085●フロー編●76.約束
ドラドが投獄されると、シャインはすぐさま王都を飛び出していった。
臨時の議会を開き、ドラドの悪事を証明するものをすべて提出すると、当然重い処罰が科せられることとなった。
ドラドは六十を過ぎているので、もう外の空気を吸うことなく、生涯を終えるだろう。
ウッツにも、クーデターに加担し実行したこと、一度目の横領にも関わっていたとして処分がくだされた。
これでホルストの名誉が守れた。つまり、ユリアーナも犯罪者の娘ではなくなる。
「ラルス」
フローリアンは二人きりになると、そっとラルスに抱きついた。
「どうしたんですか?」
「全部終わったと思ったら、安心したんだ」
そう言いながら顔を上げると、ラルスは微笑んで頭を撫でてくれる。
「お疲れさまでした。この数日、ずっと忙しかったですしね」
「そうだね。ようやく少しのんびりできるよ」
「お茶を淹れるよう言ってきましょうか」
「ううん。久しぶりに、ラルスの淹れたお茶を飲みたいな」
「いいですよ」
そう言ってラルスは一度、部屋を出ていった。
ツェツィーリアがいなくなってから、メイベルティーネは別室で侍女たちが見てくれている。
母のエルネスティーネがフローリアンをずっと面倒見てくれていたように、フローリアンも我が子の面倒を見てあげたいと思っていた。しかし分単位でスケジュールが決められている王という立場では、なかなかそれも難しい。
ラルスと一緒に一日数度、顔を見にいくのが関の山だ。一緒に遊んであげられる時間が少ないことに、申し訳なさが募る。
この部屋に戻る前もメイベルティーネに会いにいってきたが、すやすやと眠ったあとだった。
もう一歳をとうに過ぎているというのに、『ママ』という言葉が出てきていないことが、つらい。
「やっぱり、僕は……」
胸の奥がぎゅっと締め付けられる感覚。
メイベルティーネの母親でありたい。
その思いが消えることは、絶対にない。
「どうしたんですか、フローラ」
ラルスがポットを持って部屋に戻ってきた。
慣れた手つきでお茶を注いでくれ、フローリアンはラルスと共にほっと息をつく。
「うん、おいしいよ。最初の頃のお茶が嘘みたいだ」
「それ、一生言われそうですね」
「ふふ、一生言うよ」
ずっと、ラルスのそばで。
最初のお茶が不味かった話を、何度も……何度でも。
ラルスはそれでも嬉しそうに笑っていて、フローリアンもクスクスと笑う。
「ああ、そういえばブルーノですが、ゲルダとはそのまま婚姻関係を続けていくそうですよ」
「そうなのか?」
ブルーノは捜査に協力的だったことと情状酌量の余地があるとして、処罰は軽いものだった。
ドラドの命令で交わした婚姻だったのだから、この婚姻は無効にするか離婚するかを選ぶものだと思っていたが、ブルーノが選んだのはまさかの婚姻継続だ。
「一度は覚悟を持って結婚したのだから、最後まで責任はとるつもりみたいですね。ブルーノらしいですけど」
「へぇ……まぁ本人がいいなら、僕は別に構わないんだけど」
人には色んな形の結婚があるのだろう。
ブルーノとゲルダは周りに利用されて巻き込まれただけの、不運な人間だ。どうしたって憐れみを感じてしまう。
「二人とも、幸せになれるといいな」
「そうですね」
ラルスはお茶を飲みながら、にこにこと笑顔をこちらに向けていて、フローリアンは首を傾げた。
「なに?」
「いえ。フローラは二人の幸せを願える、優しい人だと思うと嬉しかったんです」
「そう、かな?」
「そうです。だから俺は、そんなフローラが大好きなんですよ」
ストレートに褒められ、好きだといわれると顔が熱くなる。
ラルスはずっと嬉しそうに笑っていて、「僕だって好きだよ」と小声で言い返すと、「俺の方が好きです」と自信満々に言い返されてしまった。
「はは、赤くなってるフローラ、かわいいです!」
「もう、ばかっ」
「怒ってるフローラも……」
「もういいから!」
無理やり会話を終了させるも、ラルスはにこにこと楽しそうだ。
フローリアンは思わず少し浮かせてしまった腰を戻すと、椅子に座り直してカップを口につけた。
「今頃、シャインは兄さまに知らせてるかな」
「きっともう伝わってますよ。シャイン殿は町ごとに馬を変えて、夜通し走るつもりのようでしたから」
「怪我も治り切ってないんだから、無茶しなきゃいいんだけど」
「それだけ早く伝えたいんですよ」
ディートフリートやユリアーナは、シャインの報告を受けてどんな顔をしただろうか。それを想像すると、ふふと笑みが漏れてくる。
「兄さまたち、いつ頃こっちにくるかな」
「まだ一歳のリシェル様がいるし、ゆっくりこられると思いますよ」
「うん。早く会いたいな。兄さまに、僕たちのベルを見てほしい」
「俺たちのベル、って……」
少し目を開くラルスに、フローリアンは飲み終えたカップを置いて立ち上がった。
それに合わせるようにラルスも立ち上がり、フローリアンはゆっくり近づくと、再度ぎゅっと抱きつく。
「ねぇ、ラルス」
「なんですか?」
「僕のわがまま、聞いてくれる?」
「なんなりと」
戸惑うことなく出された言葉に、フローリアンはラルスの頭を抱えるようにして背伸びする。ラルスが少しかがんでくれると、そっとその耳元で囁いた。
その声を聞いたラルスは、優しい目をさらに細めて。
「もちろん」
誓うように、キスをしてくれた。




