66 波乱の舞踏会7【カイン視点】
――ハズレか。
ルーナを初めて目にした時、カインの心中をよぎったのは『落胆』の二文字だった。そこにデボラがいることを期待していたカインは、無意識に鼻の付け根に皺を寄せる。
とはいえ、令嬢達に絡まれている見ず知らずの少女を放置することも、元来お人好しであるカインにはできぬ相談で。
「歓談中のところ失礼。あなた方はこんなところで何をしておいでかな?」
いつものトーンで、無表情のまま問いかける。
カインとしては純粋に疑問に思ったことを尋ねただけだったが、ドスの利いた低い声と威圧感のある風貌は、令嬢達の勢いを削ぐには充分すぎるほどの迫力があった。ルーナに絡んでいた令嬢達は、
「な、何でもございませんわ。場に不慣れなご令嬢がいらっしゃったので、少しお話しておりましたの。ねぇ、皆様」
「え、ええ……」
「ではわたくし達はこれで失礼致しますわね、ホホホ……」
と、笑顔を引き攣らせながら、三々五々とバルコニーから立ち去っていく。
その場に残されたカインは一呼吸置いた後、はぁ、とため息をついた。
デボラを探さなければ。
そう慌てて踵を返した刹那、突然後ろからグイッと強く手を引かれる。
「あ、あの、お待ち下さい!」
「?」
振り向けば、笑顔をキラキラと輝かせるルーナの姿があった。
こんな風に令嬢のほうから男に触れてくるなど、普通なら有り得ない。
もしかしてこの少女もデボラと同じ種類の人間なのか。
ルーナのあまりの無防備さにカインは思わず表情を硬くした。
「困っているところを助けて下さってありがとうございました。あの方々、ちっとも私の話を聞いてくれなくて……」
「失礼ながら、後見人の方はどうした?」
「シャタロフ夫人のことですか? それが途中ではぐれちゃいまして……」
ルーナは不安げに、きょろきょろと辺りを見回す。
……というか、この手を離してほしいんだが。
人通りが少ないとは言え、こんな場所で二人きりでいる所を誰かに見られでもしたら、いらぬ誤解を受けてしまう。自分はただ、妻を探したいだけなのに。
だがカインの表情筋はいつも通り死んでいるので、ルーナにはその変化がわからない。
「あ、自己紹介が遅れて申し訳ありません。私はルーナ。ルーナ=ロントルモンと申します! あの……あなたは?」
「俺か? 俺は……カインだ」
「カイン……様? 素敵なお名前ですね!」
ルーナは一向にカインの手を放さず、ニコニコと笑い続けている。
その笑顔はとても愛らしく、普通の男性ならば見惚れてしまうほどの魅力に溢れていたが、あいにくとデボラという妻がいるカインに、ヒロインパワーは通じない。むしろ今出会ったばかりの男に屈託なく話しかける少女に、カインはほとほと呆れてしまう。
(ロントルモンということは、伯爵家の娘か。確か中立派で、特に目立つ家ではなかったな……)
カインはその姓から、地味な顔をした某伯爵の顔を思い浮かべた。確かロントルモン伯爵家の子供はみな男子で、娘はいなかったはずだが……と首を傾げる。
どちらにしろ、このルーナという少女には一般的な常識が欠けている。もしも普通の令嬢ならば、公爵である自分にこんなに気安く話しかけられるはずがないからだ。
「あ、あのっ、カイン様! 実は折り入ってお願いが……!」
「……?」
さらにルーナは瞳を潤ませながら、熱い視線でカインを見つめた。
けれど愛されヒロインの『ドッキドキ☆ラブビーム』を、朴念仁のカインは全力で総スルー。
「実はここに来るまでに道に迷ってしまいまして……。私一人じゃ舞踏会会場に戻れません……」
「………」
暗に道案内してくれと頼まれ、カインは再びため息をついた。
今は一分一秒を争う事態だというのに、こんな時に限って役目を押し付けるべき警護の騎士は見当たらない。
かといって、これほど無防備な女性を、一人放り出すわけにもいかないだろう。それこそ自分以外の男の毒牙にかかってくれと言っているも同然だからだ。
「………わかった、ついて来い」
「はい、ありがとうございます!」
こうして仕方なくカインは大広間へと引き返す羽目になってしまった。
とにかく早くデボラを探しに行きたいカインはルーナの手を振り切り、それこそマッハの速さで目的地へと急ぐ。その後をルーナはほぼ小走りの状態で必死についてきた。
「うわぁ、カイン様って足が長いんですね! かっこいいです!!」
普通の女性ならば「女性の歩調に合わせないなど、紳士の風上にも置けませんわ!」と激怒するところを、ルーナは笑いながら受け流している。
しかもドレスを着慣れていないのか、デボラ同様足元が覚束なく、ちょっと目を離すとすぐに転倒しそうになっている。
結局その度にカインが渋々手を差し出し、ルーナの体を支えてやることになった。助けられたルーナはルーナで、カインの腕に全力でしがみついている。
「カイン様って本当に優しいんですね。何度も何度もすいません!」
「すいませんと謝る前に、少しは転ばない努力をしたらどうだ?」
「そうですね、頑張ってみます。人間、何事も慣れって必要ですよね!」
カインがルーナの『ドッキドキ☆ラブビーム』をスルーするように、ルーナもまたカインの嫌味を完全スルー。
カインはちょっと辟易した。
これ見よがしに媚を売ってくる女には慣れているが、こちらの嫌味を天然で返してくるような女は珍しい。普通ならばカインの一睨みで退散する女性ばかりだが、ルーナは全くへこたれた様子がない。
(この女、苦手だ……)
異様にハイテンションなルーナを前にして、カインは「なぜこうなった」と心の中でぼやく。
まさかこの段階で『きらめき☆パーフェクトプリンセス』の最強ヒロインが自分に一目惚れしていようとは……。
さすがのカインも、予想すらできないのだった。
「おやおや、私の目は悪くなったのかな? 確かデボビッチ家の奥方は、黒髪の妖艶な美女だった気がするのだが」
「冗談も大概にしろ、ルイ」
カインがルーナを連れ大広間に戻るや否や、二人に話しかけてきたのはクロヴィスだった。周りからは下種な視線が矢のように飛んでくるが、カインは相変わらずの鉄面皮で完全シカトを決め込む。
「デボラを探す途中で迷子を見つけたんだ。こちらは、ロントルモン伯爵のご令嬢だそうだ」
「あの、カイン様、こちらの方は……?」
ルーナは目の前に現れたクロヴィス相手に、可愛らしく小首を傾げた。
さすがにこの質問にはカインもギョッとする。
いくらなんでも無知過ぎるにもほどがある。
王室主催の舞踏会に参加しながら、その王族の顔を知らないなんて。
「初めまして、ロントルモン伯爵令嬢。私の名はクロヴィス。この国の第一皇子です」
「え……えええぇぇっ!? お、皇子様!? そ、それは私のほうこそ大変失礼を致しましたっ。まさかそんな高貴な身分な方とは露知らず……!」
クロヴィスが笑顔で名乗ると、ルーナは慌てて頭を下げた。
相手がクロヴィスだったからよかったものの、他の王族に同じ態度を取っていれば不敬罪に問われかねない。自分の国の王族に「あなたは誰ですか?」と尋ねる高位貴族など、いるはずもないからだ。
「ふふふ、カインはまたまた面白い令嬢を見つけてきたようだね。もはや一種の才能としか言いようがない」
「そんな才能などいらん」
「あの、もしかして皇子様とお知り合いということは、カイン様も偉い人だったりします?」
さらにルーナの天然不躾な質問は続いた。カインは口をへの字に曲げて、後のことをクロヴィスに丸投げする。
「そうだね。偉いと言えば偉いかな。ロントルモン伯爵令嬢、彼はアストレー公爵。四大公家であるデボビッチ家の当主だ」
「デボビッチ家!? あ、そういえば確かデボビッチ家の当主様が新しい奥方様を連れて舞踏会に参加したって、さっきからすごい噂に……なって、て……」
ルーナは大きく目を見開き、まじまじとカインの顔を見つめた。そしてカインが誰なのか把握するにつれ、あれほど元気だった語尾がどんどん小さくなる。
「じゃあ、もしかしてカイン様って既婚者……ですか?」
「そうだ」
きっぱり言い切るカインの姿に、ルーナは瞬く間に菫色の瞳を潤ませた。周りの者はカインやクロヴィスと目を合わせないものの、しっかり三人の会話に聞き耳を立てている。
「そっかぁ、そうですよね。カイン様みたいに素敵な人、もう結婚してて当然ですよね。はぁ……残念」
ルーナは見る見るうちにしょんぼりと項垂れて、だがすぐに持ち前の明るさで気を取り直す。
「い、いえ、きっとカイン様の奥様ならきっと素敵な方ですよね! だってカイン様ご本人がこんなに優しいんですもの!」
「は?」
未だかつて、第一印象で「優しい」などと評価されたことがないカインは、本気で我が耳を疑った。
頬を薔薇色に染め、カインを熱く見つめるルーナと、そんなルーナの気持ちに気がつき苦笑するクロヴィス。
――そんなことどうでもいいから、早くデボラを探しに行かせてくれ……。
心底うんざりしているカインの手を握り、ルーナの笑顔がぱあっと光り輝く。
「本っっっっ当にありがとうございました、カイン様! 私、感動しました! カイン様の優しさ、生涯忘れませんっ!!」
そしてその直後、カイン達を取り囲んでいた人垣が割れ、大きなどよめきと共にカインの探し人が現れる。
カインの視界に映ったのは、まるで完成された絵画のようにお似合いのカップル。
「……デボラ?」
「……カイン様」
しかもデボラをエスコートするのは、恋多き男と宮廷内で評判の第二皇子エルハルド。
エルハルドはデボラが既婚なことを気にしていないのか、カインに対し不敵に微笑み、明らかに挑戦的な視線を投げかけている。
――デボラ、お前またいらん騒動を引き付けてきたな。
カインのこめかみの筋が限界まで引き攣り、久々に暗黒魔王オーラを立ち昇らせてしまったのも――至極無理からぬことである。




