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第40話・コンテンポラリーダンスのコンテスト審査

 前回に大前光市氏のインタヴューでのダンス観を語っていただきました。今回は氏がコンテンポラリーダンスのコンクールで審査員をされていることもあって、それにも言及していただきました。

 なお、氏は「審査員をするよりも、出場する側になって審査されたい」 と語る。すでに知名度があっても、向上心が健在でかつ慢心がなくいいなあ……そのセリフに好感です。鑑賞側としてはダンサーとして、のびしろがあると判断する。

 それでは、行きます。


」」」


 まずコンテンポラリーダンスとはなにか、一番簡単な言葉でいうと、

① とにかく自由に踊る

② 自由な身体表現を示す


 ウィキペディアの定義は難解ですが一応抜粋しておきます。

 ↓ ↓ ↓

コンテンポラリー・ダンス(英: contemporary dance)は、フランス語の「ダンス・コンテンポランヌ」(danse contemporaine)の英訳語。1960年代以降の前衛的なダンスがルーツとも言われているが、現在コンテンポラリー・ダンスといわれている舞踊芸術運動の発祥の地は、1980年代前半のフランスである。


」」」」


 フランス発祥らしいが、その概念ができてまだ五十年もたってない。本当に新しいとわかる。ちなみにクラシックバレエの発祥は十四世紀のルネッサンスから。約六百年も違う。

 新しい舞踊であれども、年々重きを置かれている。近年はバレエコンクールでもクラシック部門とコンテンポラリー部門を分けてはいても、コンテンポラリーも配点の比重が大きくなった。クラシックもコンテンポラリーも両方踊らないといけない。それだけコンテンポラリーが重視されている。私の小さい頃はコンテンポラリーという言葉自体なかった。バレエ史もまた常に新しく作られている。

 ただコンテンポラリーの定義は漠然としていて、お手本がない。系統だったものもない。プロを名乗る人それぞれが一国一城の主。そのあたりが、クラシックバレエと違う。まだまだこれから発展するジャンルでもある。


 しかし……。

 正直に書くが私はコンテンポラリーが苦手だ。どうしてこれを踊っているのかがわからないから。ダンサーの意図がつかみにくい。漠然としたイメージは題名とダンサーの動作で推測はする。するけど、正解がないのが苦手。つかみどころがない。どうにも居心地が悪い。

 たとえば来日公演で高価なガラのチケットを取ったのに、コンテンポラリーが入ると振り付けの理解ができなくて、その時間が長いほど損したような気分にもなる。私に関しては冷遇極まれり。

 多分私がストーリー性を重んじるタイプの観客だからだろう。バレエ好きにもいろいろある。厳格なクラシックバレエは枠がかっちりしている。振り付けがある程度決まっている。ストーリーもあらかじめわかっているものが多い。ゆえに理解が容易。そういうところが、私の性格にあうのかもしれない。


 大前氏にコンテンポラリーの審査員として、どういう踊りが「良い踊り」 になるのかと私は問うた。なぜならばプロダンサーでもコンテンポラリーを踊るときに、振付家コリオグラファーの意図がわからぬままに、踊ることも多々あるから。わけがわからぬままに舞台にでるのも無茶なようだが、著名な人でもそれで通る。それが私には不思議だった。

 だったら、ダンサーの卵はどういう踊りを踊れば、ダンサーの登竜門であるコンペティション(コンクールの類語)で認められるのか。


 氏の回答は非常にシンプルだった。

「好みです」

 私はめんくらう。明快すぎる回答だ。

「はい。完全に好みで決めます。舞台に出たら、その人がうまいかどうかもわかる。踊りとしてどれがいいかは、好みできめる」

 私の本職は一応医療従事者なので、個人の好みなどの主観は通らぬ場に常にいる。芸術家は根本的に感覚や才覚を受け入れ、かつ、分析する能力が違うのだろう。何が正しいと決めつけることのできぬ世界。だったら、どういう踊りがいいかも言葉で示すことはできぬ。

 氏は振付家の意図がわからなくても、それでも踊るのがプロだという。そうなんだ……。

「プロはね、お金をもらっている以上は、指示通り踊るものですよ」

 私は重ねて失礼なことを問う。

「コンテンポラリーはわけがわからないのもありますよね。前衛的といえば聞こえはよいが、狭い世界の中でお互いを称賛しあい、満足するサークル、同人誌のようだ……だからチケットが売れなくて、がらがらだったりするのではないでしょうか」

 めちゃめちゃ失礼な問いだったが、怒られなかったです。氏によると、コンテンポラリーはまだまだこれから発展する分野だそう。だから氏は審査員より踊る側に立ちたいといったのだろう。コンテンポラリーも、ローザンヌでの審査はバレエコンテンポラリーと表現された。あれは、バレエの基礎あればこそのもので、氏のやるコンテンポラリー審査とは別だと。


 氏の審査はバレエの基礎がなくても大丈夫だという。つまり、バレエの基礎があっても、有利というわけでもない。私は氏から指導を受けたが、一貫して背中を意識し、頭の重みを感じてほしいというものがメインだった。それが氏のダンスの基礎であったら、簡単なようでも結構難しいかも。バレエの軸とは微妙に違う表現だった。私はバレエでもそうだけどコンテンポラリーも劣等生かも。

 コンテンポラリーとバレエコンテンポラリー、それすらまだ曖昧で混とんとしている。逆に黎明期にあるともいえる。ならば、伝説を作るのはこれから踊りたいという若い人々になるか、それとも既存の踊りの概念を打破しようと意気込むプロダンサーの挑戦によるものか。それがダンスの世界外にいる人々の興味を引き、称賛を得たらそれこそ舞踊史に残る偉業になる。

 コンテンポラリーはバレエとはまったく違う新しい舞踊であるのは理解した。コンテンポラリーは訳が分からないと言う不満も当面は封印しましょう。そして新しい人々が新しい舞踊を魅せてくれるのを楽しみに待ちましょう。そう、鑑賞者は常に感動したい。クラシックは基本のストーリーなどは、もうわかっている。だからダンサーがどこの場面をどう踊りこなすかという興味もあって舞台に引き寄せられる。

 でもコンテンポラリーはどこまで観客を魅了させるか、から始めないといけない。その振り付けも踊りもすべてがまだこれから。

 私も、できるだけ長生きして、舞踊の進化を楽しみたいと思います。





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