサーヌの言おうとしていることが分からなくて、私は小首を傾げる。
「デボラ様、自分のお立場をお忘れになってはいけません。デボラ様はヴァルバンダ四大公爵家の一つ・デボビッチ家の奥方様。その奥様が誰よりも早く被災者を支援なさると宣言すれば、多くの貴族が追随するに違いありません」
「あ……」
言われてみれば確かに!
デボビッチ家ほどの大きな家が動けば、内心被災者支援などしたくないと思っている貴族も、しぶしぶ動かざるを得なくなる。
ううん、中には私達と志を同じくしてくれる真摯な貴族もいるはずよ。
まずは彼らを味方につけなくては!
「もうお分かりですね? デボラ様は親交のある貴族の方々に急いで協力をお願いする書状を書いて下さい。まさに【位高ければ徳高きを要す】。今こそが貴族としての誠意が問われる時です」
「わかったわ。後のことは任せていい?」
「もちろんです」
「ジルベール、ヴェイン、私が書状を書き終わるのにかなり時間がかかる。それまでロクサーヌを手伝ってあげてくれる?」
「御意」
「了解しました」
うーん、今さらながら最強の取り巻きを攻略しておいて大正解だったわ!
このロクサーヌの有能ぶりったら、女の私でも惚れそうよ。
そんな中、唯一ルーナだけが相変わらずのマイペースぶりだ。
「あれ~? もしかしてカイン様いないんですかぁ? 今日こそは会えると思ったのに……残念~」
きょろきょろと辺りを見回している彼女に、私は思わず脱力した。
「何をしたらいいかわからない~」というので、エヴァやレベッカと合流してくれるよう頼む。
それから私は急いで自室に戻り、紙とペンを執った。
――カーン、カーン、カーン……
こうしてあれこれ対策を立てている間も、窓の外の教会の鐘は鳴りやまない。
まだ城下町のどこかが燃えているんだわ。
多くの人が住んでいた家を失い、焼け崩れた瓦礫を前にして呆然と佇んでいる。
その気持ちは、痛いほどよくわかる。
だって私もかつて同じ経験をしたから。
――そう四カ月以上前のあの日、マーティソン子爵家が不審火で崩れ落ち、叔父様やセシルをいっぺんに亡くした……。
(あの時の絶望感、記憶がねじ曲がっていたことを差し引いても忘れられない。あの時の私と同じ……いいえ、それ以上の苦しみを味わっている人が大勢いる……)
そう思うと、ペンを握る手により一層の力が籠もった。
かつて、私は公爵に助け出された。
ならば今度は、私が誰かを助ける番。
それは偽善だ、単なる金持ちの自己満足だと、誰かに言われるかもしれない。
でもそれでもかまわない。
某○時間テレビでもよく言われるわよね。
やらない善より、やる偽善!
あ、後々被災者のために募金を募るのもいいかもね!
ナイスアイディアをありがとう、○本テレビ!
そうして私は一睡もせず、一心不乱に知り合いの貴族宛てに書状を書き続けた。
けれど嵐は全くおさまる気配を見せず、短時間で王都・シェルマリアを蹂躙していった。
ようやく雨がやみ、風が弱くなり始めたのは、その日の午後になってからのこと。
救援活動できるほど天候が落ち着いたので、私は早速ロクサーヌを始めとする仲間たちと街へと繰り出す。
そして緊急避難所が置かれたという広場に足を踏み入れた。……のだけれど、街中には予想を遥かに上回る被害が広がっていた。
大雨と火事。相反する二つの災害に見舞われ、王都の下町に当たる地域は壊滅的なダメージを受けていた。
下町のメイン通りを進んでいくと、焼け焦げた街角の至る所に被災者がうずくまっている。雨のおかげで町一つ丸々焼かれることは免れたものの、密集した家屋の一つ一つは中途半端に崩れ落ちていた。
まだ王宮から救援が届いていないのか、話に聞いた緊急避難所らしきものも見当たらない。救援物資を持って駆けつけた私達は、これからどうすればいいのか途方に暮れた。
「えーと、まずはどこかに拠点を作ったほうがいいかしら?」
「そうですな。どこか拓けた場所を探しましょう」
荷車を押しながら、ヴェインがぬかるんだ泥道を足早に進む。
その間もあちこちから厳しい視線が飛んできた。
――お偉い貴族様が、一体何しに来たんだ。
――わざわざ俺達を嘲笑いに来たのか。
そんな感じの敵意が、ビンビン感じられる。
ううう、怖い。
怖いよぉ。
突然家を失った人達の心は、どうやらひどく荒んでいるようだ。
でもそれも無理はない。
誰もが大事な人を亡くし、絶望の淵にいるのだから。
下町に来たことのない――庶民と交流したこともない貴族が突然助けに現れても、すぐに信用してくれないのは当たり前だろう。
幸い私達の傍にいるヴェインを恐れて、誰もが遠巻きに見つめているだけだけど。
「おい、あれを見ろ……」
「おお、あの方は……」
「(ん? 誰?)」
そして私達が往来でまごついている中、突然前方の人垣が割れて、ある人物がゆったりとした足取りで現れた。
まるでその人の背後からは眩しい後光が射すかのような。
その人の周りにだけ、ふわりとあたたかな空気が流れているかのような。
そんな錯覚をしてしまうほど、その人の存在感は圧倒的なものだった。
「おおおおっ、マザー・マグノリア!」
「幻の王妃だ!」
「マザー・マグノリアが俺達を助けに来て下さった!」
「ああ、マグノリア様……。どうかうちの亡くなった息子にお慈悲を……!」
その姿がはっきり見えた瞬間、周りで大きなどよめきが起こった。
誰も彼もが救いを求め、白い法衣を着た女性の周りに涙ながらに集まる。
そう、新年に開かれた舞踏会でも姿をお見かけしたあの人。
マザー・マグノリア。
この王都で誰よりも崇拝される聖母が、みんなの前に現れたのだ。
「あら、あなたは確か……アストレー公爵夫人」
「っ!」
さらにマグノリア様は立ち往生していた私達を素早く見つけて、優しく声をかけてくれる。
私は慌ててワンピースの裾を取り、丁重にひざを折って挨拶する。
雨雲が去った後の空も、聖母の到来を喜ぶかのようにキラキラと輝き始めていた。




