56 王都へ1
「王都でルイ……クロヴィス殿下の暗殺未遂事件が発生した。ヴェイン、急ぎ王都に戻るぞ」
公爵のその一言がきっかけで、デボビッチ家の空気が一変した。
公爵は私を自室に送り届けた後、厳しい表情のままヴェインと共に立ち去る。その間一言も口を利かず、何か深く考え込んでいる様子だった。
さすがの私も余計な質問はできず、ただただ公爵の背中を見送ることしかできなかった。
「どうやら公爵様が王都に戻られるということでハロルドさんやマリアンナ様がバタバタとしているみたいです。明日の朝にでもカイン様は出立なさるご予定だとか」
天花宮の様子を見に行ってくれたエヴァからの報告を受けて、私の表情も硬くなる。
確か公爵は王都で第一皇子暗殺未遂が起きたと言っていた。もしそれが本当なら、政局を揺るがす大事件だろう。
(っていうか、そもそも第一皇子って『きらめき☆パーフェクトプリンセス』には攻略キャラとしては登場しないのよね。攻略キャラは第二皇子のエルハルドだから……)
私は前世の記憶を総動員して、今後の未来を予想してみる。
そもそもゲームの中で第一皇子・クロヴィスの暗殺を計画したのはデボラだったりする。その理由も第一皇子を誘惑したものの一向に靡かなかったから……と言う浅はかなものだった。
(今にして思えば、ゲームの中のデボラって本当にわかりやすい悪役よね。ゲーム内で起こる事件の黒幕は大体彼女だったし……)
そういうキャラ付けとはいえ、私は今さらながらデボラに転生してしまった不幸を嘆く。でもデボラに転生しなければ、生きている公爵にも出会えなかった。
(そうよ、問題はそこよ。ゲーム内ではとっくに死んでいるはずの公爵はまだ生きている。でもゲームが開始するのは今から約三か月後……)
その時、ふと脳裏に最悪の予感がよぎり、私の体は無意識に震えた。
ゲーム内に登場しないのは公爵だけでなく第一皇子も同じだ。つまり今後、ゲームが開始される三カ月の間に、二人が命を落とすような事件が起こる可能性が高い?
(公爵が死ぬ? ゲーム設定と同じように、私はいずれ未亡人になる? そして私がデボラに転生した以上、公爵と第一皇子の命を狙う黒幕は別にいるはず……)
そこまで考えて、私は足元が崩れ去るような恐怖に襲われた。
最初はあれほど憎み、私自身の手で殺してやりたいと思っていたカイン=キール=デボビッチ。
だけど今、彼は私にとってかけがえのない人となっている。
まぁ、先ほどの温室でのあれやこれやはいったん脇に置いておいて。公爵がなぜ私にあんなことしたのかその真意はわからないけれど、今は彼の命のほうが最優先事項だ。
(もしかしてこの時期に王都に戻るのって相当やばいんじゃないかしら? グレイス・コピーの密売の件もあるし、公爵まで王都で暗殺されるんじゃ……)
考えれば考えるほど悪い予感しかしなくて、私は深い思惟に沈み込む。
このまま何もしないで、公爵を王都に送り出すなんてできない。下手すれば、これが今生の別れになるかもしれないのだ。
(だったら私はどうするべき? 決まってるわ。私も公爵と一緒に王都に行く。ゲームの知識があれば、私だって公爵を助けることができるかもしれない。ううん、絶対助けてみせる、死なせたりなんかしないんだから……!)
私の出した答えは明瞭且つ、簡潔だった。
夫である公爵を死なせないために、今こそ妻(仮)である私が奮い立つべきなのだ。
「イルマ、カイン様と話しがしたいの。急いで取り次いでもらえるかしら?」
私は椅子から立ち上がり、早速公爵の執務室へと向かうことにした。だけどいつもは常に先回りして動いてくれるはずのイルマが、なぜか返事をしてくれない。
「……イルマ?」
「あ、はい、何でございましょう。申し訳ありません。少しぼうっとしておりました」
イルマはハッと我に返ると、「改めてご用件を承ります」と深く頭を下げた。その反応の鈍さに、私は思わず首を傾げる。それによく見ればイルマの顔色が悪いような気がする。エヴァとレベッカも、すぐにイルマの異変に気づいたようだ。
「イルマさん、もしかして体調が良くないんじゃないですか? なんだかさっきもしんどそうにしてましたし……」
「デボラ様のことはおら達に任せて、少し休憩を取って下せぇ。カイン様の執務室にはおらが行ってきますだ」
「でも……」
イルマは申し訳なさそうにかぶりを振るけれど、私が「やっぱりイルマは休んでて。これは命令よ」と強い口調で言うと、大人しく指示に従ってくれた。
「申し訳ありません、カイン様が急遽王都にお戻りになるという大切な時に……」
イルマは最後まで私に謝っていたけれど、彼女はいつもこれ以上ないほど私を助けてくれている。そのことに感謝こそすれ、怒る筋合いなどない。とにかく大事を取ってエヴァにイルマに付き添ってもらい、主治医のラッセル先生のところへ行くよう促した。
「ではおらは天花宮に行ってきますだ」
そしてレベッカには公爵との取次ぎを頼み、私はしばらく自室で一人待機することになった。
けれどやはり屋敷内は急な公爵の出立のせいで慌ただしく、私がようやく公爵に会えたのは夕暮れも近い刻限だった。
「どうした、デボラ。何か用か」
執務室で顔を合わせた公爵は、いつものあの仏頂面だった。
昼間、温室で私にあんなことやこんなことをしてきた狼公爵は一体何だったのか。
本当に同一人物か。はたまた私の願望が見せる幻だったか。
……うーん、それを今考えても仕方ないわね!
悔しいけどこの人に振り回されるのはいつものことだし!!
私は自分の頬に熱が上るのを自覚しつつも、まずは本題を切り出した。
「カイン様が王都に戻られると聞いて。実はお願いがあって参りました」
私はドレスの裾を掴み、丁重に頭を下げる。公爵のそばにはハロルドとヴェインも控えていて、ハラハラ顔で私のことを見守っていた。
「どうか私も王都にお連れ下さいまし」
「だめだ」
即却下かーいっ!
私は自分のこめかみがぴくぴくと痙攣するのを感じた。
ええ、まぁ、こうなることは大方予想してましたけどねっ!
私もこのひねくれ者の思考回路に、ずいぶん慣れてきたかしら。
「どうしてだめなのか、その理由をお聞きしても?」
「そもそもお前が王都に戻る必要性がない」
「ありますわっ!」
私は顔を上げ、怒涛の勢いで公爵に噛みついた。
今日だけは絶対にここで退くわけにはいかない。これからの選択によっては、私はこの人を永遠に失うことになるかもしれないのだから。
「私を王都にお連れ下されば、きっとカイン様のお役に立ってみせます。ええ、ゲームの知識を利用すれば悪人の一人や二人……」
「げぇむの知識?」
「い、いえ、何でもございません! とにかく私、いろんなことをよく知ってるんです! それはカイン様もご存じのはずでしょう?」
「……………」
私はしどろもどろになりながらも自分の有用性をアピールする。だけど公爵は両目を眇めて、厳しい視線で私を吟味している。
「いろんなことをよく知っていると言ったが、もしかして何か思い出したのか?」
「……え?」
「例えばお前の叔父のイクセルがしていたこととか」
「……叔父様のしていたこと?」
私は思わず、はてなと首を傾げた。
確かに私は過去の記憶を取り戻したけど、イクセル叔父様がしてたことって何かかしら? 私を長年虐待していたこと? でもこの質問のニュアンス的に、それは当てはまらないような気がする。
「あの、叔父様のしていたことって何ですか……?」
「いや、何でもない。忘れろ。今のは失言だった」
公爵は自分の口に手を当て、ふいっと私から目を逸らした。
おーい、ちょっと、ちょっと、そんな風に言われたら余計気になるじゃないの!
私は目の前の執務机にバンッと両手をつき、大きく身を乗り出す。
「カイン様、ずるいです! そこまで仰ったならちゃんと教えて下さい! 今回の王都行きに私の亡くなった家族が関わっているのですか!? なら余計に私は王都に行くべきではないのですか!?」
「デボラ様、どうか落ち着いて下さい」
固く口を閉ざす公爵の代わりに、私を宥めたのはハロルドだった。私はゼイゼイと肩で息をつきながら、ハロルドに視線を移す。
「カイン様はデボラ様の身を案じていらっしゃるのです。今ここでデボラ様が王都に戻られては、あなた様をこのアストレーに保護した意味がなくなってしまいます」
「私を……保護?」
「……ハロルド」
「あ、も、申し訳ございません!」
はい、失言2つ目もらいましたー!
今保護した………私を保護したって言ったわね?
私と公爵の結婚は私を子爵家から救い出すためだけじゃなく、別の意味合いもあったと言う事?
そうよね? この解釈で間違ってないわよね?
なら私を保護した理由とやらを、この機会にちゃんと教えてもらわなくちゃ!
「私を保護する必要があったというのはどういうことですか?」
「……」
「カイン様!」
「話はこれで終わりだ。ヴェイン、デボラをこの部屋からつまみ出せ」
「えっ、よ、よろしいのですか?」
全然よろしくなぁぁぁーーーいっ!
強制的に会話を打ち切ろうとする公爵に、私の堪忍袋の緒も久しぶりにスライスハムのようにブチ切れそうになった。
それが私のことを心配してくれての配慮だってことは説明されなくてもわかってる。
だけど全てを秘密にして守ってもらっても、私は全然嬉しくないわ!
「私、出ていきませんわよ! カイン様が王都に連れて行ってくれると約束して下さるまで、梃子でも動きませんっ!!」
そして私は執務室の前で胡坐を組んで座り込み、固く腕を組んで大仏アピールをした。その女性らしくないふてぶてしい態度に、公爵は完全に呆れ返っている。
まさに執務室は一触即発の空気。私達二人の間には、バチバチと視線の火花が散っていた。
「カイン様、あの、本当に……」
「いいから即刻つまみ出せ! ヴェイン、これは命令だ!」
「は……はぁ……」
私達二人のケンカのあおりを食ったのはヴェインで、可哀そうなくらい狼狽えていた。ヴェインは眉尻を下げながら、渋々と私の前で片膝をつく。
「ということで申し訳ない、デボラ様。強制退去させて頂きます」
「いやよ! どかないって言ったらどかないったら!!」
私はまるでおもちゃ売り場の前で親に向かってデモをする子供のように、いやいやとかぶりを振った。けれど筋肉バカのヴェインに力で敵うはずはなく、あっさりとその肩の上に担ぎ上げられ、米俵状態で部屋の外に連れ出される。
「カ、カイン様! これで私が諦めたと思わないで下さいね! たとえ地を這ってでも絶対王都についていきますからぁぁっ!!」
「ヴェイン、コーリキやジョシュアや親衛隊に命じて、デボラをしっかり監視しろ! しばらく外出も禁止だ!」
「は……はっ!」
まさに売り言葉に買い言葉。
公爵が王都に戻る前夜、私達は初めて本格的な夫婦喧嘩を繰り広げた。
く、
く、
悔しいぃぃぃぃーーーっ!!!
久しぶりに公爵に対し本物の殺意を感じつつも、私の王都行きの決心はますます強く固まるのだった。




