38 瑞花宮の真実
目を醒ました時、デボビッチ家のみんなの泣き笑いの顔が、真っ先に視界に飛び込んできた。
イルマも、エヴァも、レベッカも、ハロルドも。それと、コーリキ、ジョシュア、マリアンナや料理長のケストランまで。
みんな私を取り囲み、ボロボロと涙を流している。よかった、本当によかったと嬉しそうに手を叩いている。
ああ、ごめんなさい、心配かけたわね。
申し訳なさと同時に、こんな私のことを心配してくれるみんなの優しさが嬉しくて、胸に甘酸っぱい想いが広がった。
目頭が熱くなり、私の意志とは無関係に涙が零れそうになる。
けれどその直後、ドスの利いた低い声が私の耳に届いた。
「………目覚めたか」
ひっ、ひぃぃぃぃーーーーっ!!
出かけていた涙も、見事に引っ込みましたぁぁぁーーっ!!
青ざめながら視線を巡らせると、みんなの背後には元祖〇ースベイダーのように直立する黒い影。つまり公爵が腕組みしながら、私のことを見下ろしていた。
しかもなんか……めっちゃ怒ってる?
ギンギンと鋭い目で睨まれて、正直ガクブルものなんですけどぉぉーーっ!!
「またこの人は……」
「なんでこんなひねくれた反応しかできないんしょうかね……」
「ハロルド様、カイン様の教育、間違ってねぇだか?」
「も、申し訳ございません! 全て私の不手際でございましたぁぁぁ!」
しかもなぜか周りのみんなは呆れ、ハロルドが土下座する流れになっている。
そんなみんなの輪を割って、登場したのは白衣を着たノアレだった。
「はいはい、皆さん感激しているところを申し訳ありません。デボラ様の診察をさせてくださいね」
「ノアレ……」
「ちょっと失礼させて頂きますね、デボラ様」
ノアレは優雅に微笑むと、手慣れた様子で私の脈をとり、検温する。
「うーん、とりあえず大きな異常はなさそうですね。どこか具合が悪いところはありますか?」
「少し……喉が渇いてる……かも。それと胸のあたりが、少し息苦しいような……」
「うーん、まだグレイス・コピーの後遺症が残ってるのかもしれませんね。どれどれ……」
ノアレは聴診器のイヤーピースを耳に当て、私の襟元を少し緩めた。そのまま聴診器の丸い部分を私の鎖骨辺りに伸ばしたところで――
――がしり。
なぜか超絶不機嫌な顔をした公爵が、ノアレの手首を握ってそれ以上の診察を阻んだ。ノアレは一度目を瞠った後、これまた超不機嫌な表情で、公爵を睨み返す。
「あの、私は純粋に診察をしているんですが」
「……」
「言いましたよね? 私は医者ですから、デボラ様に何かあれば生肌でもなんでも目にすることはあるって」
「……………」
な、生肌?
ノアレと公爵は一体何の話をしているのかしら?
バチバチと二人の間に見えない火花が散って、私は狼狽えた。
すると背後からにゅっと複数の手が伸び、公爵を後ろから羽交い絞めにしたのだ。
「……おい、これは何の真似だ、ヴェイン」
「たとえカイン様でも、診察の邪魔をしてはなりません。コーリキ、ジョシュア」
「はーい、カイン様、すいませんねぇ」
「デボラ様、カイン様は我々が責任をもって連行いたしますので」
「あ、はい」
そうして公爵は、三人がかりでズルズルと引きずられていった。その間公爵はずっとモアイみたいな顔をしていて、私は内心ハラハラしてしまった。
「デボラ様、カイン様のことは吾輩らにお任せ下さい。それとノアレはこれでも頼りなる男ですので、安心して診察を受けてください」
「ありがとう、ヴェイン。……ん? 男? 男……」
私は横になったまま首を傾げて、再びぐるりと視線を巡らせる。
するとノアレが困ったように苦笑しているのが見えた。
……。
……。
………。
………………。
え、えぇぇぇぇぇえっ!? そ、そうなのぉぉぉ!?
ちょ、それならそうと早く言ってくださいよぉぉぉぉーーーっ!!
この屋敷に来てから何度目かわからない雄たけびを、私は上げた。
そっか。
そっか、そっか、そっか、そっかー。
ノアレは公爵の愛人……ではなかったのね。
男性のお医者様だったのね。
トホホホホ……。
ああ、ホントいたたまれない。
マジで恥ずかしい。
私ってば、どこまで思い込みが激しすぎるのよ……。
長い夢から醒めた後に襲い掛かるのは、嵐のような自己嫌悪。
ノアレはそんな私の頭をよしよしと笑顔で撫でてくれた。
× × ×
その後、何とか復活した私は、それまで誤解していた様々な事柄の真実を知ることになった。
まずは瑞花宮。ここは公爵のハーレムなんかじゃなかった。
グレイス・コピーに人生を狂わされた人々が集まる、病院だったのだ。
「まぁ、昔は精神がかなりやばいことになってる患者もいましたからね。そういう患者を隔離するには、このお屋敷の離れはうってつけだったのです。あ、もちろん今はそんな重篤な患者はいないのでご安心ください」
「そう、なんだ……」
体を起こせるようになった私は、リハビリがてらに瑞花宮の中をノアレに案内してもらった。
患者はそれぞれ個室を与えられていて、どこもかしこも清潔だ。保安局の厳しい取り締まりのおかげで、今は患者数も激減しているらしい。
ただやはりここは特殊な場所なので、関係者以外の立ち入りは原則禁止しているとのこと。
つまり瑞花宮は私が想像してたような酒池肉林の場ではなく、また公爵の過去の妻達の死体が吊り下げられている場所でもなかったのだ。
「あ、デボラ様! お加減はいかがですか」
「こんにちは、フィオナ。ええ、順調よ、ありがとう」
ちなみにフィオナはここで看護師候補として働いている。私が瑞花宮に運び込まれた時は、だいぶ取り乱していたと聞いた。
その後も個人的に私のところに謝りに来たけれど、フィオナに罪がないことは明白。私は気にしないでと、逆にフィオナを励ました。
「フィオナ、患者さんの検温は済みましたか?」
「は、はい、ノアレ様! あの、他に私にできるお仕事ありますか?」
ノアレに指示を仰ぐフィオナの瞳はキラキラと輝き、その奥には若干の甘さが含まれている。
ふーん、なるほど……なるほどねぇぇ(ニヤニヤ)。
私はてっきりフィオナもノアレも公爵の愛人だと思い込んでたけど、ノアレの性別が判明した今、それも誤解だったとすぐに理解する。
どうやらフィオナは、ノアレに恋しているようだ。
対するノアレは彼女の気持ちを知りながらも、うまくかわしていてるように見える。
(うーん、やっぱりノアレは食えないわねー。その辺りは第一印象通りかしら。フィオナ、頑張れ。ノアレは多分、一筋縄ではいかないわよ……)
私は心の中で、ひっそりとフィオナを応援する。
似たような境遇に置かれた者同士、私はフィオナに今まで以上の親近感を覚えていた。
「デボラ様、私からも質問してよろしいでしょうか。デボラ様はグレイス・コピーの急性中毒で五日ほど寝込んだわけですが、その間、何か思い出したことはありましたか?」
「えと……それは……うん」
案内がてら、ノアレは核心を突く質問をしてきた。
私はもごもごと口ごもりながらも、ノアレの前で誤魔化せるはずがないと観念して、全てを白状する。
「思い出したわ……全部」
「……」
「あの、もしかしてノアレは、最初から私の事情を知っていたのかしら?」
「ええ、まぁ」
ノアレは眉尻を下げながら苦笑し、少し休憩しましょうかと、瑞花宮の食堂へと私を誘った。給仕にお茶を頼んで、日当たりのいい窓際に座り、これまでのことを話し出す。
「私は医者で、そっち方面の専門ですから。カイン様からデボラ様の記憶の混乱については事前に説明と相談を受けておりました」
「そっか。そうよね……」
私はお茶をすすりながら、巣に隠れるリスのように小さく身を縮こませた。
ああ、穴が入ったら今すぐ入りたい。
そしてそこに埋まったまま、あと百年ぐらい寝ていたい。
「デボラ様の事情については、カイン様と、私と、それとヴェインとイルマ、それからマリアンナとハロルド、この六人が情報共有していました。それ以外の者には、まだ詳しいことは知らされておりません。もし可能ならば、いつかデボラ様本人の口から、みんなに本当のことをお話ししてあげて下さいね」
「う、うん、そうね。みんなには心配かけちゃった……」
私はがっくりと項垂れながら、改めてノアレに向き直る。
「……ごめんなさい」
「……? デボラ様?」
「その、記憶の混乱があったとはいえ、ノアレにも色々迷惑をかけてしまいました。本当に申し訳なかったわ」
「……」
深々と頭を垂れて、私は今までの非礼をノアレに詫びた。
本当ならノアレではなく、公爵に対し一番に謝罪するべきだろうけど、今の私にそんな勇気はない。
ノアレは私のつむじをまじまじと見つめて、一つ小さなため息をついた。
「やれやれ、これはどうやらカイン様の危惧が当たってしまいましたか……」
「――え?」
「いえ、何でもありません、こちらの話です。……デボラ様、顔をあげてください」
「はい」
私はしゅんとしながらも、背筋を正す。まるで先生に怒られる小学生のように。
「あなたが私に謝る必要など、全くありませんよ。あなたの心と体はひどく傷ついていました。責められるべきはそこまであなたを傷つけた加害者。被害者であるあなたが、罪悪感を抱くのはお門違いです」
「………」
「と言っても、まだピンとこないでしょうね。わかります。ですから少しずつでいい。あなたの心の傷を、ここで癒していきましょうね」
「………」
ノアレの言葉はとても優しく、医者らしいベストな励ましだった。
私は小さくこくんと頷き、「これからもどうぞよろしく」とお願いするだけで精いっぱい。
けれど――わからない。
本当はこれからどうしていいのかわからない。
真っ暗闇の夢から醒めても、私の心は未だに過去に囚われている。
ちっぽけで、弱くて、脆くて、臆病で。
何の存在価値もない人間。
それが私。
デボラという女。
今までみんなの前で超強気に振舞えたのは、子爵令嬢であるという偽りのプライドがあったから。
セシル達の仇を討つという明確な、それでいて見当違いの目的があったから。
でも本当の記憶を取り戻した私は、それらが幻だと知ってしまった。
この手の中に残るものは、もはや何もない。
そんな私が、なぜ公爵夫人などという大それた地位にい続けられるだろう?
いや、い続けられるはずが――ない。
となれば、今後の私が選べる道は、一つしか残されていなかった。
お気に召しましたら、評価・ブックマークよろしくお願い致しますm(_ _)m




