47 カインという男4
――全く、なんで俺がこんなヒラヒラした格好をしなければならないんだ?
パーティーが始まってからずっと、カイン=キール――もといイアン=モルドレッドは不機嫌の絶頂にいた。
確かにこの真っ白な王子様スタイルの衣装のおかげで、誰もがカインの正体には気づいていない。
ノルヴァラン家にいた頃から社交に興味を持てず、各地を留学しまくっていたため、元々顔も知られていない。デボビッチ家を継いでからも領地改革に忙しく、最低限の夜会にしか出席したことがなかった。
だから万が一カインを知っている者がいたとしても、普段の真っ黒な衣装に身を固めたイメージが強すぎて、今のカインがカインであるとは気づけないだろう。
ルイ付きの侍女達も「これはいじり甲斐のある素材ですわね!」と燃えに燃え、最終的には金髪のかつらまでかぶらされた。
そんな中、本日出席したマーティソン子爵家のパーティーである。
ホストであるイクセル=マーティソン子爵は、初めてパーティーに訪れた異邦人に興味津々の様子だった。
「イアン殿はマナベスタ公国からの留学生だそうですね。ヴァルバンダでの暮らしはどうですか?」
そうイアンに笑顔で話しかけてくる子爵は、実に穏やかで人好きするような話し方だった。子爵の周りには常に人であふれ、楽しそうな笑い声が絶えない。
――なるほど。天才詐欺師とはよく言ったものだ。
子爵を観察していて、カインも思わず感心した。
共感力――とでもいうべきか。子爵は近づいてくる人々の話題に乗り「そうですね。私もそう思います」とか、「それは辛かったね。あなたのその境遇には同情します」などと常に人の心に寄り添い、時にはじっくり話を聞き、心の隙間にするりと入り込むのが得意なようだ。
そしてそれは息子であるセシル=マーティソンも同じ。一見女子に見間違うほど愛くるしい容姿をした少年は、集まった有閑マダムの間でアイドルのように持て囃されていた。
「初めまして、イアン=モルドレッド様。マナベスタ公国は芸術が盛んな国だとお聞きしました。僕もいつか留学し、かの地の歴史を学びたいものです」
そう微笑むセシルに、カインは目を眇める。
「あなたのように聡明なご子息ならば、我が国の者も大歓迎するでしょう」と当たり障りのない答えを返すと、セシルはにっこりと微笑んだ。
――なりは可愛いが、この少年は心に獰猛な獣を飼っている。
カインはそう直感した。
表面上は友好に接しつつも、子爵も、セシルも、明らかに突然訪れた異邦の留学生をしっかり値踏みしている。
この男は利用する価値のある人物か、否か。
笑顔の仮面の下では、常に誰かを利用し、陥れようとしているのだ。
それはアストレーで数々の敵を抱えるカインだからこそ感じ取れる、邪悪さかもしれない。
そしてそんな子爵家には、本来の跡継ぎであったはずの令嬢がどこかに囲われているはず。カインはそっとパーティー会場を抜け出し、目的の令嬢を探しに出かけるのだった。
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時……」
本宅から離れ裏庭へと回ると、そこには謎の呪文を唱えながら洗濯する一人の少女がいた。
確かデボラは今年で17。タチアナから聞いていた情報と一致する。
カインは小さく蹲るその背中に近づき、慎重に声をかけた。
「――なぜ洗濯を続ける? 雨が降り出したのに」
「……?」
カインが話しかけると、蹲っていた少女は立ち上がり――カインを見て大きく目を見開いた。
――美しい少女だった。
艶のあるぬばたまの黒髪に、極上のルビーを埋め込んだような真っ赤な瞳。
貧相な服を着ているが、豊満な胸元にくびれた腰のライン。美しいドレスを身にまとえば、多くの男を悩殺するだろうことが容易く予想される見事なプロポーション。
まさかこれが噂のデボラ嬢なのか、と、カインは無意識に息を飲んだ。
「どうした。やはりこの格好、おかしいか?」
「……っ」
デボラにまじまじと見つめられ、カインは思わず自分の格好を見返した。
何せこんなヒラヒラの衣装を着たのは生まれて初めてである。自分のキャラとは正反対の衣装のおかげで「残酷公爵」だとバレずに済んでいるが、滑稽なことは間違いない。
だがデボラはほんの少し頬を染めて、大きくかぶりを振った。どうやら似合ってる、とフォローを入れたいようだ。
「お客様、メインホールはあちらです。ここは使用人が住む別棟です」
デボラは本宅を指さし、カインに戻るよう伝えるが。
「お前は参加しないのか?」
「……え?」
「お前はパーティーに参加しないのか? この家の娘なのだろう?」
「――」
そう指摘すると、デボラの表情が硬くなった。タチアナの名前を出し、何か伝えたいことはあるかと尋ねると。
「お心遣いだけいただきます。タチアナにどうぞよろしくお伝え下さいませ……」
「………」
デボラは全てを諦めたような暗い瞳で、再び俯いた。
美しい少女なのに哀れな……とカインは思う。
叔父一家に9年もの間虐げられ続けたせいで、デボラはすっかり精神を病んでいた。
お前は本当に今のままでいいのか?と問えば、いいという迷いない答えが返ってくる。
叔父や弟に愛されて、幸せなのだ……と。
どうやら自分の心を守るために、デボラはこれまでの記憶を改ざんしているようだ。その病み様はかつての妻――グレイス・コピーに精神を侵されたラウラに通じるものがある。
彼女に必要なのは一刻も早い保護と、心の治療だ。
カインはすぐさま決意した。
「必ず助けに来よう」
「……え?」
「そう長くは待たせない。必ずここから救い出してやる」
「――」
デボラの涙を指でぬぐい取りながら、カインは一方的に宣言する。
デボラは驚いて瞬きを繰り返し、完全に言葉を失っていた。
「じゃあまたな、デボラ」
頃合いを見計らい、カインはデボラの前から立ち去った。
そしてパーティーが終わった後、すぐさまルイの許を訪れ、デボラに求婚する旨を告げた。
ルイは「やっぱりね」と苦笑し、「いつものことだ」とカインの行動に理解を示した。
この時カインはいつものように結婚を一つの手段としてしか考えていなかった。
デボラは美しい少女だが、今まで妻となった女達と何ら変わりはない……ある意味不運な運命に流され、己の立場を嘆くだけの受け身な女でしかなかった。
だから異性として特別惹かれるようなこともなかったし、彼女が立ち直った後は潔く離縁してやろうと当たり前のように考えていた。
しかしその考えがよもや根本的に覆されることになろうとは、この時のカインはまるで予想していなかった。
マーティソン子爵家からデボラを救い出すと決めた後のカインの行動は早かった。
普段は忌避しているはずの夜会に出席し、わざと衆人環視の前でマーティソン子爵に話しかけた。
「マーティソン子爵、あなたの許には大層美しい姪がいらっしゃるそうだな。確かデボラ嬢という。もし可能ならば生きる黒曜石のごときその令嬢を我が妻に迎えたいものだ」
「な……っ!?」
カインに話しかけられた時のイクセルの慌てぶりは、見ていて滑稽だった。
ただでさえ領地に引き籠ってばかりいるアストレー公爵が、名門イグニアー家の夜会に出席しただけでも珍しいのに、あろうことかその場で子爵家に正式な婚姻を申し込んだのだ。
先日パーティーに訪れた美しい留学生と、目の前の慇懃無礼なアストレー公爵が同一人物だと見抜けなかったイクセルは、可哀そうなくらい慌てていた。
さすがの天才詐欺師も、予測困難な不意打ちには弱かったらしい。
「マーティソン子爵、あなたに姪がいるなど初耳ですわ」
「そのように美しい令嬢を隠しているなど人が悪い。なぜデボラ嬢は社交界にデビューしていらっしゃらないのか」
「いや、実はデボラは元来病弱でして。長い間、領地にて静養させていたのです……」
夜会の場でデボラの存在を暴露されたイクセルは、額に汗かきながら必死に言い訳をしていた。
その様子を見て、カインは密かに溜飲を下げる。
9年もの長い間、姪を虐待していた報いを、子爵はこれからたっぷり受けるのだ。
ルイと共に進めた内偵でイクセルの犯した犯罪を確信していたカインは、その喉元に鋭いナイフを突きつけた。
――が、これこそが重大な失策だったと、カインは臍を噛むことになる。
カインがイグニアーの夜会に出席し、イクセルを通じてデボラに求婚した数日後、マーティソン子爵邸は不審火のために全焼し、子爵一家は帰らぬ人となった。
カインの求婚によりマーティソン子爵家に捜査の手が伸びていることを知った黒幕が、口封じのために一家を抹殺したのだろう。カインとルイは同じ推論に行きついた。
「……すまない、ルイ。俺が浅はかだった。まさかこのタイミングで子爵家ごと消されるとは思わなかった」
「謝るな、カイン。蜥蜴のしっぽ切りは黒幕の得意とするところだ。それが例え貴族相手であっても、一切の慈悲はなかっただろう」
マーティソン子爵一家が死亡したことで、調査はまたふりだしに戻った。
不幸中の幸いは、デボラが無事生き延びたことだ。
しかし結果的にカインはデボラの生家を奪うことになってしまった。その償いは、きっちりしなければならない。
「カイン、すまないが君はしばらくアストレーに戻っていてほしい。黒幕は明らかに君を警戒している。それに子爵家の生き残りとして、デボラ嬢が狙われる可能性も0ではない」
「………」
ルイの言葉に、カインは思わず顔を顰めた。
かく言うルイこそ常に暗殺の危機にさらされているはずだが、デボラの身の安全に言及されてしまえば、ここは大人しく指示に従うしかない。確かにデボラを王都に留めるより、自分の領地であるアストレーに連れ帰ったほうが百倍安全だからだ。
「わかった。だが何かあればすぐに知らせろ。正体がわからぬ敵に、容易く殺られたりしたら承知しない」
「ふふ、持つべきものは親友だね」
こうしてカインは信頼できるハロルドをわざわざアストレーから呼び出し、デボラの世話係を任せた。
デボラがアストレーに着くまでの間、親衛隊から選りすぐりの者を護衛につけ、怪しい者を一切近づけないようにもした。
そしてデボラよりもいち早く領地に帰っていたカインは、保安局から密輸組織についての情報を報告された。
それは港町の一角で薬屋を経営するマルクと、その仲間達に関する不穏な噂だった。
「きゃあぁぁぁーーっ、兄さん――!!」
その日、カインはヴェインを引き連れ、問題のマルクの店前まで来ていた。
調査報告書によると、マルクの店はグレイス・コピーを密輸している疑いが濃厚で、しかも別件ではあるがマルクの妻は3か月前に不審死しているらしい。
現在マルクは実妹であるフィオナを奴隷のように扱い、虐待している疑いがあるとのことだった。
当然カインは、最悪な事態が起こる前に先手を打つ。フィオナの保護に向かったのだ。
「いや、やめてください! お願いです。何でも言うことを聞きますから……っ」
だが肝心のフィオナは兄・マルクの洗脳下にあり、マルクもまたフィオナを受け渡すことを拒否した。
となれば、自然と腕ずくでフィオナを奪うことになる。
市場の周りには人だかりができ、カインのフィオナ略奪はもはや一種のショーと化していた。
だが日頃からフィオナがマルクにこき使われていることを知る人々は、カインの行動に一定の理解を示した。
「カイン様、フィオナちゃんを助けてあげて」
「おい、マルク、なんで領主様自らが足をお運びになったのかよく考えろ!」
周りからはマルク非難する声が上がり、ヴェインに突き飛ばされたマルクは悔しそうに顔を歪めた。
まだ確たる証拠がないため逮捕するまでには至らないが、いずれその尻尾を掴んでやる。
そんな強い意志を込め、カインはマルクを冷たく見下ろした。
「それが四大公爵に名を連ねる者が、なさることなの?」
だがしかし、次の瞬間、カインの行動を真っ向から批判する者が現れた。
一体何事かと振り返れば、人々の群れの中にひときわ美しく咲き誇る一輪の薔薇がある。
それはかつて生きる気力をなくし、悲しみに打ちひしがられていたはずのデボラ。
しかし今カインの目の前に立つデボラはまるで別人。
その真っ赤な瞳は怒りの炎で燃え立ち、正面からカインを強く睨みつけていたのだった。




